5、ソリテアー~終末論者の一人遊び~

 上も下も分からない真っ暗な闇の中にヴィラは漂っていた。ただ、彼女が胸に抱くブレスレットだけが、未だにか細い光を湛えている。


 そんな闇の一部が切り離され、ヴィラそっくりのヒト型を作り出す。


「もういいんじゃない。楽になっちゃえば」

「ダメだ。私は脱出してみせる」

「なんでそんなに頑張るのよ」

「私は"価値"ある人間でなければいけない……」

「なぜ? なんのために?」

「国のため、民のため……」

「求めれてないのに? 要らないのよ、私なんて」

「高貴な生まれの義務だ。私は様々な"犠牲"によって生かされている」

「周りを見なさい、みんな勝手にしてるじゃない。私も自由に生きればいいのに、素直にね」

「感情ばかりでは国は滅ぶ。私は国を、民を第一と考えて……」

「私が一番"想い"に流されてるのに? "犠牲"に拘っているじゃない」

「私が"無価値"であるなら、私のための"犠牲"も"無価値"となってしまう」

「その"犠牲"は、誰の犠牲のことかしら? その"価値"は、"犠牲"の主に向けた特別な"価値想い"じゃなくって?」


 二人の間にしばしの沈黙が流れる。


「私は平等に"価値"を判断をしている」

「私がその"誰か"の特別になりたいだけではなくって?」

「ち、違う! 彼にはもっと相応しい女性ひとが……」

「そうよね、自分を戒め、痛めつけ、その身を黒く染めて……、こんな私なら彼に相応しくない」

「そうじゃない、私は未来の皇后たる義務を果たすべく……」

「皇太子に突き放されたのに?」

「それは……」

「嵌められ、貶められたのに?」

「だがしかし……」

「もう皇后になれないのに?」

「いや、まだ……」


 二人は闇の中、くるくると回りながら沈んでいく。


「彼と一緒に居られるだけでよかった。あのころみたいに」

「それは、できない」

「想いを告げたい、聞いてほしい」

「ダメだ。そんなことはできない」

「そう、だから我慢する」

「大丈夫だ、私なら」

「恋しい、でも我慢する」

「考えてはだめだ」

「愛したくても、我慢する」

「私なら耐えられる」

「苦しくても、我慢する」

 辛くても、我慢できる

 寂しくても、我慢

 切なくても、我慢

 悲しくても、我慢

 我慢

 我慢

 我慢

 ……




 でも、

 悲しい

 切ない

 寂しい

 辛い

 苦しい

 愛したい

 愛されたい

 抱きたい

 抱かれたい

 この身を捧げたい

 壊れるほどに

 狂おしいほどに


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 どちらの彼女なのか、いや、あるいはそこには元々一人しかいなかったのか。

 誰のものとも分からない悲鳴が、闇の中に響く。



『私ならば貴女を苦しめない、悲しませない』

 漆黒の空間に光が差し込み、黒いスーツ姿の男が現れ、ヴィラに手を差し伸べる。

「ぁ、ぅ、……」

 目は落ち窪み顔色は蒼白、茫然自失と言うべき状態にも関わらず、天からの救いのようなその手を、ヴィラは取らない。


『貴女が望みなら、姿も変えて見せよう』

 黒スーツ姿が霞のごとく薄くなり、クロスの姿に変容する。

『この者になり切ることもできる……』

 そう言うと、偽のクロスはその手にフライングボードや木製のミニオンを出現させた。

『貴女の望むものならば、なんでも生み出そう。』


『さぁ、私と共に……』

 急激に進む浸食に、ヴィラを守る防壁は限界を迎えようとしていた……。






 ガタンゴトンという規則正しい音。意識が徐々に浮上し、彼は自分が電車に揺られていることに気が付いた。

「俺、居眠りしてた?」

 腕時計を見ると、まだ朝の8時半。出勤時間には充分間に合う時間だ。

(なんか長い夢を見ていた気がするなぁ)

 彼はあくびをしながら軽く伸びをし、目線を上げた。その視線の先、車窓の外にある"中央府"の建物が目に入った。

(なんだっけ? あそこに行かないといけないような……)


 彼は中央府駅で下車した。朝の通勤時間にも関わらず、駅のホームには人間がほとんどいない。居るのは女子高生が一人だけだった。

(俺、なんで下車したんだ?)

 これから"いつものように"出社しないといけない。にも関わらず、この駅で降りてしまった。

 自分でも理解できない自身の行動に、彼は頭を抱える。


「もしかして、クロス氏っすか?」

「え?」

 そんな彼の背後から、女性が声をかけてきた。

 振り返った彼の目の前に居たのは、先ほどの女子高生であった。

 割と可愛らしい容姿をしているが、背負ったリュックにはキャラクターのキーホルダーが下がっており、手には携帯ゲーム機を持っている。どこか残念な空気を漂わせる少女だ。

(この雰囲気、既視感が……)


「あ、やっぱりクロス氏っすね!? うわっ、実はこんなオジサンだったんすね」

 彼はアラサーのサラリーマンである。が、彼自身としては"オジサン"呼ばわりは心外であった。

「"クロス"って、俺の名前は……」

(俺の名前は……、なんだ?)

 途端、彼は急速に"クロス"の記憶がよみがえる。まるで凍り付いていた氷が溶けだすかのように。

「って、お前、まさかピラットか!?」

「そうっすよぉ、ピラットさんですよぉ」

 女子高生あらため、ピラットは笑顔で頷いた。

(うむ、見た目は普通、いやちょっとかわいいのに、中身はアレなのか……。いや、まぁ、あっちのピラットも、黙っていればそれなりな美少女だったか……)

「今、なんか失礼なこと考えてないっすか?」

 ピラットは半目でクロスを睨む。

「あ、いや、お前女子高生だったんだなぁって」

「そういうクロス氏は、随分くたびれたサラリーマンっすね……。うわっ、まさか今更自分に欲情っすか!?」

 ピラットはわざとらしく両手で体を抱え、震える真似をする。

「するか! いや、それよりも、よく俺だってわかったな」

「……、そうっすね、なんででしょうね」

 そう言いつつ、クロスは中央府駅の改札を出る。ピラットも自然と同じ方向へと向かう。


「ところで、どこ行くんすか?」

「そういうお前もどこ行くんだよ」

 二人は正面に見える中央府を見上げる。



「そうそう、『ラブレス』の追加DLCが発売されてたんすよ! よかったっすね、クロス氏も出てたっすよ!」

「はぇ!?」

 二人で並んで歩きながら、ピラットがそんなことを述べる。

「まぁ、残念ながら、クロス氏出現ルートはバッドエンドオンリーっすけど。でも男前悪役令嬢は人気沸騰っすよ」

「お前、本当にあの世界がゲームだと思ってるのか?」

「……」

 楽し気に語るピラットに、クロスは冷静に問いかける。そこに関しては、ピラットにも思うところがあるのか、気まずそうに俯く。



 二人は無言のまま、中央府の建物前にたどり着いた。正面はちょっとしたロータリーのようになっており、ガラス張りのロビーには、人が誰も居ない。ガラス張りの一画が自動ドアになっていることを確認したクロスは、そこへ歩を進める。

 歩きながら、先ほどはちょっと意地悪すぎたかと思い直し、クロスが新たに話題を振った。

「それはそうと、よくゲームなんてやる暇あったな?」

 クロスは先ほど電車で目覚めたばかりであるため、とてもゲームをする時間などあるとは思えなかった。

「そりゃ、まあ、半年もあれば、そのくらいの時間はあるっす」

「え!? 半年!?」

 クロスは立ち止まり、目を見開いてピラットを見た。

「え? なんすかその鳩みたいな顔」

「そこは"鳩が豆鉄砲"とかじゃないのかよ……、じゃなくて、半年? 俺はついさっき目覚めたばかりなんだが……」

「えぇぇぇぇ!?」

 お互いに驚愕の顔を向け合う二人。

(どこかで半年の時間差が発生している!? まさかあっちの世界でも半年経過している、なんてことになってるんじゃないだろうな……)


『こっちとあっちでは"時間"の流れが違うからね』

 唐突に声をかけられ、振り向く二人。いつの間にか開いた自動ドアの向こう側。中央府ロビーの中に一人の人物がいた。

『おかえり、と言うべきかな?』

 10代前半くらいの少年が、クロスとピラットに向けて言う。クロスはこの少年の声に聞き覚えがあった。

「その声は、スミシー? でもその姿は……」

『前に一度、ここで会ったね』

 クロスはスミシーの言葉に思い返す。転生前にも同じく電車に乗っていた。そして中央府駅で下車し……

「そうだ、ここで会った……」

 そして意識が薄れたかと思えば、あの世界に転生していたのだ。


「俺は、どうしてここに? いや、ここは"何"なんだ?」


 少年姿のスミシーが地面を指さす。その指先から、地面が消失し、周囲の建物が消える。気が付けば天高く、遥か雲の上から街を見下ろすほどの高さに浮かんでいた。

「うわぁぁ!!」

「ぎゃぁぁあ!!」

 クロスとピラットは一瞬悲鳴を上げる。が、しかし彼らは落下することはなく、依然として空から街を見下ろしていた。



「ここはソリテアー。終末論者が作り出す仮想世界だ」



 遥かな太古、発展した科学力を持った人類はある"存在"を生み出した。その"存在"により世界は汚染され、文明は滅んだ。

 滅亡後、世界各地で細々と生き残った人類は、それぞれ独自に復興の道を歩んでいた。しかし、その"存在"もまた、滅亡後の世界に散らばり、変容し、様々に姿を変え、残っていた。

 ある場所では人類を再び滅ぼし、ある場所では人類と共生した。その内の一つが、終末論者になった。


 終末論者は望郷に囚われている。だから最も豊かで、最も安定していた時代をずっと繰り返している、永遠に……。それがこの世界だ。



「なら、俺たちは、その仮想世界の住民だったってことか……?」



 そうだよ。ショックだった?



「……、いや、案外そうでもない」


「ちょ、ちょっと待ってほしいっす! ならあの世界が乙女ゲームなのはなんでなんすか!?」



 あの世界は現実世界だ。終末論者は悪趣味でね。現実世界の情報を集めては、"終末"の予想を繰り返す。まるで、この仮想世界こそが"理想世界"であることを証明するかのように……。

 これまでの100回を超える"終末"も、すべて終末論者が予見していた。そして、終末論者の予想は、この世界では何かのフィクション作品に置き換わるんだ。


「そ、それがラブレスってことっすか……」



 スミシーが指を鳴らす。すると地面が出現し、周囲に建物が現れた。気が付けばクロス達は中央府の建物に立っていた。


 この世界、そして外の世界の事実にクロスは驚いた。驚きはしたが、不思議とショックは受けていなかった。案外すんなりと受け入れていることに、クロスは首を傾げた。

「君らは、既に現実世界で一人の人間として何年も生きてきた。その人生が、君たちの根源となっているんだよ」

 スミシーの言葉で、クロスはなんとなく理解した。

(そうか、俺はもう、この仮想世界に生きるくたびれたサラリーマンではなく、アディテアシュリ皇国に生きる冒険者クロスなんだ……)


 一つ納得したところで、クロスは改めてスミシーに向き直る。

「それで、お前が"終末論者"なのか?」

 少年姿のスミシーは首を振る。

『僕らは"トレイター"。"世界を汚染し文明を滅ぼした存在"を滅するために生まれた……、はずだ』

「はず?」

 スミシーあらため、トレイターは、少し寂し気な顔で頷く。

『終末論者も、僕らも、長い時を越え過ぎた。情報量が多くなりすぎて、上書を繰り返した結果、当初の存在目的は大きく失われてしまった……。今の僕らは終末論者の予想する"終末"を回避するために動いている』

 "最も、これまでもほとんど回避できなかったんだけどね"とトレイターは力なく笑う。


「俺たちを現実世界に転生させたのは、"終末回避"のため?」

 トレイターは小さく頷きつつ、ピラットに視線を向ける。

『あ、君はただの手違いだから』

「がーんっ!」

 あっさり明かされたショッキングな情報に、ピラットは少々喚いていた。が、クロスが雑に黙らせた。




『さて、現在ソリテアーは超高速演算中だから、外界はほとんど時が止まったような状態だ。けれども、時間は有限だ』

 トレイターは中央府ロビーを横切り、奥にある壁の一画に手を当てた。トレイターの手から黒い染みが広がり、穴がぽっかりと開いた。

『君は、彼女を救いたいんだろう? 彼女はこの先だ』

 トレイターが指し示す黒い穴の中には、何かがぐるぐると渦巻いている。


『あの漆黒の竜は"大崩壊の亡霊"と呼ばれている。500年前の大崩壊を引き起こした元凶だ。あれもまた、"世界を汚染し文明を滅ぼした存在"の残滓なんだよ。"終末論者"とはまた別の個体だ。だけど、両者は起源を同じくするがゆえに、このソリテアーと演算領域の一部が繋がっているんだ』

 トレイターが黒い穴を指さしながら説明する。つまり、この穴がその"繋がり"である。


『だが気を付けたほうが良い。この先はソリテアーの物理演算から外れた混沌の領域。人を探すどころか、人格を維持することも難しい。それでも行くのかい?』

 トレイターは問いかけるが、クロスには迷う理由はない。彼は力強く頷いた。

『そう言うと思っていた。ならば一つアドバイスを。この中では、意思を強く持つことだ。人格が混沌に飲み込まれないように』

 "だが、探し人を見つけるのは容易ではないよ……"と、トレイターは最後に付け加えた。

 そんな二人の横で、ピラットは"ひらめいた!"という表情を見せた。


「愛っすよ!」

 シリアスな空気を突き破り、ピラットは輝くような笑顔を浮かべつつ大声で述べる。

「強い想いと愛が、きっと二人を引き合わせてくれるっすよ!!」

「おま、ゲームのやりすぎだろ」

 あきれ顔のクロスの言葉を、トレイターが制する。

『いや、悪くないかもしれない』

「え、マジで?」

「ほら!」

 トレイターに肯定され、やたらドヤ顔になるピラット。


「愛する人を救うため、混沌に立ち向かう! まさにヒーローっすね!」

「彼女とはそういう関係じゃないけどな」

 嬉しそうなピラットとは対照的に、クロスは冷めた表情で否定する。

 クロスの憮然とした態度に、ピラットはムッとした表情で反論する。

「この期に及んで往生際が悪いっすね。好き合ってるのバレバレっす、彼女明らかに攻略されたがってるっす、露骨っす、スイートっす、うざいっす」

「"うざい"は言い過ぎだろ。いや、そもそも立場とかな──」

 尚も否定要素を述べるクロスに、ピラットは怒りが込み上げてきた。彼女が思い出すのは、ここに飲み込まれる直前の出来事。ヴィラは苦しんでいたのだ。クロスを巻き込んだことを後悔し、自分を責めていたのだ。クロスが手を差し伸べる以外、彼女を救うことはできない。


 顔を真っ赤にしたピラットが、クロスの後頭部にゲンコツをぶつける。が、手の方が痛かった。

「こ、このどヘタレが! 覚悟を決めろ! 好きなんだろ!? 助けたいんだろ!? ならさっさと行って、囚われのヒロインを掻っ攫ってこい!!」

 傷む手を振り半分涙目になりつつ、だんだんとトーンの落ちた声でピラットは尚も続ける。

「彼女は待ってるんす、そんでヒーローとヒロインが結ばれて、ハッピーエンドにするんすよぉ……」

 "運命を、覆すんす……"と呟くピラットは、憤慨から一転し、涙を見せていた。

 ピラットは"ラブレス"の追加DLCをプレイしていた。そして、その先には"バットエンド"しか存在しなかった。彼女も彼女なりに、"自分たちが生きた世界"の運命に、思うところがあったのだ。


 ピラットの行動に、鳩が豆鉄砲を食らった顔で後頭部を押さえていたクロスだったが、その目に、強い意思の光が宿った。


「……、そうだな、俺ヘタレだった……、ありがとな」

 覚悟を決めたクロスは、黒い穴の淵に手をかける。

「礼は物で返してほしいっす。必ず借りを返しに帰ってくるっすよ」

 ピラットの物言いに、クロスはニヤリと笑みを浮かべる。

「わかった。必ず戻る!」

『これ!』

 飛び込もうとしたクロスに、トレイターが刀を投げ渡す。

『すまない、普通の刀だ。このくらいしか手伝えないけど……』

「いや、助かる」

 二人にサムズアップし、刀を片手にクロスは穴へ飛び込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る