第一章28 『ヘスティアは此処にいない』

 


 あれから約一ヶ月が経ち、此処での生活もだいぶ馴染んできていた。

 今日も朝の6時半に起きたコウは、支度を始める。


「はぁぁ……」


 両腕を伸ばして欠伸をしたコウは、洗面台に向かう。寮の部屋はおよそ30平米と、一人用にしては十分な広さだ。

 洗面台にやって来たコウは、寝ぼけ眼を擦りながらも鏡に映る自分の姿を見つめる。


 身長は約168センチ、黒い髪と黒い瞳は父親譲りだ。自分ではあまり分からないが、《時の狭間》で鍛えてきたことによって肉体の変化もあったと思われる。

 取り敢えずコウは、眠気を覚ますために顔を洗った。


「冷たい……」


 蛇口をひねり、水を勢い良く出したコウは、手で水を掬い顔にかける。水の冷たい感覚が顔全体から伝わってきた。


 次は歯磨き。洗面台に置いてあった歯ブラシに歯磨き粉をつけて、歯を磨き出す。

 こうして口の中をさっぱりにする事で、自然と目も覚めてくるのだ。

 歯磨き粉の味はミントの味だった。


「良し……‼︎ 食堂に行くか」


 口をゆすぎ、もうだいぶ目が覚めてきたコウは、予め支度しておいた鞄を手に取り、ドアまで歩く。

 そして茶色の靴を履いたコウは、ドアを開けて部屋を出て、閉めたドアに鍵を閉めた。


 コツン、コツンと木で作られた床の上を歩き、コウは食堂に向かう。


「今日の主食は白米にしようかな。アイラブ白米……」


 最近レグルス学院長が使っていた『アイラブ』という言葉を使い、コウはひとり呟く。実は白米が好きなのだった。



 *



 今日も賑やかな食堂。美味しい食事の匂いに連れられてか、コウは列に並んでいた。

 どうやら今日は、鮭とご飯と味噌汁のセットが人気のようだ。列に並びながらも、机に座って和気藹々わきあいあいと食事をしてる人たちを見てそんなことを思う。


「……いるわけないよな……」


 辺りに漂う香ばしい匂いの所為か、コウは無意識にある人物を探してしまっていた。だがやがて、現実を受け入れることでその行動を止める。


 列に並んでから1分ほど経っただろうか。自分の番が来たコウは、例のセットを頼んだ。

 何故かたくあんも付いてきたのだが、どうしてだろうか。謎である。



「いただきます」


 両手を合わせ、この国に昔から伝わる食事するときの挨拶――「いただきます」と言ったコウは、箸を手に取った。いつだって、いのちへの感謝の気持ちは大事なのだ。


「うん、美味しい」


 鮭の塩焼きを箸で掴んで、口にするのと同時に白米も口に運ぶ。

 身はふっくら、皮はパリパリといった感じで、大根おろしも添えてある。そんな鮭の味に、今日もコウは満足していた。


 実家のご飯が恋しくならない訳でもないが、ここでの料理も美味しく、忘れられない味である。

 料理をパクパクと口に運んでいったコウは、もうすぐ完食というところまで来ていた。


 締めは味噌汁。やはりご飯を食べ終わるときには、味噌汁で締めるのが一番である。

 ズズズズと味噌汁を飲み込んコウ俺は、ぷはぁ〜と声を上げながら、手を合わせて「ご馳走さまでした」と言った。


「――さて、もうそろそろ時間だな」


 お皿の乗ったトレイを指定の場所まで運んでから、コウはクラスルームに向かい始める。

 心残りを、胸に抱きながら……。



 * * *



「それでは今から、数学の授業を始める! ノートと筆記用具を出して前を向けー!」


 今日も一日が始まり、数学の授業が始まろうとしていた。アストレア剣術学院は、剣術だけでなく勉学の方も行っているのだ。

 ミラ先生は教壇に立ち、ボードにペンを使って文字を書き、授業を行う。


 コウはノートと筆記用具を出し、授業で習っていく内容を書いていった。数学という教科は、人によって得意不得意に分かれるが、このクラスの誰もが真剣に授業に取り組んでいる。みんなの学習意欲は高いようだ。


 しかし、それに対してコウは、授業内容を目にし、耳で聞いているものの惚けていた。


 ……ヘスティア――。


 惚けている要因はヘスティア。

 一見誰もが集中して授業を受けてるように見えるが、実は違った。

 ミラ先生もコウたちも、のを紛らわそうとしているのだ。

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