第14話 本当の強さ③

「分かってはいたんだ」

静かに話しだす則正さん。その声はいつも通り落ち着いていて、さっきまでの喧騒が嘘のようだった。

「自分がもう限界だっていうことも、皆が本気で心配してくれていることも」


時計が時を刻む音だけがして、やわらかな静寂があたりを包む。

僕たちはその場に立ち尽くしたまま則正さんの話を聞いていた。

「でもな、どうしたって辞められなかった。逃げるみたいな気がして、どうしてもここに食らいついてやろうと思った。意地だったのかもしれないな」

穏やかに言葉が紡ぎ出されるたび、どんどん切なくなった。

朝、家を出ていく後ろ姿を思い出す。

なんとしても食らいつく、そんな則正さんの意志だけに押された背中。

「ヒオの言葉聞いて、なんか気が抜けたよ。辞める決心がつかなかったのは、ただ俺が弱かっただけなんだ」

そう言って、ヒオに笑顔を向ける。

無理のない、普段通りの笑顔。


一方ヒオは、さっきまでの勢いを失ってうつむいていた。

「……オレ、勝手にあんなことして」

怒りのあまり、則正さんの電話を勝手に奪って仕事を辞めさせる、という暴挙に出てしまったことの重要性が、今になって身に染みているようだった。

「ヒオ、こっち来い」

則正さんは、固まってしまったヒオを呼び寄せる。

俯いたまま近づくヒオを、則正さんはやさしく抱きしめた。

「ありがとうな、ヒオに言ってもらって目が覚めた」

小刻みに震えるヒオの背中。泣いているみたいだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

謝るヒオを優しくなで続ける。

「こっちこそごめんな、ヒオにこんな思いさせて。皆に辛い思いさせたな」


「謝るなよ、辛かったのは則正さんだろ!」

珍しく幸也さんが声を荒げる。

「弱いわけないだろ、あんなに耐えて耐えて頑張って。則正さんは強いよ。その強さに俺たち皆支えられてるんだ。それでも、弱いとこ見せていいんだよ」

幸也さんの目から零れた一滴に胸がきゅっとなる。

「オレだって、ヒオと同じこと思ってたよ。ただ勇気がなかっただけだ。ヒオみたいに言ってやりたかった。則正さんをバカにするなって、ずっと言いたかったよ」

祐介くんにまでそう言われ、則正さんはヒオの肩に顔をうずめた。

「…ありがとな、皆。オレ、仕事辞める。やっと勇気が出たよ」

声が滲んでいるのを皆気づいていたけれど、誰もそれを指摘することもなく。

ただ、僕らの則正さんが帰ってきてくれたことだけがうれしくて、その事実を噛みしめていた。


「あ、」

「則正さんどうした?」

「ヒオ、寝たみたい」

則正さんに抱きしめられながら泣いていたヒオは、泣きつかれたのかそのまま寝てしまったようだ。

「赤ちゃんかよ」

「ヒオらしいな」

「よし、このまま運ぶか」

則正さんは軽々ヒオを持ち上げてベッドへと運ぶ。

「ヒオがこんな時間まで起きてたことが奇跡だね」

「でも皆同じで寝られなかったよ」

「それはすまん」


それぞれが軽くなった気持ちのまま話す。

ああ、この感覚がうれしい。

皆がみんな、それぞれのことを大切に思っていること。

そして、大切な人を守りたいと思っていること。

皆の声を聞いていたら、僕もだんだん眠くなってきた。


「あれ、カイも眠そうだな」

「…ん、だいじょぶ、です…」

「うん、これダメなヤツ」

「もう、ここでみんなで寝ようか」

「そうしよう」

だんだん、何を話しているのか分からなくなってきた。

ただひたすらあったかい。

「おやすみ、カイ」

「おや、す、み……」


気が付けば朝だった。

窓からの光がまぶしくて、ぼんやりした意識が徐々に醒めてきた。

「あ!朝ごはん!!」

すっかり寝過ごしてしまっていたようで慌てて飛び起きる。

横にはヒオ、足元には幸也さんと祐介くんがぎゅうぎゅうに寝ていて、則正さんだけが目覚めているようだった。


「おはようございます!」

焦りながら1階へ降りて行った僕が見たのは、湯気の立つお味噌汁と、たくさんのおにぎり。

「おはよう。昨日遅かったから、今日はオレが朝ごはん作ってみたよ」

ニコニコ顔の則正さんは、昨日までの張りつめた表情ではなく柔らかな笑顔を取り戻していた。

「ありがとうございます!すっごくおいしそうです!」

「カイ、いつもお弁当とおにぎりありがとうな。あのおにぎりで、もう少し頑張れるって毎日思ってたんだ」

「そんな…」

伝わっていたんだ。

則正さんへの思い、ちゃんと伝わっていたんだ。

それがうれしくて、則正さんのいる朝が懐かしくて、こっそり涙ぐんでしまった。


「あーっ!則正さんの朝飯~!」

元気なヒオの声。

「なんか、ひさしぶりだな。みんな揃って朝ごはん」

嬉しそうな幸也さん。

「あ~あ、眠いけど腹へった」

いつも通りの祐介くん。

「僕、お茶いれますね」

皆がいる。それはこんなに明るくて心地よくて。


ただひたすら、大好きだなぁ、そう思うのだ。







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