第27話 はじまりの話④

日々は淡々と過ぎてゆく。

俺は通いやすいレベルの高校に進み、ほどほどにアルバイトをし、毎日を同じトーンで過ごしていた。

卒業までの数年を、目立つことなく違和感なく過ごすため。

日常に、様々な色や温度は必要なかった。

ただ時さえ過ぎてくれればそれでよかった。


たいして大きな出来事があるわけでもなく、目新しい事件があるわけでもない。

そういうものはすべて、中学2年のあの日に置いてきてしまったから。


そして、あと少しで念願の卒業を迎えるという高校3年の1月。

人生を浪費していた俺に、思わぬ展開が待っていた。


「久しぶりだな、川上」

学校から帰った俺を待っていたのは、中学のあのときお世話になった野球部顧問の先生だった。

「先生!?」

あまりに驚いて言葉を失う。

施設に入ってから、俺を訪ねてきた初めての人だった。


記憶よりほんの少し老けたけれど、やわらかな表情は変わっていない。

優しくて涙もろくて、情に厚くて。

当時はよく分かっていなかったけれど。後々思い起こせばあの頃の俺にとって唯一の安らぎだった、先生の隣のあの温度を思い出す。


「施設の人には許可を取ったから、一緒に飯でも食いに行こう」

穏やかな口調でそんなことを言う。

突然の来訪に驚いたけれどやっぱりどこかうれしくて、二つ返事で頷いた。

久しぶりに心が踊るのを感じた瞬間だった。


先生は、施設から少し離れた落ち着いた雰囲気の定食屋さんに連れていってくれた。

「おまえ、唐揚げ好きだっただろう?」

そう言って、二人分の定食を頼む。

外食なんて何年ぶりだろう。

久しぶりすぎてそわそわしてしまう。

そんな俺に気づいたのか、先生は少し微笑んでお茶をすすった。


「なかなか会いに来れなくて、すまなかった」

「そんな、全然…」

会いに来ようとしてくれていた、その事実だけでも俺の心はほんのりあたたまる。

「…あれから、俺は川上に何をしてやればよかったのか、もっと何かできなかったのか、ずっと考えていたんだ」 

先生は少し目を伏せながら話してくれた。

まさか先生がそこまで考えてくれていたなんて思わなくて、驚きを通り越して固まってしまう。


「なあ川上。卒業したら、俺のところに来ないか?」

「えっ?」

展開が急すぎて頭がついていかない。

「実は教師を辞めて、四月から施設をオープンするんだ。親と死別した子どもや、親の愛に恵まれなかった子どもたちが一緒に暮らす施設を。あれからずっと、ずーっと考えてた。あの頃の川上にしてやれなかったこと、今の俺なら出来る気がして」


知らなかった。

先生がそこまで俺のことを思ってくれていたこと。

俺をきっかけに、自分の人生を賭けてまで新しい道を切り開こうとしてくれたこと。


「一緒に働かないか?経験者であるからこそ、お前にしかできないことがきっとある。そして、あの頃のおまえみたいな苦しい子どもを一緒に支えていってくれないか?」

これまで、見ようともしなかった未来の景色が飛び込んでくる。

俺は、生きていていいのか?

誰かのために生きることができるのか?


「あの頃のおまえは家族を失って全てを失って。自分ではどうにもならない現実に、哀しむよりむしろひどく怒っているように見えたよ」

先生の言葉は衝撃だった。まさか俺の心の中の怒りを知られているとは思ってもみなかったから。

「やりきれないよな、あんな形で全てがひっくり返って。哀しくて辛くて、苦しかったよな」


もう限界だった。

あの頃の、胸をかきむしりたくなるような苦しさが奥底から込み上げる。

「あのとき、何もできなくてすまなかった。時が経って、少しずつ分かってきたんだ。おまえをただ泣かせてやれば良かったんだって。誰の前でも心のうちを明かせなかったおまえを、何も言わずに泣かせてやれば良かったんだって」

先生はそう言うと、俺の隣に席を移ってきて、俺をぎゅっと抱き締めた。

そんなことされたら、我慢なんてできなくて。

「遅くなって悪かった」

そんな先生の声を聞きながら、俺は声を上げて泣いたのだった。


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