第一章10 『嗚咽の響く食卓』



「ただいま――‼︎」


「「おかえり!」」


 レイト先生とも家の前で別れ、俺は家に帰ってきていた。


 コウがリビングに向かうと、既に二人は食卓に並んでいた。机の上には鍋が置いていて、近くに具材も置いてある。どうやら、今日の晩ご飯は『鍋』らしい。

 豚肉をしゃぶしゃぶするアレだ。


 ……美味しそう!


「もうご飯の支度は出来てるから、なるべく早くよろしくねっ!」


 母さんは茶色の目を輝かせながらコウを急かす。その姿は、まるで少女のようだった。


 ――『迷うな、少年』。

 一瞬、コウの頭にレイト先生の言葉が思い浮かんだが、コウは頭を振り、明るく返事を返した。


「分かったよ。すぐ支度してくる――」


 ……そうだ、確か大事な話があるって言ってんだ。ある程度、心の準備をしておかないと。


 コウは自分の部屋に入り、着替え始める。

 耳を澄ませば、近くて遠い所から、明るい笑い声が聞こえてきて、コウの頬は自然と緩んでいた。



 *



「――コウ、話なんだが……」


「うん。話って……何?」


 コウたちが鍋を楽しんでいる時、話は父の方から切り出された。


「ああ、話なんだが、――よく考えて聞いてほしい」


「……うん」


 真剣な表情をする父の姿に、コウは無意識に固唾を飲み込む。


「これは、主に俺と母さんの二人の決断なんだが――。 コウ、剣術学院けんじゅつがくいんに行く気はないか?」


 ……え? 俺が剣術学院に?


 父さんの言葉は、コウにとってかなり衝撃的な言葉だった。

 鍋のグツグツという音すらも、この一瞬ときだけは、何も聞こえなかった。


 ただ、コウの口からは一文字の言葉が溢れでる。


「――――え?」


「コウ、お前はこの村の為にこの三ヶ月間良く頑張ってくれた。それはとても感謝してる。 だけど、お前をずっと、此処に閉じ込める訳にはいかないんだ」


 父の言う、「閉じ込める」という言葉が引っかった。別にコウは閉じ込められているなどと思っていない。コウ自身の意思で、今此処にいる。


「コウ、分かるわ。コウもコウ自身の意思で動いている、確かに私もそう思うわ」


「――だけど、俺は剣術学院に行くべきだ、そう言いたいんでしょう?」


 続けて言う母の言葉を切り、コウは反発の意を込めて言葉を返した。


 ……だってそうだろう?

 ……ただでさえ人手が足りないのに、若者の俺がいなくなったらどうすんだ?


 ――こんなもの、勝手なわがままに過ぎない。そう、コウは結論付けた。



 ――剣術学院。

 それは、14歳以上になると入学出来る所である。

 一般的な剣術学院は四年制で、そこに入学した者は、それぞれの学院のやり方で指導を受け、一人前の剣士へと育てられる。


 そして、剣術学院の卒業後には、学院で学んだことを活かした職業に就く者が多く、剣術学院を卒業したということは、大きなアドバンテージとなる。


 中でも、魅力的な職業として有名なのは『騎士』で、学院での功績などによっては、かなりの好待遇を受けるだろう。


 騎士団長や副長のような偉い立場に上り詰める者の大抵は、有名な剣術学院の卒業生だ。


 それくらい、剣術学院というものは人生において、大きな恩恵を与えてくれる所である。


 ただし、一つの学院当たりの入学試験を受けれる回数は生涯で一回のみ。同じ学院に二度も受験することは叶わない。

 多大な人気を誇る一方、入学する為には剣士としての実力が必要だ。



「ちなみに聞くけどさ、どこの学院がいいかとかは考えてるの?」


「ああ、勿論だ。お前には、王都一の剣術学院――アストレア剣術学院に通ってもらいたいと思っている」


「――はぁ⁉︎」


 机に手をつき、バンという音を響かせながら俺は立ち上がる。


 ……おかしい。よりによって、アストレア剣術学院を選ぶなんて……。


 アストレア剣術学院は、王国一と呼ばれる程の剣術学院なのだ。コウ自身も何度か憧れた所だが、いざ入学するとなると話は変わる。


「コウ、一旦落ち着いてくれ」


「だけど――!」


 ……二人はどうかしてる。俺がこの村から離れるように企てるのもそうだし、アストレア剣術学院に行かせようとすることだって――。


「――じゃあ、コウ。 実際、お前自身はどうしたいんだ?」


「俺、自身……?」


「あぁ、そうだ。他人に流されて出た答えではない――自分だけの答えだ」


「――――」


 コウだけの答え。コウの思い。コウの進む道。


 確かにコウは、《時の狭間》での修練によって強くなったのかもしれない。

 だけど――、


 だけど、本当の強さ――心の強さは、成長などしていなかったのだ。

 手に入れた強さには溺れなかった。私利私欲の為には剣を振るってこなかった。


 ……でも、それが何だ‼︎ 結局、俺は変わってなどいなかった!決して強くなどなかった!!


 思わずコウは歯を噛みしめた。そして拳を強く握り、己の不甲斐なさを思い知る。

 それでも、コウだけの答えはそう簡単には出てこない。喉元にも差し掛かっていない。


 ――自分だけの、唯一無二のものを導き出すのには、まだ時間と経験が足りない。


 それは、紛うことなき事実だった。


 だから、それを知り、実感したコウは――今のコウが出す答えは……、


「――俺、挑戦してみるよ」


 前に進もうとする、一つの勇気だった――。


「――村のみんなからは、身勝手だって思われるかもしれない。二人にも迷惑をかけてしまうかもしれない。村の一大事に何やってんだって自分でも思ってる。 ――それでも、俺は挑戦したい。諦めたくない。前を向いて進みたい。今のままの俺では駄目だ、そう思うんだ。 だから――」


 胸が空っぽになるんじゃないかというくらいに、コウの想いが弾け出る。目尻には微かに涙が浮かんでいる。


 ……俺一人じゃ、まだ何も成し遂げられない。前に進めない。自信を持って生きれない。


「――だから、協力してくれないか」


 それは、か細い声だった。今にも消えてしまいそうで、弱々しい声。絞り出すかのように出されたその声には、複雑に絡みあった感情が宿っている。


「……あぁ、勿論だ。俺は全力でコウに協力するよ」

「……私もよ」


 二人はそれを、その声を――コウの願いを掴み取って、導いてくれた。


 ――剣術学院に進み、自分を見つける為の、そんな物語へと。


「あり、がとう……」


 コウは涙を拭い、嗚咽おえつを漏らした。

 コウのしゃくり上げる声が、食卓に響く。

 涙を必死に拭って顔を上げたコウの視界には、涙を流す両親の姿が、コウの涙越しに見える。


 嬉しそうに、悲しそうに、両親は泣いていた。泣き声を上げることがないように、静かに泣いていた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る