第53話 本当の夜明け④


あれから僕は毎日、則正さんのお弁当と一緒にヒオの分も作って持っていっている。

僕のレパートリーの中から、過去にヒオが喜んでくれたもの、そしてできるだけいい匂いのするものを。


匂いに関しては何より病院ということで、許可が降りるか心配だったのだけれど、個室であることと、本人の中にあるいいイメージの記憶に直結する感覚を刺激するのは効果的なことだろうという医師の見解に助けられ、無事決行することができたのだ。


この話をしたとき幸也さんは「すごいことを思い付いたな!」と手放しで褒めてくれた。

すぐに病院に話を通してくれたのは則正さんだし、毎日二人分のお弁当を運ぶ僕にいつも感謝の気持ちを伝えてくれる。

祐介くんなんて、初日にほぼ無理矢理巻き込んだのをきっかけに、休みの日以外でも時間が合えば必ず手伝ってくれている。


皆、一緒になってヒオの帰りを待っているのだ。


これが何かの役に立つとははっきり言えないし、別に今こんこんと眠るヒオに劇的な回復を求めているわけではない。

もちろん早く目覚めたヒオに会いたいけれど、それより何より大事なこと。

ヒオ自身に、自分の意志でこの世界に、この家に、この僕たちだけの「家族」に、帰ってきたい、と思ってほしいのだ。

「また皆と一緒においしいごはんを食べたいなー」なんて、思ってもらえたら最高だ。

辛いことを抱えながら、それでも笑って僕たちのそばにいてほしい。

そのためなら、きっと僕たちはどんなことでもやってやるんだ。




「あら、今日もおいしそうね」

今日のお弁当を届けにきたとき、ちょうどヒオの担当看護師の光山さんが、様子を見に部屋に来てくれた。

「わがままを通していただいてありがとうございます」

則正さんがしっかりお礼の言葉を告げる。

「いいんですよ、ご家族の思いが何よりの薬ですから。ヒオくんのためになることをしてあげたいっていう気持ち、それが一番大切だと思うんですよね」

手早くヒオの様子をチェックした光山さんは、優しく微笑みヒオの頬をなでる。その慈愛に満ちたしぐさに、僕はなんだか泣きたくなった。


「ねえ則正さん、カイくん」

この数日ですっかり覚えられた名前で光山さんに呼び掛けられる。

「皆さん、頑張り過ぎず頑張ってくださいね。看病って、そのほどほど具合がとても難しいんですよ」

穏やかな口調、やさしいまなざし。

光山さんの口から紡がれたその言葉に、僕はなんだかはっとした。

ヒオのために毎日来なければ、毎日お弁当を作らなければ、そんなことばかり最近は考えていた気がする。

隣に目をやると、則正さんも同じような顔をしていた。

きっと、則正さんも同じように考えていたのだろう。


「皆さんは毎日毎日、本当に頑張っておられます。一生懸命ヒオくんのことを考えて。それは本当に素晴らしいことだと思います。それでもね、息を抜く部分も作っておかないと」

光山さんは、則正さんと僕の肩に優しく手をかけた。

「目覚めない期間が長くなればなるほど、周囲の人間は焦ってしまうし、自分を責めてしまう。まだ何が足りない、あれが足りないって。でもそうじゃない。皆さんはこれ以上なく頑張っているし、ヒオくんもこれ以上なく闘っています」

言葉がなかった。まさにその通りだったから。

「少し力を抜いて、自分を休ませてあげないと潰れてしまう。これで潰れてしまえば、一番助けたかったはずのヒオくんが一番哀しむことになるんですよ」

光山さんの言葉に、ヒオをこちらに戻したくて頑張りたくて、突っ走っていた自分を思う。

そうか、もう少し楽に構えていればいいんだ。


「待っていてあげてください。必ずヒオくんは、あなたたちの場所へ戻ってきます。だって、こんなにも待たれているんですから」 

光山さんの話を聞いて僕は、なんとなく許された気持ちになった。

もっと何かしてあげたくて、それでも何もできなくて、苦しかった。止まってしまうことが怖かったのだ。

でもいいんだ。待っていてあげればいいんだ。


「ありがとうございます」

お辞儀をする則正さんに習って僕も頭を下げる。

「ごめんね、お節介なこと言って。私たち皆、ヒオくんとその家族のこと、応援してますから」

光山さんの柔らかなエールは、深く心に沁みていった。


待とうと思う。ゆっくりと。

もちろんお弁当は作るけれど、もっと楽しみながら、自分の趣味として。

優しい光の中に、ヒオを迎え入れられるように。

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