第6話 好きなものを好きでいること②

それからのことは断片的にしか覚えていない。

とにかく怖くて怖くて、ずっとヒオと二人抱き合って震えていたこと。

祐介くんが落ち着きなく部屋を動き回っていたこと。

それくらいだ。


電話は川上さんからで、幸也さんがバイト中に事故に合い入院したこと、則正さんが病院に向かっていることが告げられたそうだ。

幸也さんが今どんな状態なのか、どれほど怪我をしているのか、その電話からはまったく分からず(川上さんもその時点では知らなかったらしい)、分からないことへの恐怖におしつぶされそうだった。


「ただいまー」

則正さんの声がしたときにはもう7時を回っていた。

あたりは真っ暗で、僕たち3人は電気もつけず暗い部屋で固まっていた。

「みんな、大丈夫か?」

電気を付けながら則正さんは僕たちを見つめる。

そのいつもと変わらない様子に、途端に涙が込み上げてきた。

「則正さん!」

「幸也さんは?」

飛びかかるような勢いの僕たちをしっかり受け止め、則正さんは口を開いた。

「さっき病院に行ってきたけど、右足を骨折しただけであとは元気そうだったよ」

その言葉を聞いたとたん、僕は力が抜けて座り込んでしまった。


「大丈夫か、カイ」

則正さんがしゃがんで背中を撫でてくれる。

「…よかった、よかったよぉ……」

それ以外に言葉が出ない。

気が付けばヒオも祐介くんも僕の隣で泣いていて、則正さんが皆の頭を撫でてくれた。

「怖かったな。もっと早く連絡できたらよかったんだけど、ごめんな」

則正さんのところには、川上さんからスマホに電話が直接入ったらしい。

幸也さんの様子を一緒に見に行きたい、との言葉に職場を飛び出し、すぐに川上さんと合流して病院に向かったそうだ。

幸也さんの様子を見てすぐ連絡を入れようとしたらまさかの充電切れ。それで慌てて帰ってきたのだという。


「幸也さん、バイト中の事故だったのか?」

少し落ち着いた祐介くんが則正さんに聞いてくれた。

正直僕もヒオも全然冷静になれず、何をどう聞いていいのか分からないでいたから、則正さんの言葉を待つ。

「ああ。雨で濡れてる白線を踏んだ時、スリップしたらしい」

配達を終えて帰るときでよかった、と幸也さんは言っていたらしい。

最低限の迷惑を掛けただけで済んだから、と。まったく幸也さんらしいと思う。

「検査の結果、足以外は問題ないんだけど、頭も打っていたから念のため今日だけ入院することになったよ。明日の10時に迎えに行ってくるから、帰ってきたら叱ってやろうな」

いたずらっぽく則正さんが言う。

よかった。明日にはまた会える。


「おーい、鍵開けっぱなしだったぞー」

入ってきたのは川上さん。どうやら則正さんを家の前で下ろして、車を停めに行っていたらしい。

「坊主たち、大丈夫だったか?」

「大丈夫なわけないだろーが!」

ヒオが間髪入れずに叫ぶ。

川上さんの焦った電話のせいで震えあがっていた反動だ。僕だって叫びたい気分だった。

「悪かったな、オレも焦ってたんだよ。ほらこれ、詫びの弁当だ」

川上さんが持ってきてくれたのは、高級焼肉弁当。

確かに晩ご飯の準備なんて、頭の中から吹っ飛んでいた。

「これ食って、明日幸也が帰ってきたとき元気に迎えてやれ」

「はい!」

安心しておなかがすいた僕たちは、いつも以上のペースでお弁当を平らげたのだった。


「ごめんな~、心配かけて」

幸也さんが帰ってきたのは次の日のお昼ごろ。

お通夜状態だった昨日の様子を川上さんと則正さんに聞いて、ものすごく反省したらしい。

「もう、心配したんだからな」

「無事で本当によかったです」

僕たちの言葉にニコニコしている幸也さんの手には、松葉杖が握られていた。

「しばらく仕事も行けないし、家のこと手伝うよ」

「え、しばらくって、仕事辞めないんですか?」

驚いた。事故にあって痛い思いをして、それでもまだ続けるなんて。

「うん。休暇とって、また復帰する」

「なんで?怖い思いしたのになんで?」

頭がパニックになりそうだ。幸也さんがまた事故にあってしまうかもしれない。

「カイ」

幸也さんがそっと抱きしめてくれる。

「こんなことになっちゃったけど、オレやっぱりバイク好きなんだよ。だから、今の仕事まだやりたいんだ」

幸也さんの言葉が響く。

幸也さんの「好き」はまっすぐだ。それでいて強い。

「…絶対、絶対もう事故らないで」

「…わかった。約束するよ」

差し出された小指に自分の小指を絡め、約束する。

幸也さんがまた雨の日にバイクに乗るのは怖いけれど、好きなものを好きでいられる幸也さんが、とてもかっこよく見えた。



「ただいまー」

今日もまた、雨の日の仕事を終えて幸也さんが帰ってくる。

無事に帰ってきてくれたことにほっとしながら、僕は声をかけるのだ。

「おかえりなさい!」

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