第16話 新たな嵐の予兆

「どうか、我が軍に助力を願いたい。対価は必要なだけ支払おう」


「聖ミュラーは、人間同士の争いに対して介入を望みません」


 突然やってきた使者に対して、ミュラー教における現在の最高責任者である大教皇、マリン・ライノファルスは短く答えた。


 ミュラー教は元々、大陸全土に根を広げている一大組織だ。少なくとも、大陸に存在する全ての国で、ミュラー教の教会が一つもない場所というのは存在しない。

 そして、元々は帝国の庇護下にあったミュラー教の総本山だが、現在はグランディザイア近くの中立地帯――どの国にも所属していない空白の場所に、本拠を構えている。この件にはノアに対しても伝えており、グランディザイアの首領たるノアから「ああ、うん。別にいいよ」と許可を貰っている。

 そんなミュラー教の新しい総本山――聖マリン大聖堂を訪れたのは、オルヴァンス王国、グランディザイアと国境を隔てる大国、ミズーリ湖岸王国の使者だった。


「大教皇、あなたも存じているはずだ。大陸の中央に、魔王が存在することを」


「……ええ」


「大教皇は、何故魔王を容認なさる? かつて現れた魔王リルカーラに対し、大陸の全てが力を合わせ、撃退したはずだ。その際、ミュラー教もまた勇者ゴルドバをはじめとし、戦力を提供してくれたはずだろう」


「……ええ」


 ミズーリ湖岸王国の使者――ウルージと名乗った男が、そう強く述べる。

 実際、かつて現れた魔王リルカーラに対し、ミュラー教は徹底抗戦をした。ハイドラの関までリルカーラを引きつけ、そこで守護者キングハイドラを解放することで、リルカーラを退けることに成功した。

 その結果、聖ミュラーの祝福を受けた勇者、ゴルドバによってリルカーラは滅されたわけだが――。


「魔王を、容認しておくわけにはいかぬ。その上で、魔王に阿るオルヴァンス王国もまた、人類の敵だ。ゆえ、大義は我らにある」


「……」


「どうか、戦力の提供を。聖ミュラーの教えに名高い、守護者の召喚を」


「……」


 ウルージの言葉に、マリンは聞こえないように溜息を吐く。

 掟として、大教皇は顔を見せてはならない。そのため、普段は目元以外の全てを隠し、こうして客人と会うときには常に布越しだ。だから今、マリンが眉を寄せていることには気付かれていないはずである。

 ミズーリ湖岸王国の主張は、決して間違っていない。

 グランディザイアの首領、ノア・ホワイトフィールド――彼は、自分が魔王であるということを公式に否定していないのだ。本人も、まぁ魔王みたいなもんだしなぁ、と半ば諦め気味だし。

 だが――それゆえに、他国には大義名分が生まれる。


「聖ミュラーは、人間同士の争いに対して介入を望みません」


「これは人間同士の争いではない。魔王が今まさに、大陸を支配しようとしているのだ。我らは人類の盾として、かの悪逆非道の魔王を打破せねばならぬ」


「……」


「そして同じく、魔王に阿るオルヴァンス王国も然り。奴らも魔王と手を組み、世界を支配しようとしている。ゆえに、これは聖戦であるのだ」


「……」


 溜息を吐きたい気持ちを、どうにか堪える。

 口でこそ世界が云々、人類の盾が云々と言っているけれど、その本音は透けて見えるようだ。

 ミズーリ湖岸王国は、国土こそ広いがその大半を塩湖に覆われている国である。そのためまともな農地がほとんどなく、塩を精製して他国に輸出し、農作物を輸入に頼っているのだ。そして、その輸入先のほとんどが広大な農地を持つオルヴァンス王国である。

 ここで正当性を主張し、様々な国や勢力へと協力を求める。その上でオルヴァンス王国を攻め落とし、豊潤な農地を得る――そういう考えだ。


「重ねて申し上げますが、聖ミュラーは人間同士の争いに対して介入を望みません」


「そこに魔王がいるのだ。魔王の聖伐こそ、聖ミュラーの意志であろう」


「弁えなさい。一信徒のあなたが、大教皇である私に対して聖ミュラーの意志を語る道理はありません」


「む……」


 マリンは現在、大教皇という立場である。

 しかし、こうして大教皇という立場にあるのも、聖ミュラーの教えを清廉に貫くことができるのも、全てはノア・ホワイトフィールドのおかげだ。彼がいたからこそマリンは父であった大教皇から、こうして大教皇の職業を受け継ぐことができた。

 その恩は少なからず感じているし、少なくともマリンの方から、ノアを裏切ることはない――。


「では、ミュラー教は人類に対して、救済の手を差し伸べないとお考えか」


「あなた方が争おうとしている相手も、また人間です。どちらかに肩入れするような真似は、平等を謳う聖ミュラーにできません」


「……なるほど」


 布の向こうで、諦めたようにそう言ってくるウルージ。

 そして跪く姿勢から立ち上がって、大きく溜息を吐いた。


「大教皇殿」


「ええ」


「まずは、我が身を詐称していたことに対する謝罪を。これは決して、聖ミュラーに逆らうために行ったことではない」


「……詐称?」


 思わぬ言葉に、マリンは眉を寄せる。


「ああ。私は、ミズーリ湖岸王国からの使者ウルージと名乗ったが」


「ええ、そう聞いていますよ」


「本当は、その肩書きが多少違う」


「……?」


「改めて、自己紹介を。我が名は敬虔なる聖ミュラーの信徒。ミズーリ湖岸王国国王、ウルージ・ファンデルフィア・ミズーリ四世」


「え……」


 ウルージはそう告げて、片手を上げる。

 その次の瞬間に――マリンの周りを囲んでいた神殿騎士たちが、それぞれに槍の穂先をマリンへと向けた。


「――っ!?」


「我が国の塩は、他国で非常に評価されている。おかげで、我が国には潤沢な資金があるのだよ」


「こ、これは、一体っ……!」


「聖ミュラーに仕える総本山といえ、今や帝国の庇護も失った貧乏団体……まぁ、金で転ぶのは当然だ」


 マリンの信頼していたはずの神殿騎士たちの、突然の裏切り。

 それは――この男が、金を握らせたから。


「言うことを聞いてもらおう。お前が嫌だと言うならば首を刎ねて、もっと私の扱いやすい者に大教皇になってもらうだけだ」


「う、ぐっ……!」


 そして、この日。

 どの国にも所属しない中立地帯に存在していた、ミュラー教の新たな総本山。


 聖マリン大聖堂は、ミズーリ湖岸王国の領土となった。

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