第38話 次男坊の恋①
「実は、恋人ができたんだ」
幸也さんがそんなことを言い出したのは、いつもと変わらない夕食のときだった。
「えぇーっ!!!」
僕たちは声にならない声で叫んだ。
嬉しいとか悲しいとかそんなことではなく、ただただ驚いて。
「どんな人?」
「いつから?」
一瞬の間のあと、僕たちは幸也さんを質問攻めにした。
みんな、特に10代の祐介くんとヒオは興味津々だ。お年頃なんだろう。
僕とてやっぱり興味はある。恋愛というものをなんとなくでしか知らないけれど、この家で初めての「そういう」話だ。気にならないわけはない。
「バイト先の、インストアの子なんだけど」
幸也さんはお弁当の配達を仕事としているけれど、お相手はそのお店のお弁当を作る仕事をしているらしい。
二つ年下、先日女の子のほうから告白されたそうだ。
「幸也さん、モテモテじゃん!」
「やるなぁ、この色男!」
祐介くんとヒオはものすごく盛り上がっている。
「幸也に先を越されたな」
則正さんもニコニコしている。
「いやいや、まだ始まったばかりだから」
照れたようにそんなことを言う幸也さんも、とても幸せそうで。
それを見ていて、僕もなんだかほっこりと温かい気持ちになった。
「幸也さん、ごはん食べてくるとか泊まってくるとか、そういうときは連絡だけくださいね」
そう言うと、
「お泊り~!!」
「カイ、大人だな」
なぜか僕が冷やかされてしまった。
「いや、と、泊まりはまだないと思うけど、ごはんは、ちゃんと、連絡するよ」
少したじたじになりながら答える幸也さん。
恋って、なんだかいいものなんだな。
僕はそんなことを思ったのだった。
それから幸也さんはたびたびデートをして帰ってくるようで、少し遅くなることも増えてきた。
以前の親戚に掴まっているときとは比べ物にならない明るい雰囲気に、僕たちも幸せのおすそ分けをしてもらっているようなそんな気持ちだった。
「幸也さん、このまま結婚とかするのかなー」
とある夕方、ヒオがなんとなくの調子でつぶやいた。
「結婚、かぁ…」
お付き合い、ということに舞い上がっていた僕たちは、その言葉に現実を見たような気がした。
血のつながった家族に恵まれなかった僕たちだ。
その始まりである結婚には、少なからず思うところはある。
ほんの少し重い空気になってしまったのを察知した祐介くんは、慌てて言う。
「でも、大丈夫だよ。あの幸也さんだし」
「そうだよね、幸也さんだもんね」
穏やかで、大抵のことには動じない、優しい幸也さん。だから、きっと大丈夫。
「そうなると、幸也さんの相手は俺たちの姉ちゃんになるんだな」
ヒオの言葉にまた想像する。
初めての女のきょうだい。
ちょっとドキドキする。
「なんか、ドキドキするね」
「うん、想像もできない…」
一瞬の重い空気もなんのその、僕たちは明るい未来をそれぞれ妄想した。
それほどまでに、幸也さんに恋人ができたという事実は僕たちの中での大ニュースだったのだ。
そんな話をした数時間後。
「ただいま~」
帰ってきた幸也さんの表情が、なんとなく浮かないものに見えて僕は心配になった。
「お帰りなさい」
それでも、そんなことを幸也さんに見せるわけにはいかない。いつも通りを心がけて声を掛ける。
「カイ、まだ起きてたんだな」
「何か飲んでから寝ようかと思って。幸也さん、何か飲みますか?」
「ああ、じゃあ麦茶入れてくれるか」
「はい」
二人分の麦茶をグラスに入れて、幸也さんに手渡す。
「ありがとう」
ほほえむ幸也さんはいつも通りのはずなのに、どこかぎこちないように思えてつい言ってしまった。
「幸也さん、なんかありました?」
驚いた顔をした幸也さんに、ちょっと焦る。
「ごめんなさい、なんかいつもと違う気がして」
「謝らなくていいよ。実は今日、彼女とケンカしちゃって。カイは鋭いな」
笑顔を見せてくれるけれど、やはりその表情は冴えない。
「大丈夫、ちゃんと仲直りするから」
「はい。幸也さん、しんどいときは無理しないでくださいね」
「ありがとう」
恋人ができて、お付き合いをして。
幸せなはずなのに、ケンカもするし辛いときもある。
そんな当たり前のことを改めて知った気がした。
幸也さんの心からの笑顔を早く見たいなぁ、そう思いながら僕はベッドへ向かったのだった。
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