第28話 蠢く者たち
時は僅かに遡る。
「ふはっ、ふはははははっ!」
ヘンメル・ライノファルスは聖マリン大聖堂――その最上階に存在する『大教皇の間』で哄笑していた。
前大教皇ルークディア・ライノファルスの実子であり、マリン・ライノファルスの実弟である彼は、生まれたときから大教皇になることを約束されていた。
そもそも大教皇になることができるのは、職業『大教皇』を聖ミュラーより授かった者だけである。ゆえにルークディアまでは代々、職業『大教皇』として選ばれた者だけが大教皇になり、その大教皇が亡くなると共に別の相応しい者が職業『大教皇』を受け継ぐ――そういった形で受け継がれてきた。
だが、ルークディアはその中で唯一、生まれながらの職業が『村人』でありながらにして、大教皇の座についた稀有な人物だ。
それは全て、秘宝『転職の書』ゆえである。
かつて職業『村人』であったルークディアは、趣味の登山をしているときに、山の頂上で偶然『転職の書』を発見した。
そのあたりの詳しい部分までヘンメルは聞いていないが、そのときルークディアは心から自分が『大教皇』になりたいと願い、その願いを叶えて消えてしまったのだとか。そして当時の大教皇は病床にあり、間もなく亡くなったため、死した大教皇からルークディアに職業『大教皇』が授けられたとだと誰もが思った。
職業『神官』ですらない、敬虔な教徒ですらなかったルークディアが大教皇に選ばれたことを、訝しむ者は多くいた。だが実際に職業が与えられているのだから、ルークディアが大教皇に就任することを誰も止めることはできなかった。
そして、大教皇となったルークディアは考えた。
自分は『転職の書』によって大教皇となることができた。ならば、次代の大教皇を自分で決めることができると。
再び、『転職の書』を見つけることができれば――。
「色々と計画は狂ったが、ようやくあるべき地位にあるべき人間がつくことができた。これも全て、お前のおかげだ。シェリー」
「その感謝の気持ちは、金貨で示してほしいものね。悪いけど、まだ足りないわよ」
「勿論、分かっているとも。お前がいなければ、僕は大教皇になれていないんだからね」
「だったら、さっさと約束の金貨を渡して頂戴。残り九百五十枚よ」
「そう焦るな。大教皇が動かせる金は、その数十倍あるのだからね」
結局、ルークディアは『転職の書』を見つけることができず、ノア・ホワイトフィールドによってその人生を終えた結果、職業『大教皇』が受け継がれた相手は姉のマリンだった。
信仰心ばかりが強く、聖ミュラーの教えがあれば全ての人類が救われる――そんな理想ばかりを強く持っていた姉を、ルークディアも疎んじていたしヘンメルも見下していた。ルークディアは何度となく、大教皇を継ぐのはヘンメルだと言ってくれた。
だが、かつてより職業『大教皇』を受け継ぐのは、清廉な心を持ったミュラー教の司祭だった。
ルークディアが亡くなり、大教皇がマリンに受け継がれたのも、また必然だったのだろう。
だが、それがヘンメルには面白くなかった。
結果として、ヘンメルは大教皇であるマリンの命令で、僻地の神殿に勤務することとなった。本当ならば、大教皇として己の権力を恣に利用しているはずだったのに。
だが、そこでヘンメルは運命の出会いを果たした。
その相手こそが、今ヘンメルと共にいる女――Sランク冒険者にして元ドラウコス帝国魔術顧問として名高かった『七色の賢者』シェリー・マクレーンである。
「それと、例の『守護者』とやらを解析させてもらう話、さっさとして頂戴。大教皇は、好きに『守護者』を召喚できるんでしょう?」
「勿論だ。それも今、僕には全て分かっている」
くくっ、とヘンメルは笑みを浮かべる。
彼は大教皇に就任して、まず己のスキルで出来ることを確認した。
そのスキルこそ、『神罰の代行者』――聖ミュラーの持つ奇跡を、限定的に使用することができるというものだ。中でも代表的なのが、『守護者』の召喚である。
かつて、この世界を滅びに導こうとした魔王リルカーラを打倒するために、聖ミュラーが呼び出した五柱の『守護者』――彼らに命令することができるのは、大教皇ただ一人なのだ。
「だが、まず僕はあの魔王を倒す」
「ノア・ホワイトフィールド?」
「そうだ。あいつがいなければ、僕はもっと簡単に大教皇になることができていた。選ばれし僕ではなく、クズの姉さんを大教皇にしやがったのは、あいつだ」
「そう」
「そして丁度良く、あいつの近くに僕の『守護者』がいる」
くくっ、とヘンメルは嗤う。
しかしヘンメルのそんな言葉に対して、シェリーは僅かに眉を寄せた。
「別に倒したいなら倒して構わないけど、私との約束は覚えているでしょうね?」
「……ああ、勿論覚えているとも」
「一つ、金貨千枚。二つ、『守護者』の解析を許可する。場合によっては肉体の一部を貰い受ける。三つ、ノア・ホワイトフィールドの身柄を私に預ける。これが私からの条件だってこと、忘れないで頂戴。三つ目の条件に関しては、死体じゃ困るわよ」
「勿論だ。むしろ、奴の身柄を手に入れるために、僕は『守護者』を動かすつもりだよ」
シェリーの言葉に、仄暗い笑みを浮かべて返すヘンメル。
そして、そこで口を開くのはもう一人――共に同席している男。
「こちらの条件も、お忘れにならぬよう」
「……ええ、勿論分かっておりますとも、ミズーリ王」
その男こそ、今回聖マリン大聖堂を占拠し、マリンを幽閉した張本人。
ミズーリ湖岸王国当代国王、ウルージ・ファンデルフィア・ミズーリ四世である。
「かの魔王を排除した暁には、旧ドラウコス帝国領は全てミズーリのもの。その条件で、こちらは協力しているのですから」
「無論ですとも。僕たちはただ、聖ミュラーの教えを遍く大陸に広め、その上で寄付金を集めることができれば良いのです。魔王が台頭することは、僕たちにとって百害あって一利ありません」
「であらば、良しとしましょう」
「ふん。まぁ、簡単なことよ」
ふふっ、とシェリーが笑みを浮かべ、その手に抱えている本を示す。
それこそが、今回ヘンメルに『大教皇』という職業を与え、魔王討伐という絵空事を現実にたらしめる切り札。
「奴の職業『魔王』は、私が貰い受けるから。ふふっ、魔物をいくらでも触媒にできる……それだけで、興奮してくるわ」
職業を奪う本――『奪職の書』。
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