第9話 まっすぐに①


その日のヒオは、なんだかおかしかった。


いつもならうるさいくらいの大きな声で「ただいまー!」と叫びながら家に入ってくるし、入ったら入ったで好きなおやつを摘まみながら、今日あったことを聞いてもいないのに喋りまくり、もうとにかく騒がしいのだ。


そんなヒオが、黙って家に入り、僕の「おかえり」にも無言のままリビングを素通りして部屋に入ってしまった。

これはきっと、何かあったに違いない。


僕たちは皆、小さいけれどそれぞれの部屋を持っている。

皆のことがいくら大好きでも、やはりもともとは他人。気を遣う場面がないともいいきれないし、一人で過ごす時間というのは誰にとっても大切なものだ、というのが川上さんの持論なのだそうだ。


そんなわけで、自分の部屋に入ってしまったら最後、ヒオの様子を知る術がないのだ。

物音一つしない部屋のドアの前で僕は立ち尽くした。

声をかけても反応は全くなく。

それでも、ヒオが寝ているとは到底思えなかった。

きっとヒオは起きていて、膝を抱えて部屋の片隅でじっと座っているはず。根拠もなく僕はそう確信していた。

誰かが帰るまで待つしかないか、と僕はそのままキッチンへと戻ったのだった。


理由が分かったのはその日の夜。

結局晩ごはんのときにも部屋から出てこなかったヒオを気にしながら、四人で食卓を囲んでいたとき、川上さんがやって来たのだった。


「ヒオは?」

「学校から帰ってきてずっと部屋に閉じ籠ってるんです」

「そっか~…」

何か知っている風にため息をつく川上さんに、祐介くんが切り込んだ。

「ヒオ、何かあったんですか?」

「んー、ちょっとな。学校でもめて」

言いにくそうに川上さんは言う。

「そうなんですね」

「最近落ち着いていたんだけどな」

口々に言う我が家の兄たちは不思議そうにしている。


ヒオがこの家に来た頃は、学校でもしょっちゅう問題を起こしていたそうだ。

集団行動が苦手で馴染みにくく、それなのにやたらと正義感は強いヒオにとって、学校は非常に居づらいところだったらしい。

一人でいるだけで陰口を叩かれ、勝手な噂が回り、たまたま目撃したいじめ行為を止めては喧嘩となり、しかも細腕ながら人の急所を仕留めることに天性の才を持つヒオは相手に怪我を負わせることもしばしばで、川上さんは何度となく学校に呼び出されていたという。

「ま、学校なんてろくでもない場所だからな」というのは幸也さんの言葉で、その言葉が当時のヒオを随分と慰めたそうだ。


「ちょっと、ヒオんとこ行ってくるわ」

ゆっくり動き出す川上さんに、着いていきたい気持ちを抑えて声をかける。

「ヒオのこと、お願いします」

「おう」

こんなときの川上さんは本当に頼りになる。自分たちの力ではどうにもならないとき、僕たちは皆いつも川上さんに助けてもらっていた。


階段を上る川上さんの後姿を見送ったまま立ち尽くしていた僕は、

「ほら、カイも落ち着きな。こんなこと、よくあったんだから」

則正さんに、ぽんっと背中を叩かれた。

自分で思っている以上に緊張していたみたいだ。

「そうそう。久しぶりで忘れてたけどね」

「だって、ヒオだぜ。揉めない訳ないよな」

僕を落ち着けるためだろう、皆が代わる代わるそんなことを言う。

「そうですね。なんと言ってもヒオだし」

揉めるし、へこむし、それでも立ち直りだけは異様に早い。それがヒオだ。


「ヒオが部屋から出てきたときのために、僕、夜食作っときます」

ごはんも食べずにひき籠っているヒオは、きっとお腹をすかせているに違いない。

もちろん夕飯も残してあるけれど、それだけじゃ足りないだろうから。

「それいいね!」

「絶好、一言目は腹へった~、だろうな」


あたたかいごはんと、何か甘いもの。

ヒオの求めているものなんて言われなくても皆知っている。

何があったのかは知らないけれど、皆こうやってヒオを待ってるから。

だから、早く出てこい、ヒオ。

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