2、この世界は乙女ゲームの世界っす


──クロスが"チャンドラ公爵領 領都ソーマ"を発ってから5年後


 鬱蒼と木々の繁る森、ほとんど日の光が入らない暗がりの中で、5体のオオカミ型魔獣がヒタヒタと近づき、獲物の様子を伺う。

 獲物として狙われているのは一人の男。

 この5年で成長し体格はすっかり成人男性だ。布製の衣服に、要所を守るだけの簡素な軽鎧を着けた姿は、軽装と言って差し支えない。だが、内部に着こんだ黒い薄手のボディスーツは、防刃、防衝撃性にすぐれ、下手な金属製の鎧よりも高い防御力を有していいた。

 その男の左腕には、金属光沢を放つ義手が取り付けられている。その義手は細かい駆動音を鳴らしながら、まるで動作をテストしているかのように、指や手首を動かしている。

『オオカミ、5体』

「あぁ、俺にもわかった」

 オオカミ型魔獣に"獲物"認定されたクロスは気配を探り、接近するオオカミ型魔獣の動きを待つ。

「ヴォガァッ!!」

 1体が草むらから飛び出し、クロスへと向かう。

『囮だよ!』

「わかってる」

 クロスはそれを迎え撃つ──、ことはしない。

 ブーツに仕込まれたノズルが小さくジェット噴射を行なうと、彼の体が跳ねあがり、宙返りでオオカミ型魔獣の頭上を飛び越えた。

 クロスとスミシーの予想通り、一瞬速く飛び出した1体は囮で、直前までクロスが立っていた場所の背後から、4体が時間差で飛び出してきていた。

 飛び越えながら腰の刀を一閃。

「ガボォッ」

 囮の1体を仕留める。


 オオカミ型魔獣は思い切りが良い。1体が倒された段階で強敵であることを理解し、即逃走を始める。

「せっかくの素材だ。逃がさない」

 クロスは左腕の義手からワイヤーフックを発射し、オオカミたちの逃亡先にある木へと打ち込む。ジェットブーツとワイヤーの巻き上げにより、逃亡するオオカミ型魔獣のすぐ脇を通過し、その眼前に躍り出る。

「あと2体」

 と同時にその2体が上下に分断される。通り過ぎざまに両断したのだ。


 直後、残り2体はバラバラに逃亡を試みる。

「あ……」

『調子に乗るから』

 クロスの身は一つである。いかにこちらが圧倒的に上手であっても、バラバラに逃げる2体を同時には追えない。

「ならせめて後1体──」

「ギャワッ!」

 逃亡したはずの1体が悲鳴を上げ、直後に何かを噛み潰すような湿った音が響く。


 暗がりから、血まみれのオオカミ型魔獣を咥えたクマ型魔獣が姿を現した。その顔面は黒光りする甲殻のような物体に覆われ、全身の体毛はまるで強化ワイヤーのようだ。

 まるで巨大なトラばさみのような顎に半分潰れたオオカミ型魔獣を咥えたクマ型は、クロスの姿を確認するとオオカミ型をグチャリと完全に噛み潰した。ぼとぼとと砕かれた魔獣の破片が地面を汚す。


「今日は豊作だな」

『上級魔獣だ、加速ポーションの使用を薦めるよ』

「……、仕方ないな」

 クロスはインベントリから筒状の物体を取り出す。

(あんまり頼りたくないんだけどな……)

 クロスは内心愚痴りつつ、筒状のポーションを二の腕に押し当てた。プシュッという軽い音と共に、筒状の注射器から薬品が体内に注入される。

 薬品は即座に効果を示し、クロスの主観において世界の速さが極端に鈍くなる。


 上級魔獣たるクマ型魔獣にとっての"ゴミ"のような存在である人間が、自分への敵対姿勢をとったことを認識した"ソイツ"は、彼我の力の差を見せつけるように後ろ足で直立した。体長は3m以上はあり、クロスから見て頭が見上げる高さである。

 そのクマ型魔獣は睥睨し、クロスの頭の上から咆哮を浴びせてくる。

「いい素材になりそうだな」

 魔獣が右腕を振り上げ、残像すら残らないような速度で撃ち下ろす。が、クロスはそれを紙一重で回避し、その流れのままに刀を振るう。

 魔獣の右腕を斬りつけつつ敵の背後へと回り込んだクロスだが、当の斬撃は魔獣のギャリという音とともに体毛に弾かれた。

「斬れないか!」

 クロスは自分の未熟に内心舌打ちしつつ、やむなく刀を"起動"する。間もなく刀身が青い光を帯びる。

「ゴアァァ!!」

 クマ型魔獣は、背後に回り込んだクロスに向け、その巨大な右腕で裏拳を放つ。瞬間、クマ型魔獣の右腕が宙を舞う。

「ガアァ──」

 威嚇か悲鳴か、クマ型魔獣がクロスに向けて吠えるより間もなく、魔獣は右足をも失っていた。

「ガルゥ!?」

 戸惑いを見せつつ転倒するクマ型魔獣。だが、地面に倒れ伏したときには、頭部だけが体から別れて宙を舞っていた。

 倒れた体から遅れて、頭部がどさりと地面に落下する。


「ふぅ、やっぱりまだ自力だけでは無理か……」

 クロスは刀を血払いし鞘へと収める。その刀身には既に青い輝きは無い。

『いや、普通は上級魔獣は単独討伐しないからね』

「いや、まだまだ剣筋に乱れがあるんだ。もっと集中だ……、そう、心を細く……」

『まだ厨二だねぇ』

「言い方酷っ!」



 5年前、鉄機獣の死骸から「MF-Rユニット」というアイテムを入手した。この「MF-Rユニット」により、クロスの持つツールボックスが「ツールボックスII」に進化した。今クロスが用いている装備やポーションは、その進化の結果、製作可能となったものである。

 クロスは自分の力だけで魔獣を倒すことに拘った。が、常識的な問題として、中級以上の魔獣に対し、ただの鉄製武器だけでは歯が立たない。

 スミシーの『命あっての物種』という意見を受け入れ、このような装備を使っている。


「閃術神器もポーションも強力すぎて、自分の実力感が無いんだよなぁ……」

『"戦闘無理!"とか言ってた人が、クマ相手にガチってる時点で、いい感じにイカレて来てるけどねぇ』

「イカレてるとか言うな」

 クロスの使う刀や義手、ジェットブーツなどはすべて閃術神器である。

 閃術神器とは、端的に表現するなら"異常に頑丈な閃術器"である。閃術器を用いれば誰でも閃術を行使できるため、武装としては非常に強力である。しかし、強力であるが故に耐久性に問題があり損壊しやすい。その問題を超硬合金を用いることで解決したものが閃術神器である。

 閃術神器が"神器"と称される所以、それは、この世界において超硬合金の生成技術が失われており、現存する閃術神器は"古代の遺産"のみであるが故だ。

 これらを生成できるクロスのツールボックスIIは、この世界においてはかなりのオーバースペックであろう。


 クロスは、さっさとすべての魔獣の死骸をツールボックスに吸収する。

『また素材にしちゃうのかい? 公社に全然提出しないから、ランクも未だに中級止まりじゃないか』

 上級魔獣を討伐できれば、上級討伐者へ昇格することも可能となる。

「いいんだよ。俺は自力で上級を狩れるようになるまで、上級には上がらん!」

『あっそ』




 適当な下級魔獣の死骸を手土産として、クロスは皇都の討伐公社を訪れた。たまには納品しておかないと、討伐者の登録を抹消されてしまうためである。

 納品窓口へ足を向けるクロスの耳に、何やら日頃聞きなれない喧噪が響く。


「ですから、そういった依頼はお受けできません」

「なんでっすか! 護衛依頼もできるんすよね?」

 その声は公社の依頼受け付け窓口から聞こえる。何やら騒いでいる奴がいるようだ。厄介ごとらしき空気を感じたクロスは、関わり合いにならないように足早で納品窓口へと向かう。


「討伐者の尾行行為を手助けすることはできません」

「依頼主の目的は関係ないっす!」

(うわ、尾行とか言ってる、声からすると若い女性のようだけど、受付のお兄さんも災難だなぁ……)

 こんな時に限って納品窓口が混雑している。クロスは列に並びつつも、極力騒ぎに目を向けないように努力する。


「公社は、魔獣討伐を行なう討伐者を支援するための組織です。そのような用向きであれば、個人的に傭兵を雇われたほうが良いですよ」

(うわぁ、窓口の人も、失礼にならないように穏便に追っ払おうとしてるな。お疲れ様です)

 俺ならしっしって追っ払ってしまいそうだ、と思いつつ、クロスはちらりと騒いでいる女を見る。酷い騒ぎ方をしている女は、意外にも見た目は小綺麗で上等な服を来ている。

(一応華族かな?)

「そんなツテが合ったら、ここで聞いてないっす! なら、ここにいる討伐者さんたちに個人的にお願いするのはいいんすよね!?」

 いや、そういう意味では、という窓口職員の言葉を聞き流し、その女は公社の受付フロアを見渡す。そこでうっかりクロスは目が合ってしまう。慌てて目を反らすも、どうやら既にロックオンされてしまったらしい。


「そこのお兄さん! どうっすか? 自分の依頼、受けないっすか? 金払いはいいすよ!」

(無心だ、俺は貝だ)

『完全に君に話しかけてるよ?』

(気にしたら負けだ。こういうのは関わらないのが一番)

「……」

 女はじっとクロスを見続ける。クロスはそれを見ない振りを続ける。

「ぐすっ」

「!?」

 なんと女が泣き出した。

『なーかした、なーかしたー』

(やめい)


 女は半泣きになりながら小声でぶつぶつと呟く。

「自分俺様皇太子が見たいだけなのに何で誰も手伝ってくれないすか金だってあるのに魔獣と戦わなくていいのにスチルを生で見る手伝いをしてほしいだけなのに誰も分かってくれないっすもうどうしたら──」

「スチル?」

 クロスは聞き慣れない、いや、大昔に聞いた覚えのある、気になる単語が聞こえたために、思わず聞き返してしまった。

「そうっす、スチルっす、攻略キャラである俺様皇太子の過去スチルを回収するっす」

(攻略キャラ、スチル回収!?)

「ちょっと来い」

「え、ちょ、な、なんすかー!?」

 クロスはその女を引きずり、公社の受付フロアーを出る。

 人通りの多い皇都の大通りからはずれ、人気の少ない場所まで女を引きずっていった。

「この辺ならいいか──」

「か、金っすか!? それともまさか体!? 確かに自分、こう見えても結構"ある"ほうっすけど、いや、もちろん見た目も美少女だし。そんな劣情を抱いてしまうのも分かるっす。でも、自分はスチル回収に生きるって決めてるっす、こんなところで手籠めに──」

 女は自分の体を抱くようにしてくねくねと身もだえる。本人が自称するほど"ある"ようには見えない。

『いやぁ、騒々しい奴だねぇ』

 依然としてくねくねうるさいため、クロスは少々凄んだ。

「しないからちょっと黙れ」

「あ、はい」

 思った以上にあっさり黙る女。

(何か、テンションの上がり下がりが極端で疲れる……)


 クロスは一息つき、気になった点について問いただすことにした。

「お前、さっき言ってた、"攻略キャラ"とか、"スチル回収"って、なんのことだ?」

(まるでゲーム用語だ)

「まさか! お兄さんも転生者っすか!?」

 女は、その顔に十年来の友人を見つけたような笑みを浮かべてクロスに詰め寄る。

「お兄さんもって、まさか、お前転生者なのか……?」

「そうっす! 喜んでいいっすよ! 元日本の女・子・高・生っす!」

 女は自信満々に胸を張る。クロスはやっぱり"ない"なと心の中で呟く。

「……、どの辺に喜ぶ要素があるんだ?」

「え? 元JKで、今美少女の転生者仲間とか、テンションMAXじゃないっすか? もっと喜びを前面に出してもいいっすよ」

 ただ、自分の心はラブレスにあるっすからね、と言いつつ、クロスにどや顔を向けてくる女。

『自分で美少女って言ったの、何度目かね。中二病の君とはまたベクトルが違うねぇ』

(一緒にしないでくれ)


「その、ラブレスってのはなんなんだ?」

「まさか! ラブレスを知らないっすか!?」

 女は驚愕に見開いた目をクロスに向け、その表情を粘つく笑顔に変える。ラブレスってのはですね~と前置きをして話し出す。

「有名乙女ゲーム、"ラブレス・オブリージュ"のことっすよ。それじゃ、お兄さん、自分たちが"ラブレス"の世界に転生したって、気づいてなかったっすか?」

「は?」

 唐突に告げられた事実に、クロスは頭が付いていかない。

「だから、この世界は乙女ゲームの世界っす」

「え? ここが乙女ゲームの世界!?」

(俺クラフトゲーだったんだけど!?)




「それで、半年後に"学園"で乙女ゲーム本編が始まるってのか?」

 これまでの経緯などを一通り聞き、情報量過多で知恵熱が出そうな頭を押さえつつ、クロスは女に確認した。

「そうっす。自分、学費はもう稼いだんで入学は問題ないんすけど、皇太子の過去スチルを回収したかったんす」

 乙女ゲームの攻略キャラの一人である皇国の皇太子 レクスリー・オーム・アディテアは、本編開始前に討伐者として活動しており、本編内での過去語りにおいて討伐者時代のスチルが出るという。

 その"本編内での過去"というのが丁度現在であり、そのスチルの場面を"なま"でその目に焼き付けたい、ということらしい。


「というわけで、自分はピラット、ピラット・ディヴァイアスっす。よろしくっす」

 女改め、ピラットはそう言ってクロスに握手を求める。

「俺はクロス……、って、何をよろしくするんだ?」

「もちろん、スチル回収っす」

 つられて握手をしてから、クロスは後悔した。いつの間にかピラットの依頼を受ける流れになっている。

「いや、手伝うとは言ってないんだが……」

「またまた~、自分は明らかに"転生ヒロイン枠"っすよね? ここは自分を手伝って、キズナ結ぶとこっすよ?」

 もちろん自分の心はラブレス一筋っすけどね! と宣言しつつ、ピラットは熱弁した。

『ずいぶん個性的な子だねぇ』

("個性的"って便利な言葉だな)

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