第55話 感情の色①
感情には色があると思う。
喜びのピンクとか哀しみの青とか。
人にはいろいろな感情があって、様々な色が混ざり合うからこそ世界は色に満ちている。
それでも、本当に心が揺さぶられたとき。
そのときの感情は、一つの色というよりも、ひどくキラキラした何かで覆われているように思うのだ。
僕にとっては今日がその日だ。
その瞬間、僕の周りは数えきれないほど様々な色に溢れた。
キラキラキラキラ輝きながら、儚くも美しい光に彩られて。
後々この時のことを思い出しても、細かいシチュエーションなんかは曖昧でもその色合いだけははっきりと思い出せる自信がある。
僕の心を様々に彩り、僕がこの世を去る瞬間まで僕自身を支えてくれるような。
そんな、記憶。
そう。ヒオが、帰ってきた。
ふるふる揺れるまつ毛。微かに震えながら開いていくまぶた。そんな一瞬一瞬が、くっきりと心に刻まれていく。
僕たちは、それを見ながら必死に呼び掛けた。「ヒオ!」「帰ってこい!」と。
ゆっくり開いた目はしばらく虚空をさまよい、やがて焦点を結ぶ。
そのとき呼び掛けた「ヒオ!」という声は、誰が発したものだったか。
開いたばかりのヒオの目は確かにその声をとらえ、ゆっくり僕たちの姿を認識した。
「…っ」
長い間使っていなかった喉は、カラカラに渇いているのだろう。
何か話したそうなのに、声を出すことができないようだ。
「無理しないで」
手を握り、頭を撫で、皆でヒオを確かめる。
「…た、だい、ま」
絞り出した声。
その声を聞いた途端、僕の目から涙がこぼれ落ちた。
「お帰りなさい!」
ああ、なんて世界は美しいんだろう。
ヒオが、僕たちのところへ帰ってきた!
誰かが押したナースコールでお医者さんや看護師さんたちが病室に駆け込んできたけれど、もう僕の頭の中はヒオの「ただいま」でいっぱいだった。
そんなヒオの目覚めから一週間がたった。
目覚めてすぐの検査で肉体的には問題がないことが分かり、僕たちはほっと一息ついた。
それでも、あの時肺炎にかかったとはいえ元々健康体の少年が、しばらく寝たきりになってしまった影響は限りなく大きい。
衰えた筋力や体力を取り戻すため、ヒオはまだしばらく入院生活を続けてリハビリに取り組むことになっている。
「こんにちはー」
部屋の扉を開けると、そこにはベッドの上に座り、本を読んでいるヒオ。
ヒオがしっかり目覚めていることを確認して、安心する。この癖はしばらく抜けないのだろうなー、なんて思う。
「カイ!いつもありがとな」
僕の姿をとらえ、ヒオが笑顔になる。
この瞬間のために僕はここに来ているのかもしれない。
僕のお弁当を届ける仕事は、相変わらず続いていた。
目覚めたヒオが順調に回復していることから、則正さんの付きっきり生活は終わりを迎えた。それでも時間が少しでもあれば皆がこの部屋を訪れるのだけれど。
僕は毎日お昼ごはんの時間に、ヒオと自分のお弁当を持ってくる。
点滴生活から回復するにつれ、最初は流動食のようなものだったヒオのごはんも、普通食へと戻ってきている。
それでもなぜか病院食はあまり進まず、僕のごはんならたくさん食べられるとのことで、病院側からも持ってきて一緒に食べることを勧めてもらったのだ。
「いつも悪いな」
申し訳なさそうにヒオは言うけれど、僕が好きでやっていることだ。何の問題もない。
「一人でお昼ごはん食べるより楽しいから、気にしないで」
笑いながら今日のごはんを並べていく。
胃に優しくて、かつ栄養のあるメニューをたくさん研究して、練習した。
持ってくるのはその集大成だ。
これまでヒオが「おいしい!」と言わなかったことはなく、それが僕の自信となっている。
「いただきます」
二人で手を合わせ、食べ始める。
ヒオはさっそくオムレツに手を伸ばして、もぐもぐ食べてくれている。
「やっぱりカイのごはんうまいな」
「それが聞けて本当に嬉しいよ」
他愛ない会話がこんなにも嬉しいなんて、こうなるまで分からなかった。
今もなお僕は、こんな一瞬一瞬を噛み締めている。
「なあ、カイ」
ごはんの方を見ながら、それでも真剣な声でヒオが呼ぶ。
「なに?」
心の中で気を引き締めながら、何でもない風を装って答える。
「今度、皆に話したいことがあるんだ。休みが合ったときでいいから、皆で来てくれないか?」
「…分かった。帰ったら聞いてみるよ」
きっと、大切なことが話されるに違いない。
だって今回のきっかけすら、実はまだ誰も何も聞かされてはいないのだ。
これは逃げてはいけない。必ず受け止めなければならないことだ。
ぎゅっと拳を握りしめる。
皆でヒオの全てを受け止めよう。
どんな現実も乗り越えて、また皆で笑えるために。
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