第19話 海にあこがれて②
その日の夜。
皆が寝静まったころに、僕はごそごそ起きだした。
パジャマからいつもの洋服に着替えて、唯一持っていたリュックにほんの少しのお金が入った財布、ハンカチ、水筒のお茶を詰めて。
そう、僕は、外に出ようとしている。
あれからヒオとは、晩ごはんのときも視線を合わせることはなかった。
僕から何を言えばいいのか分からなかったし、ヒオの方も同じような感覚だっただろう。
なんとなくギクシャクしてしまった僕たちの空気に皆気づいていたけれど、どうしたものかと考えあぐねているようだった。
そんな中で、僕は決意したのだ。
今晩、皆が寝静まってから、外に出てみようと。
本当は分かっていた。ただ僕が臆病なんだってこと、ヒオに言われる前からずっと知っていた。
でも、あまりにも心地いいこの家で、僕は自分を甘やかすことを覚えてしまったのだ。
怖いものから逃げること。
全てを避けて通ること。
それは僕が生きるために身につけた手段で。
本当は、外に出てみたかった。
皆が見ている世界を、ほんの少しでも知りたかった。
そして、何より海を見たかった。
ヒオに「一生引きこもっておけ」と言われて思ったのだ。
このままではダメだ、と。
甘えてばかりではいけない、と。
ずっと引きこもっていたら、せっかくこの家に来た意味がなくなってしまう。
僕を縛り付ける枷のようなものから解き放たれるためにこの家に来たのに、いつまでも僕の精神は、暗くてじめじめしたあの家のあの部屋から本当の意味で逃げきることができない。
それならば、出るしかない。
それも、誰にも頼ることなく自分の足で。
自力でこの家から出ることが出来れば、きっとそのときが本当の自由を手にいれる瞬間なのだ。
その結論を導きだした僕は、早速今日の夜中に計画を決行することにしたのだった。
いわゆる「外」に出たことがないから何が必要かなんてわからないけれど、僕にとって必要なものなんてそうないから。
小さなリュックだけを背負い、玄関に立つ。
そこで一つ息をつき、目を閉じる。
怖くない、怖くない。
ここはあの家ではないし、外は恐ろしい場所ではない。
呪文のように自分に言い聞かせる。
きっと外には、広い世界が広がっている。
則正さんや幸也さんが働き、祐介くんやヒオが学び、一日の大半を過ごす場所。
僕も、その仲間入りをするんだ。
決心し、目を明ける。
靴を履いて、玄関のドアに手をかけた。
そのとき。
怖い怖い怖い怖い怖い!!
突然沸き上がる恐怖が僕の体を支配する。
手は震え、足はすくみ、呼吸が荒くなるのが自分でも分かる。
何が、何で、こんなに怖いのか分からないけれど、今ここにある全てが怖い。
「外にはおまえなんかの居場所はない」
「おまえにはこの部屋がお似合いだ」
「外に出ようなんて考えたらこうだ!」
頭のなかをたくさんの声が駆け巡る。
ああ、殴られる!
膝をつき、頭を抱える。
怖い、痛い、怖い、痛い、もうしません。
もう出ようなんて考えません。
だから、だから、
「もう殴らないで…」
苦しい、息ができない。
ただひたすら怖い。
もうダメだ。意識が遠くなる。
このまま落ちてしまおう、そう思ったとき。
「カイ!」
懐かしいような声がして、何か暖かいものに包まれたのが分かった。
「…ごめ、なさ…もう、しません…」
必死に言葉を紡ぐ。
「いいんだよ、何も考えなくていいんだ」
全ての感覚が遠くなっている僕にも、その声の主がぎゅっと体を抱き締めてくれているのが分かった。
さっきまで怖くて怖くてたまらなかったのに、このぬくもりにすべての恐怖が溶かされていくようだ。
体に少しずつ酸素が入ってくるのが分かった。
きっと、ここは、怖くない。
その感覚に妙に安心して、僕はそのまま意識を飛ばしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます