第30話 道の先には②
結局ごはんの時間もそのあとも、ヒオは自分の部屋から出てこなかった。
そんなヒオを気にかけながらも、僕たちは寝ることにした。
長期戦を覚悟した僕たちに迷いはない。
しっかり自分の生活を守りながらヒオの力になること。それが皆の目標だ。
そんなことを思いながら、いつも通りベッドに入り眠りにつく。
それでも、やはり心のどこかで引っ掛かっていたせいか夜中に目を覚ましてしまった。
時計を見ると、午前2時。
起きるのにも早すぎる時間だけれど、なんとなく寝付けない。
キッチンで水でも飲もうと、そっと部屋のドアを開ける。
すると、廊下に風が吹いているのに気付いた。
「窓、閉めたはずだけど…」
2階の部屋は夕方に洗濯物を取り込んだあと、防犯の意味も込めて戸締まりをしてしまうのだ。
それが開いているということは。
「ヒオ?」
ベランダに佇む影に、小さく声をかける。
「…カイか」
やはりその影はヒオだったようだ。
ベランダの柵にもたれながら、遠くの方を見ている。
「どうしたの?寝られない?」
寝起きであることも相まって、ヒオのいろいろな問題のことを忘れて普通に話しかけてしまった。
「まあなー」
それを気にするでもなく、ヒオは外の景色から目を逸らさない。
うまく言葉を見つけられなくて、何も言わずにヒオの隣に立つ。
夜中の外の空気は、どうしてこんなにも静かに寄り添ってくれるのだろう。
あんなに怖れて怯えて、いまだ一歩も外の地を踏めていない僕でも、この空気感は好きだ。なんとなく安心する。
僕が僕のままでここにいることを、全力で肯定してくれているような気がして。
「カイはさ、」
思いがけずヒオのほうから話しかけてきて、内心ものすごく驚いた。
そばにいるしかできないと思っていたから、会話できることがうれしい。
それでも態度には出さない。
あくまで普通に、ヒオの話を受け入れる。
「将来の夢なんてあるか?」
夢、夢か。
今に必死で、そんなこと考えてもみなかった。
「全然分からないな、将来なんて。今を過ごすことでいっぱいいっぱいだよ」
「そうだよな~」
ヒオはまた、僕の存在なんて忘れたかのように静寂に沈んでいった。
きっと、将来の夢、というのが今回のヒオのテーマなのだろう。
それがどういう形で現れたのかは全く分からないけれど。
「進路を決めないといけないんだって」
ヒオの口からぽろりとこぼれる。
進路、将来の夢。
「そんなこと言われたってなー。オレは今をこうして生きてるだけで精一杯だって言うのに」
ヒオも僕と同じだ。
生きづらい現実からなんとかここにたどり着いて、やっとひと息ついたところで。
将来自分が進む道なんて、どうやって見つけたらいいんだろう。
「進路を決めるための面談、なんて言われたら、則正さんにも川上さんにも、なんて言えばいいのか分からなくなって」
それが今回のヒオの引きこもりの理由だったんだ。
「なんで今のままじゃダメなんだろうな。そりゃ、卒業してどこかで働いてお金稼いで、それはそうなのかも知れないけど。夢とか進路とか言われても、なーんにも見えてこないや」
ヒオの言うことが、なんだかすごくよく分かるような気がした。
先の見えない日々をなんとか抜け出してたどり着いた今がゴールでないとしたら、僕たちはどこを目指せばいい?
「生き抜きたかったんだよ、ずっと。クソみたいな現実から抜け出す、それだけが夢だったんだ。やっと今夢が叶って、一生懸命生きて。これ以上やりたいこともできることも見当たらないし、見つけられる気もしない」
ヒオはあまり昔の話をしない。
言うとしても今みたいに、ただ抽象的に「クソみたいな現実」とだけだ。
そこを乗り越えてきたヒオに、さらに夢を見ろ、なんて簡単には言えないし、言いたくもない。
僕たちは、ほかの人たちの言う「夢」なんてもの、これっぽっちも理解できないんだから。
夜中の風に吹かれながら淡々と語るヒオの声が、なぜだか泣いているように聞こえた。
その殻だに触れることもできず、僕はただ立ち尽くしていた。
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