第一章31 『咆哮と微笑み』

 


 ミラ先生からヘスティアの家の場所を聞き出し、学院を抜け出したコウは街中を走っていた。ここは王都だから街並みは整っていて、レンガで作られた道が綺麗に整備されている。


 人や竜車が通るこの通りは、歩行者用と竜車用の道に分かれていて、コウは歩行者用の道を全速力で走っていた。

 コウは、学院を抜け出す際にアルから掛けられた言葉を思い出す。


『コウ!ヘスティアを絶対に連れ戻してきてくれ‼︎』


 この言葉に、どれだけの意味や想いが込められてるのかは計り知れない。しかし、コウはそのアルの発言を汲み取り、より一層ヘスティアを連れ戻すことへの決意を固める。


 ……ヘスティアは、俺が必ず――。


 ヘスティアが有名な貴族であることはさっき知った。学院では、貴族か平民での差別は無いに等しく、この王国全体でも、そういう風習は既に終わっているのもあり、無知なコウは気付くことが出来なかったのだ。


 ……正直、貴族であることの辛さや厳しさとか、俺には分からない。

 ……それでも、この俺に、少しでも出来ることがあるのなら、


「――それを実行するまでだ」


 こは足を止め、正面に見える建物を見つめる。

 赤を基調としたその屋敷――ヘスティアの実家は、とても大きくて豪華で、有名な貴族家であることにも納得がいった。

 屋敷の中庭らしき所には、剣を胸の前で握り締めて、剣先を太陽に向けて掲げている女性の剣士の像がある。


 ここが、ヘスティアの実家である、アンタレス家。

 正面の門には2人の屈強な警備員がいて、腰に剣を掛けていた。コウは息を潜め、足音を立てないように忍び足で近寄る。

 警備員の死角まで歩いたコウは、緊張を解くかのように息を吐き、これからの行動の算段を立てた。


 警備員に、入れさせて下さいと言っても成功する確率は低い。どんな主張も戯言だと思われ、引き返させられるだろう。

 今のところ、警備員が動く様子は無い。一見、退屈な仕事であるようにも見えるが、責務を全うしている。依然として隙が無い。


 ならば、邪道とも言える手段かもしれないが、この手段を取るしか無いのだろう。スパイでも何でもないコウには、一つの手段しか浮かび上がらなかった。



 コウは深く目を瞑り、深く息を吸い込む。

 そして、周りの空気や風景と同化する様子を頭で思い浮かべながら、剣気を纏う。


「〝潜伏せんぷく〟」


 ――剣を使わずに、剣気だけを纏う技術。

 《時の狭間》でコウが覚えた技術だが、学院でも習った技術だ。それによって生み出す効果もまた千差万別。

 剣気により、人体の屈折率を空気の屈折率に近づけ、実際に身体を透明な物質にするというよりは、『見えなくなる』という状況を作り出す。


 そしてコウは――、


「――ッ!!」


 ――家の塀を飛び越え、庭へと侵入する。

 高く跳躍したコウは、地面に着く際に空中で一回転をして、まるでアスリートかのように着地した。

 門の方を一瞥して、警備員の様子を確かめる。今のところ、警備員がコウの侵入に気付いている様子は見られなかった。


 ……ヘスティアはどこだ?


 コウは纏っていた剣気を霧散させ、身体を見えるようにする。流石にさっきの状態をキープすると、精神的にもかなり疲れるのだ。

 コウは屋敷を見渡し、ヘスティアがどこにいるのかを必死になって探す。


 ……そういえば、そろそろお腹も空いてきた。もう昼食の時間か。


 おそらく、ヘスティアは昼食を食べているのだろう。これは勝手な想像だが、一つの大きい部屋に集まり、家族で揃って食べているような気がする。近くには使用人が立っているのだろう。


 ……となると、ヘスティアは自分の部屋にいない、という説が有力だ。

 ……だけど、


 ――あれは何だ?

 明かりが付いている部屋が、一つ見つかった。部屋にある窓から中が少し見えるが、生活感のある様子が見て取れる。――ならばあれは、


「……ヘスティアの部屋である可能性が高い!」


 言葉にすると同時に、コウは全速力で走り出した。

 腰に掛けてある剣の柄に左手を添えて、ヘスティアの部屋だと思われる部屋を見据えながら走る。

 そして、


 ……いつか絶対、弁償するので許して下さぁぁぃ!!


 助走をたっぷり付けたコウは、大きく跳躍し、部屋の窓をぶち破りながら強引に入った。


 パリ――ン、という音と共にガラスは割れていく。

 何とか部屋に着地したコウは、一拍を置いてからヘスティアを見つめ、笑顔を作りながら語りかける。ヘスティアはとても困惑しているようだった。


「よぉ、久しぶり!……ってわけでもないか。――迎えに来たぜ」


 ヘスティアはより困惑し、数回瞬きをした後、血相を変えて叫ぶ。


「何で、あんたがいるのよ……っ‼︎」


 ヘスティアの咆哮が、ただただ痛い。多少なりとも傷ついているヘスティアにとって、コウの存在は害悪でしかないのだ。

 分かっていた話だが、やはりヘスティアは、コウとの再会をよく思ってなんかいなかった。


 ――だからこそ、コウは微笑む。

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