5、バレンタインじゃないっす、スイートハートっす
アトラは今日、強い決意を胸に秘めていた。
「できた……」
食べやすい一口サイズで成形したチョコレート。それを清潔な布で丁寧に包む。
今日は"スイートハート"と呼ばれる日である。"スイートハート"の日には、女性は自身の想い人へチョコレートを渡すという習慣があるのだ。
アトラは朝早起きし、今日のための準備をしていた。
「おばさん、調理場貸してくれてありがとうございました!」
以前にも調理場を貸してくれた寮の管理人である老婦人に礼を述べ、駆け出す。
「ふふ、若さだねぇ」
その後ろ姿を老婦人は微笑みながら見送る。
(十分間に合う時間。早起きしてよかった)
寮から駆け出るアトラ。彼女や素早く視線を動かし、その人物の存在を確認する。
「!?」
建物の影に身を潜め、いつも通りにアトラを観察していたピラットは、突然アトラに視線を向けられビクッと震える。
(今日も居た! 予定通り!)
頬が吊り上がりそうになるのをこらえ、アトラは駆ける。
「おぉ! アトラ! こんなところで会えるとは!」
数十分前から女子寮の周辺をうろついていたレクスリーが、白々しくもアトラに述べる。彼もまたストーカーの才があるようだ。
(だめよアトラ! いつもみたいに流されていてはだめ!)
本日のアトラは一味違う。計画を遂行するためには、いかなる犠牲をも払う覚悟があった。
「あ、殿下、さっきクロスさんが手合わせしたいって言ってましたよ」
「なんだと!?」
「はぁぁ!?」
目の前のレクスリーが大声を上げるのと同時に、背後の物陰からも抗議の声が上がった。
「貴様、今日こそは決着をつけてやる!」
レクスリーが白鱗を抜剣し、赤いオーラを纏ってクロスへと突撃していく。
(てへ、ごめんなさい、クロスさん)
その様子を後目に、アトラは駆ける。
「し、強かっす……」
アトラの向かう先、木陰からフラリとジャスが現れる。
「やぁ、アトラ嬢! 奇遇だね、こんなところで会うなんて」
(完全に待ち伏せしてたのに、こっちも相当白々しいっすね)
ジャスは胸に手を当て、まるで役者のように朗々と述べる。
「これはまさに運命! 今日と言う日が──」
「あ、急いでるんで」
その横を、アトラは一切速度を緩めず通過していった。
「……」
(チャラ男の扱いが雑っす)
無言で立ち尽くすジャスの横をピラットもまた通過した。
(居た! ヴィライナ様!)
アトラの前方、彼女はついに目的の人物を捕捉した。アトラはスパートをかけ、一気にヴィラへと接近を試みる。
「ヴィライナさ──」
ゴッという音を立て、アトラは見えない何かに衝突した。彼女が見据えた先、不可視の壁の向こう側ではリウスが不敵な笑みを浮かべていた。
「
リウスの手には、盾の白鱗があった。
「白鱗まで使うなんて……」
アトラが呟くと同時に、彼女の鼻から血が垂れる。
今日のアトラはくじけない。左手で自身の鼻を押さえ、治癒閃術を使い治療しつつ、カバンから短縮されていた杖を取り出す。
「私も譲れない……、明星!」
アトラの声に応え、杖がスライド拡張し、仄かに光を帯びる。
明星の能力により、自分自身を強化するアトラ。
(防御領域も無限じゃないはず!)
強化した速力を生かし、月影の防壁に回り込むべく左右へと激しく移動する。と同時に、リウスに向けて杖から閃気弾を発射した。
月影のシールドに阻まれ、閃気の塊は空中で爆散する。
「そのくらいでは、僕の防御は突破できませんよ」
「それなら!」
アトラは強化した脚力で跳躍、さらに空中で閃気弾を下に向けて連射し、その反動を利用することでリウスの頭上を越えていく。
「行かせません!」
リウスは防御領域を消し、盾を上空へと向ける。アトラの前に六角形の半透明な防壁がハニカム状に出現し、行く手を阻む。
「くっ!?」
「遠隔防壁です。サイズは小さいですが……」
アトラが閃気弾を撃ち込むと、防壁はそれは反射してくる。
「あぁっ!」
「強度と性能には自信があります」
防壁の反射により押し戻されたアトラは、下方に閃気を放出することで緩やかに着地した。リウスは再び防壁を展開し、変わらずアトラの前に立ちはだかる。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
気合を籠め、アトラはリウスの防壁に向け、大量の閃気弾を発射した。
「無駄です! その程度の威力では、僕の防壁は突破されません!」
乱打された閃気弾が地を削り、砂煙が舞う。その隙に上空に飛ぶ影。
「同じ手を! 目くらましごときで!!」
リウスは上空に向けて遠隔防壁を展開。そしてソレが防壁に衝突した。
「え?」
上空にあったのはアトラのカバンだった。防壁に弾かれて落ちていくカバン。
見上げているリウスの間近、砂煙を突破しアトラが一気に肉薄していた。上を見上げて完全に無防備なリウスにむけ、アトラは明星を振り──
「何をしているんだ!」
「!?」
「はひっ!!」
ヴィラの一括に、ビクッと硬直する二人。
リウスの背後から、ヴィラが歩いて近づいてくる。
「全く、そんなものを学園内で振り回すとは……。二人とも、もっと分別があると思っていたのだが……」
ヴィラは腕を組み、硬質な声で二人を咎める。
「「はい……」」
二人はシュンとうなだれた。
「お嬢差、ここは"私のために、争わないで!"といって仲裁する場面かと」
そんな空気に、ヴィラの専属メイド兼護衛であるラクティが水を差す。
「ど、どこの恋愛小説だ!?」
すっかり項垂れて反省中の二人を見て、ヴィラはふぅと息を吐いた。
「幸い、人にも物にも被害は出ていない。今後は気を付けるように」
「「は、はい!」」
二人は笑顔で同時に答えた。
「それと……」
ヴィラはカバンの中をごそごそと漁り、中から小袋を二つ取り出すと、それを二人に一つずつ渡した。
「こ、これは」
アトラとリウスは、皇帝から勲章を下賜された臣下のごとく、恭しくそれを受け取る。
「ご、誤解するなよ。二人には、世話になっているからな……、あ、もちろん私が作ったわけではないので……」
最初は大きな声で語っていたヴィラも、だんだんと声が小さくなっていった。
「お嬢様は料理が壊滅的でございますので、申し訳ありませんが、わたくしめが準備させていただきました」
ラクティが楚々とした態度で付け加えた。
「一言余分だ……」
「ありがとうございますっ! 一生大事にします!!」
我に返ったアトラが小さな袋を胸に抱き、感涙に咽びながら言う。
「いや、痛む前に食べてくれ……、リウス君?」
「……」
リウスは小袋を抱えたまま動かない。
「気絶いらっしゃいますね」
「た、立ったまま!?」
リウス、渾身の立ち往生である。
「いやいやいや、死んでないっす」
「無事友チョコ交換っすねぇ」
アトラもヴィラへチョコを渡し、チョコ交換をしている姿を遠巻きに見てピラットは呟いた。
「ぜぇぜぇ」
そのピラットの横には、しゃがみ込み、肩で息をしているクロスが居た。
「よかったっすね、生贄は無駄じゃなかったっすよ」
「"イケニエ"言うな……」
クロスもチラリとヴィラを見る。アトラやラクティと楽しそうに談笑している。
(ま、いっか)
「しかし、この世界にもあるんだな、バレンタインデー……」
やっと呼吸が落ち着いてきたクロスが、しみじみとピラットに問う。
「バレンタインじゃないっす、スイートハートっす……、って知らなかったっすか? もう数年皇都にいるっすよね?」
(なんかこのやり取り、前にもやったな……)
『ボッチだったもんねぇ』
(久しぶりに声かけてきたかと思えば、言うことはそれか!)
「縁が無いんだよ(前世も現世も)。リア充爆発しろ!」
「建国祭(クリスマス)に続き、また暗い過去っすね」
今回も、同情的な目を向けている様子のピラット。だが、その裏には同情どころか、憐れみと嘲笑が含まれている。
「拙僧ならいつでも鍛錬に付き合いますぞ、クロス氏」
「……」
(あれ? ルアシャいつの間にここに居たんだ?)
「あ、もしかして、クロス氏もチョコ欲しかったっすか?」
クロスの様子を勘ぐったピラットが、ニヤニヤと笑みを浮かべつつクロスの顔を覗き込む。
「ならば拙僧も友チョコ交換を──」
「しないよ!!」
やっと再起動したリウス含め、ヴィラとアトラは揃って教室へ向かうようだ。
「まだ朝一だってのに、今日は激しかったな……」
レクスリーに追われ、ほぼ見ていなかったクロスだが、閃力の激しい衝突は感じていた。
「完全に悪役令嬢のハーレムルートっすね」
ピラットも去り行くヴィラたちを眺め、そんなことを口走る。
「え? もしかして、そんなんあんの?」
「あるわけないっす」
「……」
しばしの静寂。
「さて、自分もそろそろ教室に──」
ピラットが歩き出そうとしたとき、彼らが居た物陰とは別の場所から、ソロリソロリと出てくる人影があった。
「あれは……ヴリハスパティ侯爵令嬢?」
以前、何度かアトラに絡んでいたヴリハスパティ侯爵家令嬢のティーテ・サブス・ヴリハスパティ、その人であった。
『ただ事ならぬ様子だね……』
アトラ達の後ろ姿に向ける視線は、敵意を通り越して憎悪すら抱いているように見えた。
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