第44話 天国と地獄②
もうすぐ今日が終わろうとしている。
今は夜中の12時前。それでも誰も自分の部屋へと戻ろうとはしない。
濡れた体を拭いてリビングに布団を敷いて寝かされたヒオは、着替えさせ、髪を乾かしても目を覚ますことはなかった。
雨によって冷えた体は徐々に熱を発し、先ほどから39℃を超えてしまっている。
あれからすぐ駆けつけてくれた川上さんは、則正さんと共にヒオの様子をずっと看てくれている。熱に魘されるヒオの汗をぬぐい、頭を撫で、それでも険しい顔で状況を見ている。
「医者に診せなくていいのか?」
ぬるくなった冷えピタを取り換えるためダイニングに現れた則正さんに、幸也さんが問いかける。
「本当は連れて行ったほうがいいんだろうけどな…」
則正さんは玄関の方を振り返る。思い出すのは、玄関先でのヒオの様子。
倒れる直前のヒオは、正直異様だった。
「何がどうなってこうなってしまったのかが分からないまま、外に連れて行くのは危険だと思う」
振り払われた手を見つめる。
痛かった。払われたことじゃなく、伝わってきたヒオの思いのようなものが、ひどく痛かった気がするのだ。
「ほんと、何があったんだよ…」
悔しそうにつぶやく祐介くんの声が、今の皆の気持ちそのものだった。
少しずつ夜が明けていく。
真っ暗だった外の闇がほんのり淡くなってきたころ、ヒオの熱は38℃前後にまでやっと下がった。
今はもう魘されることもなく、穏やかな寝息が聞こえている。
僕たちは時折うとうとしながら、ダイニングから離れることができなかった。
それを見ていた川上さんも、部屋に戻れとも早く寝ろとも一言も言わなかった。
普段なら、生活リズムの乱れに関して口うるさいほどだというのに。
それほど今回のヒオのことが、何も分からず心配なのだろう。
「…ぅんー」
何事かつぶやいたヒオが、ゆるゆると目を開けたようだ。
「ヒオ?」
驚かさないよう小声で名を呼ぶ則正さん。
僕たちもそっと、音を立てないように近づく。
ヒオはまだ状況が分からないようで、パチパチと瞬きを繰り返す。
その目は熱のせいか潤んでいて、今にも涙が零れ落ちてきそうだ。
「ヒオ、分かるか?」
川上さんも声をかける。
「…や、だ…こわ、い…こわ、い、よ…」
ヒオはふるふると頭を振り、泣き出してしまう。
その様子があまりにも儚くて、あまりにも普段のヒオとかけ離れていて、僕たちもどうすればいいのか分からない。
「怖くないよ、ヒオ、みんないるよ」
とっさに手を握り、声をかけた。
その手は本当に熱くて、溶けてしまいそうなほどだ。
「はぁ…っ、はぁ…」
段々呼吸が乱れていくヒオを則正さんが抱き起す。
「ヒオ、落ち着いて。息を吐くんだ」
過呼吸を起こしかけているヒオの口元にタオルをあてがい、背中をさする。
横で幸也さんが一緒に呼吸して、息を吐くタイミングをヒオに教える。
それでもなかなかうまくいかなくて、ヒオは胸をかきむしる。
熱も呼吸も苦しそうで見ていられない。
「…はっ…」
一つ吐息のようなものを漏らして、ヒオは再び意識を失った。
「だめだ、意識飛ばした」
「また熱も上がってるな」
体温計が示しているのは、40℃を超えた熱だ。
「こうなったら仕方ない。病院に連れていこう」
川上さんが僕たちに告げる。
「でも…」
ヒオの目が覚めたとき、この家ではなく病院だったら。
何があったのかは分からないけれど、こんな状態になってまで帰ってきてくれたその意思を、なんとしても守りたかった。でも。
「俺も、ヒオの心を優先したかった。でももう限界だ。まず体だけでも楽にしてやろう」
これまで看てきた川上さんが悔しそうに言うから、僕たちはそれに従うしかなくて。
「分かりました。準備してきます」
幸也さんが保険証などを準備しに走る。
祐介くんは唇をかみしめながら、ずっとヒオの頭を撫でている。
「ヒオ…」
どうかヒオを、苦しみから救ってください。
僕はこれまで信じたこともない、いるかどうかも分からない神に向かって祈った。
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