第49話 天国と地獄⑦
家に帰って、ソファに座らされる。
川上さんが寝ていたはずの布団はぐちゃぐちゃのままで、僕を追いかけるため慌てていたんだろうことが見て取れた。
申し訳ないな、と思う。
でも、間違ったことをしたとは思っていない。
しんと冷えた空気。
皆、何を話していいのか分からないようで、リビングは重い沈黙に満ちている。
逃げられては困る、とでも言うように、川上さんは僕の手をしっかり握ったままだ。
「カイ」
静かに語りかけてくる。
「おまえ、何をしようとしていたんだ?」
「…」
きっと確信を持って聞いているのだろう。
僕は答えない。それは言ってはいけないことだと知っていた。
「それじゃあ、リュックに入っていたこれはなんだ?」
「…」
僕のリュックから新聞紙にくるんだ包丁を取り出す。皆が息を飲むのが分かった。
決定的な証拠を持ち出されても、なお答えることは出来ない。
だって僕は、人を殺そうとしたのだから。
あれほどまでに怖かった外の世界。それなのになぜか出られてしまった。
僕の悲願は、あまりにも歪な形で叶えられてしまったというわけだ。
そんな自分に驚いてもいたし、同時にひどく納得した。
僕ってこんなに残酷な奴だったんだ。呆れて少し笑う。
でも僕は、僕の大切なものだけを守りたい。
そのためには何だってできるのだ、と。
今こんな風に問い詰められて、皆に哀しい顔をさせて。
ひどく居心地が悪い。
それは、だんまりを決め込んでいる自分のせいなのだけれど。
不思議と謝罪の気持ちは浮かばない。
悪かった、と思うよりもイライラが勝ってしまう。
どうして?どうして?どうして?
どうしてこれは許されないことなんだろう??
「なあ、カイ。人を殺すということは、絶対にあってはならないことなんだ。それは分かってるだろ?」
強い口調で川上さんが言う。
もちろん分かっている。
分かっていても、どうしても譲れなかった。
「そんなことしたら地獄に堕ちるって、ここに来てから読んだ本で習っただろ?」
則正さんも諭すように語りかける。
「…そんなこと、どーでもいい」
つい口に出してしまった。
「おい、どうでもいいって言い方は…」
「ヒオが!」
遮るように叫ぶ。
とにかく僕は、僕の大切なものを守りたいんだ。
「ヒオが苦しい思いをしないで済むなら、それで元気に帰ってきてくれるなら、僕は地獄に堕ちたって構わない!僕にとっての天国はここなんだから!死んでからの天国なんて意味がないんだっ!!」
ただ守りたいんだ。
ヒオを、そしてこの場所を。
皆が誰一人欠けずに、くだらないことで笑い合えるこの場所を。
そのためにはヒオを自由にしてあげなければ。
ヒオを苦しめるものを抹殺しなければ。
パチンっ!
衝撃を感じた。
よろけて膝をついた僕は、頬を打たれたことに気づいた。
「バカヤロー!そんなことでヒオが自由になれるわけないだろっ!!」
目の前には泣きながら叫ぶ祐介くん。
そっか、祐介くんに叩かれたのか。
次の瞬間、がっしり抱きしめられる。
「怒りも悔しさも分かるよ、全部分かる。オレだって悔しいし、できることなら殺ってやりたいと思う。でも、そんなことしたら、オレたちを苦しめて来た大人たちと同じになるじゃねーか!!それだけは、いろんな暴力を受けてきたオレたちが絶対やっちゃダメなことだろ!?」
肩口が濡れていくのが分かる。
祐介くんの涙だ。あったかい。苦しいけれどあったかい。
涙の温度を感じたら、冷えきっていた心が少しずつ溶けてくるようだった。
「…うぅっ」
声にならない声が、涙とともに絞り出される。いろんな感情がぐるぐるして整理がつかない。
「…泣けばいいさ。泣いて泣いて、泣き止んだら、俺たちの天国を守る方法を考えよう?」
涙声の幸也さん。
「俺は、今も死んでからも地獄はごめんだ。ずっと一緒にこの天国にいよう」
きっぱり話す則正さん。
ああ、僕は、間違っていたんだな。
本気で殺してやろうと思っていた。
その気持ちは今も大して変わりはしないけれど、それよりも僕にはやることがあったんだ。
他人をどうこうするんじゃなく、自分たちの力を最大限ヒオに向けて。
何かを壊してヒオを守るのではなく、何があってもヒオと共にいること。
皆でひとつになること。
「あちらは俺たち大人が合法的にしっかりカタをつける。だから、お前らはヒオのことだけ考えてやれ」
川上さんが頭をぐしゃぐしゃ撫でてくる。
この手に、僕も皆も守られているんだな。
「川上さん、皆も、ごめんなさい…」
「もう二度とバカな真似はするなよ」
「はい」
やっと緩んだ空気の中、夜が明けようとしていた。
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