2章 ラブレス・オブリージュ 春は出会いの季節

1、入学式

 "皇国立聖皇都学園高等大学校"、通称"学園"。ピラットの弁が事実であれば、この春の新学期から、乙女ゲーム"ラブレス・オブリージュ"のゲーム本編にあたるストーリーが展開されることとなる。

 今、クロスは似合わない燕尾服を身に着け、その学園の女子寮前に立っていた。


「俺、なんでここに居るんだろうな……」

 クロスの呟きに、スミシーは露骨に嘆息しつつ応える。

『ピラットが出てくるのを待ってるんでしょ? "専属護衛"なんだし』

 学園は全寮制である。新入学生は入学式の前日までに全員入寮する必要があり、今年の新入学生であるピラットも当然入寮している。今日はこれから入学式が行なわれる。その入学式に参加するピラットをここで待っているのだ。

(それは分かっている! 分かってはいるんだが、より根源的というか、そもそも論というか)

『このやり取りはもう5度目だねぇ。いい加減受け入れたら?』

(頭ではわかっても、心では受け入れられないんだよぉ!)



 なぜクロスがここに居るのか。それはレクスリー殿下追跡作戦終了後の反省会(?)に遡る。



「これで依頼終了だな。やっと解放される!」

 レクスリー殿下ご一行様との交戦から逃亡し、なんやかんやで皇都まで戻ってきたクロスは、これまでの苦行を振り返り、両手を上げガッツポーズを決めた。

「またまた~、結構楽しんでたくせに」

「いや、ナイ」

「即答!?」

 にやにやとした笑みを浮かべつつクロスににじり寄ってくるピラットの言葉を、一刀両断にする。

 もう終わりとなればコイツに用は無い。さっさと切り上げるべく、応対も雑になろうというものだ。

「さぁ、報酬カモン」

「このドライさが少々ひっかかるっすけど、まぁ、目的は達成したっすからね」

 ピラットは事前に取り決めていた金額をクロスに渡す。

 結構な金額の依頼料を受け取り、ホクホクしたクロスはうっかり余分な一言を言ってしまった。

「毎度、じゃぁ、お前も大変だろうけど、がんばってな!」

 片手を上げ、颯爽と逃げ去ろうとしたクロスの裾を、ピラットが思いのほか素早く捕まえた。

「待つっす。自分の何が大変なんすか?」

 これまでの変人然とした様子とは打って変わって、真剣な表情でクロスを見据えるピラット。

「……」

 クロスは平静を装いつつも目をそらす。背中には冷や汗が垂れていた。

『うわぁ、藪蛇~』

「なんすか! 気になるっす! 言いなさいっす!!」

 まずったなぁと思いつつも、クロスは渋々理由を述べる。

「だってお前は、学園入学するんだろ? そこでアノ"殿下"とご学友になるわけだ」

「!」

 ピラットは目に見えて"そういえば!"という表情に変わる。

(こいつ、忘れてたのか……)

『抜け目ないのか、抜け抜けなのか、よくわからない奴だねぇ』


「じゃ、がんばれよ! もう会うこともないだろうけど!」

 今度こそ逃げるべく、ピラットの手を裾から剥がそうとするクロス。

「待つっす! まだ依頼は終わってないっす!」

 しかし、その手は異常な膂力で引きはがせない。しかも、クロスも目を見張るような素早い動きで腰にがっちりしがみつくピラット。

「いや、もう終わったし! 今お金もらったし!」

 尚もピラットを剥がそうとするクロスと、意地でも離れないピラット。二人の押し問答が続く。

「やばいっす、まずいっす、自分の命が風前の灯火っす! もう完全に吹き消える寸前っす!」

「大丈夫大丈夫、まだ消えてない! 消えるまでは消えない!」

「消えたら手遅れっす!!」

 ピラットは涙目の上目遣いでクロスを見上げる。

「うっ」

 割と、いやかなり初心うぶであるクロスは、非情に分かりやすく女の涙に弱かった。

『さすが童貞。耐性薄いのね……』

(おま、し、失礼な! ど、童貞ちゃうわ)

『いや、僕知ってるし』

 スミシーの本体はクロスの体である。


「自分、(殿下に見つかったら)クロス氏が居ないと生きられないっす、責任取ってほしいっす」

 ピラットはついに涙を流しつつ、そんなことを述べる。

(責任て、そもそもお前のせいだろうに……)

 二人のやり取りを聞き、通行人が「別れ話?」「女を捨てようとして……」「酷い」「無責任……」などと小声で話している。

「おま、誤解させるようなことを!!」

「見捨てないでほしいっすぅぅぅ」

 これ見よがしに大声を上げながらしがみつくピラット。

「わ、わかった、わかったから!!」

(ニヤリ、計算通りっす!)

『完全に弄ばれてるねぇ』




「だーりん、お待たせっす~」

「だーりん呼ぶな」

「えぇ~」

 ブレザーとスカートスタイルの制服を着用したピラットが寮の玄関から現れる。

(ほんと、この世界の文化レベルが謎だわ……)

 自動車が存在し、産業革命的な大量生産可能な紡績機などが存在しているかと思えば、剣で魔獣と戦っていたりする。前世の世界を知る身からすると、ずいぶんチグハグな印象を受ける。


「照れなくてもいいじゃないっすか~、ちゃんとエスコートしてくれるんっしょ?」

「照れてない。そしてさりげなく腕を組もうとするな。俺はあくまでも専属護衛としてここに居るんだから。云わば使用人だ。使用人と腕組んで歩こうとするんじゃない」

 随分と失礼な使用人っすねと呟きつつ、ピラットは渋々一人で歩き出す。

 この学園の学生はほぼ100%華族だ。そのため、身の回りの世話をする専属のメイドや執事、護衛を連れている場合が大半である。

 クロスはピラットの専属護衛として、ここに居るのだ。


 寮からは、ピラット同様に新入学生らしき女子学生が次々と出てくる。皆、胸に花を付けているが、ピラットは付けてない。

「みんな胸に花付けてるけど、お前はいいのか?」

 クロスの問いかけに、ピラット自分の胸を見下ろし、続けて周囲の女子学生を見回す。

「やっべ、忘れたっす! ちょ、ちょっと取ってくるっすー!」

 ピラットはダッシュで寮へ戻っていった。

「やれやれ」

 ピラットの走り去る後ろ姿を見送りつつ、クロスはため息をついた。その時、自分の背後で何者かが足を止める気配、それをクロスは感じ取り振り返った。


「クロス……」

 一瞬時が止まったかのように、二人の空間は静止していた。

 懐かしい人だ。忘れることなどありえない。


 最後にその姿を見たのは、護衛に抱え上げられたまま、絶望の表情で遠ざかっていく時か。

 それとも、遠く屋敷二階の窓に立つ人影に頭を下げた時か。


 そこには確かにヴィラが立っていた。


 5年が経ち16歳となったことで随分と大人びており、輝くような金髪だった頭髪は、深く暗い漆黒色へと変わっている。しかし、その顔を見間違えることはありえない。


「ヴィラ……イナ様」

 クロスは"ヴィラ"と呼びそうになるも、お互いの現在の立場に気が付き、後付けのように言いなおした。

 嬉しさと悲しさがない交ぜになった表情を見せたヴィラは、クロスが"様"まで口にしたところで表情が強張り、そして作られたような柔らかな笑みへと変わった。


『わぉ、運命の再会!?』

(茶化さないでくれ……)


「あー、久しぶりだ、クロス……。元気そうでなによりだ」

 そう言いながらも、ちらりとクロスの左腕に視線を走らせるヴィラ。一瞬、彼女の表情が歪んだように見えた。

 義手は閃術神器であり非常に精巧にできてはいるため、その動きや感覚は"生身"と遜色がない。クロス自身は日頃違和感を感じていないのだが、見た目は完全に金属であるため露骨に"義手"であることが分かる。

 ヴィラは無意識にか、彼女自身の左腕をさすっていた。その動きを見たクロスは、彼女の左腕がまるで腕全体を覆う長い手袋でもしているかのように漆黒であることに気が付いた。

(あれはまさか、黒印……?)

 あまり不躾に見ていては失礼であるため、クロスは一瞬で彼女の左腕から視線を外した。


「お久しぶりです、ヴィライナ様。お陰様で心身ともに健やかです。ヴィライナ様もお綺麗になられて、すぐにはわかりませんでした」

 ヴィラは一瞬虚を突かれたような顔を見せたが、すぐに元の笑顔に戻る。

「お世辞だとしても嬉しい、ありがとう」

 少し自虐的な笑みを返すヴィラ。嘘じゃないんだけどなぁ、と思いつつも、クロスはそれ以上、その点には触れないことにした。


「お嬢様。久しぶりの元カレに"成長した自分"を見せたい気持ちはわかりますが、そろそろお時間です」

 唐突に、ヴィラの後ろにいたエプロンドレスのメイドさんから、無遠慮な声がかかった。

「モトカ──!? な、なにを言い出すんだ!!」

「失礼しました。"元"ではありませんでしたか。ですと、少々まずいことに──」

 その無礼とも言えるメイドの発言のおかげか、妙に神妙だった空気はすっかり霧散した。

「そ、そういう意味じゃないぞ!! す、すまない、クロス、入学式があるのでな……」

「あ、あぁ、お気を付けて……」

 クロスは軽く頭を下げ、公爵令嬢様を見送る。

『こっちも元カノに再会したみたいな反応だね!』

(お前までうっせぇ)

 メイドの発言に乗っかったスミシーの言葉に、内心毒づいておく。



「お待たせしたっす~」

 ヴィラと別れた直後、ピラットがのんびりと戻ってきた。ちゃんと胸に花が付いている。

「時間大丈夫なのか?」

「あ、ちょっと急ぐっす!」

 入学式に間に合わせるため、二人は速足で歩き始める。歩きながら、"あ、そういえば、"と何かを思い出したようにピラットが口を開いた。

「クロス氏、"悪役令嬢"と知り合いだったんすね。意外だったっす」

「は? あくや……、なんだって?」

 耳に入った言葉の、脳が理解を拒む。クロスは背筋がひんやりと冷たくなるような思いで、ピラットに聞き返した。

「悪役令嬢っすよ。あまりに恰好が違うんで一瞬わかんなかったっすけど、名前は間違いないっすね」

「え、いや、まさか……」

 クロスは事態が呑み込めず、足を止めてしまう。

「さっきの人、ヴィライナ・プラマ・チャンドラっすよね? なら間違いなく悪役令嬢っす」

 プラマ? ヴィラの名前は……

「ヴィライナ・シュリ・チャンドラ……」

 ミドルネームが違う。一縷の望みを乗せ、クロスは懐かしいヴィラの名を述べるが……

「チャンドラ公爵家は、幼少期は皆"シュリ"らしいっすよ。成人するとミドルネーム変えるんで、彼女はプラマに変えたんすね」

 クロスはふらふらとピラットに歩み寄り、両肩をがっしりとつかむ。

「く、クロス氏?」

「どういうことだ! 詳しく教えろ! "悪役令嬢"はこの先どうなる!?」

 クロスはピラットの体をゆすりながら、強く訴えかける。

 クロスは"乙女ゲーム"のプレイ経験はほぼ無いが、"悪役令嬢"とは最終的に不遇な境遇になることが多いと認識している。

(まさかヴィラが……)

「ちょ、待つっす、こ、これから、入、学、式、す!!」

 ガクガクとゆすられながらも、終わったら、終わったらしっかり説明するっすと、ピラットはなんとかクロスを説得し、逃げるように大講堂へと駆けこんだ。


 焦燥の気持ちを抱えつつ、ピラットを見送るクロス。そんなクロスにスミシーが語りかけた。

『ヴィラの左腕を見たかい?』

(ああ……)

 ヴィラの左腕は深く暗い漆黒に覆われていた。

『彼女の左腕も頭髪も、あれは全て黒印だ』

(ヴィラの黒印は、左手の甲にあったはずだ……)

 5年前には、ヴィラの左手の甲に幾何学模様の黒印が存在していた。

『黒印は、訓練次第で形や大きさを変えることができるんだよ。一般的な"黒印持ち"華族は、家紋の形にするのがある種のステータスなんだけど……』

 ヴィラのソレは、家紋とかそういうレベルではない。

『形を変えるときには、かなりの苦痛を伴うらしい。ただ、それも"大きさを変える"ことに比べれば大したことは無いんだそうだ……』

(あの面積は、尋常じゃない……)

『黒印の面積は、そのまま閃術の出力、持続力に直結する。つまりは、そういうことなんだろうね……』


「ヴィラ……」

 クロスは小さく呟き、今入学式が行なわれているはずである大講堂を見据えた。

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