2、現出

 ヴィラの専属護衛兼メイドであるラクティは、酷い茶番劇から抜け出した主人を追いかけた。

 ダンスホールを飛び出した彼女の主人は遊歩道を越え、庭園を横切るように進むと、中央にある東屋跡で足を止めた。


 ラクティは自身の主人に声を掛けようとし、躊躇した。

(今のあのに、私がどんな言葉をかけるの? どんな言葉をかけられるの?)

 かける言葉が見つからず、ラクティは足に根が生えたように動けなくなる。

 思い出されるのは5年前のあの日。ヴィラとラクティと、そしてクロスの運命が大きく変わったあの時。


──貴女は生きるの! ポートを無駄死にさせない!!


 ヴィラは華族である。貴人として育てられた。当然、その責任も言葉としては認識していたであろう。


(でも、その意味を痛烈に焼き付けたのは、間違いなく私の言葉……、それはおそらく呪いとなり、あのの心を縛っている)


 あの日、あの時から、彼女の主人たるヴィラは、自分を追い込むように勉学や鍛練に打ち込むようになった。何かに突き動かされるように、何かに呪われているかのように……。

 ラクティも、あの日から主人を護りたい一心で自分を鍛えた。マナーや作法も覚え、メイドとしても完璧を目指した。全てはヴィラに掛けてしまった言葉呪いの、その負担を少しでも軽くしたいとの思いから……。


(そんな私が、今のあのに何を言えるというのか、「生きていればいいこともあるさ」とでも言えばいいの……?)

 誰であれば、今の彼女を慰めるられるのか……。

 ラクティの脳裏によぎるのは、幼き日に"彼女のヒーロー"であった男の姿。あの朴念仁はこんな時にどこで何をやっているのか。

(いや、お嬢様がこの状況に置かれている以上、彼も恐らくは"実行犯"とされているはず。であるならば、相応な事態に巻き込まれているのか……)


 ラクティの逡巡が彼女の足を止め、前に進むことを躊躇わせる。そんな彼女の背後から、ドタドタと貴人らしからぬ足音が近づく。


 ラクティは振り返る。そこに居たのは"彼"を護衛として雇い、この学園に連れてきた少女だった。

 いつも突飛な行動をとり、性格に少々難のある少女だが、

(今のお嬢様に、私が話をするより"多少"はマシか……)

 人選としては最悪に近い。だが、"お嬢様に悪感情を抱いていない"という、現状では数少ない人物である。それだけ・・がメリットであり、それ以外には多々デメリットが存在する。非常に不本意かつ業腹ではあるが……。




 バタバタと、おおよそドレスを身に付けた令嬢の行いとしてはあり得ない走り方で、必死にヴィラを追いかけたピラットは、前方で足を止めるメイドのラクティと目が合った。

 ラクティは非情に険しい表情ながらも、ピラットに向けて頷く。

(任されたっす!!)

 こういう時に力を発揮するのが、"できる女"ってやつだ。ラクティは自分の無力を悟り、あれほど辛そうな顔をしているのだろう、と、勝手な解釈でピラットは自信を持ち、ラクティに対して力強くサムズアップして応えた。

 ラクティの苦々しい表情に見送られ、ピラットはヴィラへと近づく。



「ヴィライナ様……」

 ピラットがヴィラの後ろ姿へ声をかけると、彼女はビクリと震える。ヴィラが振り向かないまま、しばしの沈黙が流れる。


「あぁ、ピラット嬢か……」

 振り向かないまま、ややかすれた声で、絞り出すようにヴィラが応えた。


「すまない、いろいろと、混乱していてな……」

 努めて明るい声を出そうとするヴィラだが、声の震えは隠しきれていない。

「酷い濡れ衣もあったものだな……、私が殺人の黒幕とは──」

 そこまで述べたヴィラは、唐突に言葉を止める。

「私が黒幕……? それは……」


 ヴィラはドレスのスカートを翻し、ピラットに詰め寄ると両肩を掴んで問いただした。

「クロスは! クロスはどうした!?」

 ヴィラはその顔を寄せピラットに詰問する。充血した目には、怒りが溢れていた。

「ち、治安省に……」

 その言葉で、ヴィラの顔面は一気に血色を失い、ふらりとピラットから離れた。


「あぁ、私だ。私の、せいだ……、私が頼まなければ……」

 ヴィラは額に手を当て、危ない足取りで後ずさる。

「ち、違うっす! 彼はきっと頼まれなくても助けたっす!」

 ヴィラは俯き、首を振る。

「私が、巻き込んでしまった……、彼を傷つけたくなかったのに、彼だけは、傷つけたくなかったのに……」

 ヴィラはその顔を両手で覆い隠し、肩を震わせる。

「ヴィライナ様……」


「彼を巻込んだ……、ダメだったのに……、私はまた……、なんでこんな……、私どうしたら……」

 俯いたままのヴィラは、顔を手で覆ったまま、うわ言のように呟く。

「あぁ……、もうダメ……、私もう無理……、クロスが……、クロスぅ……、ふぐっ、うぁ、うぅぅ……、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 呟きはやがて慟哭に変わる。その指の隙間から涙が滴り、石造りの床を濡らす。



 取り乱すヴィラの様子に、ピラットはオロオロと慌てる。

「お、落ち着くっす! 落ち着いて!!」

 こういう時はとりあえず抱きしめて落ち着かせるしかない! と思い立ったピラットは、その貧相で包容力皆無、加えてヴィラよりもかなり小柄な体躯で彼女を抱きしめようと手を伸ばし、自分の手首に嵌るブレスレットに気が付いた。


「そうだ! これ、クロス氏からっす!」

 ポーチに入れてあったヴィラの分のブレスレットを取り出し、ピラットは彼女の前に差し出した。

 ピラットから"クロス"の名を聞き、ヴィラは僅かに落ち着きを取り戻す。

「彼、から……?」

 差し出されたブレスレットに、ヴィラはおずおずと手を伸ばし、だが、その手はブレスレットに触れる前に引き戻される。

「私には、これを受け取る資格、ない……」

 彼女は顔を逸らし、小さく呟いた。

「な、何言ってんすか!!」

 ピラットは声を荒げ、ヴィラの胸にブレスレットを押し付ける。

「くれるってモンは貰っとけばいいんすよ! 資格とかそんなもん関係ないっす!」

 ピラットの勢いに押され呆気にとられた表情のまま、ヴィラはブレスレットを受け取った。



 ピラットが内心で、"何とか渡せたっす"と安心していると、ヴィラは泣きはらした目で、やや無理やりに笑顔を見せた。

「やっぱり貴女は面白い人だ……」

「へ?」

 ヴィラは目尻に涙を溜めたまま、ピラットに微笑みかける。

「貴女と彼には、どこか似た空気がある……。彼のそばに貴女が居てくれるなら、安心だ」

 一瞬何を言われたのか理解できず、今度はピラットが呆けた表情となった。だが、言葉の内容を反芻するにつれ、ピラットは猛烈に腹を立てた。

「はぁ? 16、17の小娘がなにを年寄みたいな枯れたこと言ってんすか! 自分が居れば安心? なわけないじゃないっすか! アイツはいつでもヴィラ様が中心なんすよ? いっつもヴィラ様を目で追ってるし、ヴィラ様が危ない時にはなりふり構わず吹っ飛んでいくし、ヴィラ様のために殿下を始末しようとするし……、これだってヴィラ様のために作ったに決まってるじゃないっすか!」

 少しはわかってやんなきゃ、アイツがかわいそうっす! そういいつつ顔を逸らすピラット。

「ふ、ふふ、貴女も16、17の小娘じゃないか……」

「あ、え、その、えっと……」

 薄い笑みを浮かべつつヴィラが述べた言葉に、ピラットは反論できずに口ごもる。まさか、前世も含めたらアラサーですとは言えない。

 そんなピラットの様子を気にせず、ヴィラはためらいならがも、ゆっくりと両手で包み込むようにブレスレットを握る。


「ピラット嬢、ありがとう。少し気持ちが落ち着いた……」

 見た目上、ヴィラはいつもの調子に戻ったように見える。そんな彼女に、ピラットは少し寂しい気持ちになった。

 ヴィラは"もう無理"と呟いていた。つまり、彼女は無理をしているのではないか……?


 だが、そんな感傷も、次の瞬間には吹き飛ぶこととなった。


 東屋跡の床、石畳に亀裂が走り、そこから黒い気体が噴き出した。

「お嬢様っ!!」

 少し離れた位置に居たラクティは、この異常事態に主人の元へと駆け寄る。が、彼女が駆けつける前に、さらに噴出の勢いは増し、ヴィラとピラットは黒い奔流に飲み込まれた。

「お嬢様ぁぁ!!」

 姿の見えなくなったヴィラを追い、ラクティは黒い奔流へと飛び込み、だが、黒い気体が放つ衝撃波により弾き飛ばされた。




 黒い奔流が齎す闇の中。気体は粘度を増し、気体と液体の中間のような状態になっていた。

『お前の悲痛な叫び、聞こえたぞ』

 闇の中に浮かぶヴィラの耳に、聞き覚えのある声が響く。

「え?」

 漂うヴィラの近く、黒いスーツの男が姿を現した。


『お前を救いに来た。さぁ、二人で永遠を生きよう……』

 黒いスーツの男が手を差し出しながら述べる。男は滑るようにヴィラに近づき、だが、彼女を中心として発動した防壁によりその手が弾かれた。

『ぬぅ!?』

 ヴィラの胸元、しっかりと握っていたブレスレットが光を放ち、彼女に近づく外敵を阻む。

「クロス……」


「さっすがの独占欲っすね!! ヴィラ様に近づく悪い虫を寄せ付けない!」

 やや距離のある位置で、同様にブレスレットにより守られているピラットが得意気に叫んだ。

『なんだ貴様は。異物に用はない』

 "悪い虫"扱いされ気を悪くしたのか、黒いスーツの男は軽く手を振り、ピラットは防壁ごと、乱雑にうねりの中に飲まれて消えていく。

「ピラット嬢!!」

「んなぁぁ、ひ、ひどいっすぅぅぅぅぅ……──」

 ヴィラの胸元に抱かれたブレスレットはカタカタと震え、徐々にその身を削りつつあった。




「ぐっ」

 衝撃波に弾かれたラクティは身を起こし、再び黒いうねりに向き合う。

 彼女の目の前で、黒いうねりはますます巨大化し、何かの形へと成形されていく。


「なっ……」

 やがて、黒い奔流は体高が30mを超える巨大な漆黒の竜へと変貌した。

 竜は生まれたての赤子が産声を上げるように、空へと吠えた。

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