第51話 本当の夜明け②
「こんにちはー」
ドアを軽くノックして、部屋に入る。
この部屋は南東の方を向いているようで、一日中明るい。
大きな窓の横には淡い緑色のカーテン。
たくさん日の入る窓には、若葉よりも柔らかいその緑色がよく映えた。
24時間丁寧に空調が保たれたそこは、ずっと終わらない春のようだ。
消毒液の匂いとか、冷たささえ感じてしまう白いカーテンとか、そういうイメージを持っていた僕を裏切るかのように、ここに病室感はまったくない。
こざっぱりとしたその部屋の真ん中でヒオは眠っていた。
その表情には苦痛もなく喜びもなく、ただ普通に眠っているかのようだ。
肺炎が治ったことで酸素マスクも取れ、ヒオを縛るのは数本のチューブのみ。
小まめに清拭や着替えをしてくれている看護師さんのおかげで、眠りっぱなしのヒオも清潔感を失うことなく過ごせている。
ただ、どうしても点滴からしか栄養を摂れないために痩せてしまった腕は隠すことができず、病衣の下の細い腕をそっと撫でるたびに、哀しい気持ちになってしまうのだ。
「カイ、来てたんだな」
トイレにでも立っていたのか、則正さんが外から帰ってきた。
「お帰りなさい。ついさっき来たところです」
言いながら、お弁当箱とスープの入った魔法瓶を手渡す。
「いつもありがとうな」
「いえ、僕ができるのはこれくらいなんで」
「いや、温かいごはんが食べられるってことは、人の最高の幸せなんだって、最近思うよ」
少し大げさなようにも感じたけれど、話す則正さんの視線がヒオの右手を捉えているのを見て、何も言えなくなる。
食い意地だけはやたらと張っていたヒオ。
そんなヒオの、痩せた腕。
「僕は、」
ちょっとだけ広がってしまった哀しい空気を打ち消すかのように話す。
「ヒオにも、則正さんにも笑っていてほしいだけです!」
思いの外強い口調になってしまったけれど、それが僕の本音だ。
そして、よく分かっているとでも言いたげに緩んだ則正さんの口元。
「ありがとな」
優しく伝えられた言葉に、僕は大きく頷いた。
則正さんがお昼ごはんを食べている間、眠るヒオを見ていた。
すやすやと眠るヒオ。
一体どんな夢を見ているのだろう。
こちらに戻ってきたくないほど、眠りの世界は心地いいのだろうか。
こっちの世界ではもう誰も、ヒオを悲しませたりはしないのに。
全力でヒオの笑顔を守ると決めたのに。
「どうかしたか?」
表情が固くなっていたのか、則正さんが心配そうに声をかけてきた。
「いや、何もないんですけど…でも、どうしてヒオは帰って来ないんでしょうか」
「…どうしてだろうな」
それが分かるのなら、誰も苦労はしないのだ。それでも、どうしても僕は知りたい。ヒオを連れ戻すヒントがほしい。
「大丈夫だよ、カイ。きっとヒオは帰ってくる。ちょっとしんどいことが大きすぎて、頭の中を整理しているだけだよ」
分かってはいるのだ。
ヒオに起こった出来事は、ヒオの心を深く傷つけた。過去の辛い記憶さえも甦ってしまって、どうしようもなく眠りの世界に逃げ込んだのだろう。
この選択はきっと、そのときの最善だったのだろう。
それはそうかもしれないけれど。
「でも、やりきれないです…」
俯く僕の頭をポンポンと叩く。
「そうだよな、やりきれないよな」
ヒオばかりが辛い状況が哀しい。
しんどい思いをしたヒオを、思いっきり抱き締めてあげたいのに。
「でも、信じて待つしかないよ。俺たちにできるのは、信じることだ。そのうちきっと、カイのごはんが恋しくなって帰ってくるんじゃないかな?」
いたずらっぽく笑う則正さんの言葉に、僕は一つひらめいた。
「則正さん!」
「ん?どうした?」
「僕、やってみます。ヒオをこっちに引き戻す作戦!」
ぽかんとする則正さんを尻目に、僕はだんだん楽しくなってきた。
帰ってこないというなら、こちらから迎えに行けばいいんだ。
待ってろよ、ヒオ。絶対に連れ戻してやるから!
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