第7話 オルヴァンス王国への使者

 オルヴァンス王国、王都宮殿。

 そこに、先触れの使者がやってきたのは二日前のことだ。その用件は、「グランディザイアより使者が参ります」とのこと。そのために、女王フェリアナには時間を作るように伝え、そのまま去っていった。

 ゆえに、フェリアナはこうして、グランディザイアの使者を玉座の間で迎えたわけだが。


「まさか、あなたが来るとは思わなかったわ。ジェシカ」


「壮健のようで何よりです、女王」


 母と娘。

 されど、オルヴァンス王国女王とグランディザイア使者としての対面。

 重臣数名によって見守られるこの場は、母と娘の対面ではない。あくまでグランディザイアからの使者の用件を、オルヴァンス王国女王が聞く場である。

 しかし、まずフェリアナは笑顔と共に牽制を入れた。


「そんなに堅苦しくしなくてもいいわよ、ジェシカ。あなたにとって、ここは故郷なんだから。使者として来なくても、たまには里帰りをしてくれてもいいのよ?」


「お気遣いありがとうございます」


 しかし、ジェシカは頭を下げたまま、上げようとしない。

 代わりに、首を振って固辞した。


「わたしはこの度、グランディザイアより派遣されてきた身です。オルヴァンスは確かに故郷ですが、このように公式に派遣されている身で、そのように振る舞うことはできかねます。女王陛下とは、私人としての場で語り合わせていただければと存じます」


「……ええ、分かったわ」


 聡明なジェシカの言葉に、フェリアナは笑みを浮かべる。

 当然、ジェシカもこれが牽制であるということは分かっているのだ。いくら母と娘であれど、今は他国からの使者に過ぎない。そこに私情を交えることは、今後の国交が危うくなる可能性もあるのだから。

 ゆえに今、ジェシカは完全にグランディザイアの使者として振る舞わなければならない。


「なるほどね。ただの使者ではなく、貴方が派遣された。つまり、それだけ面倒な案件だと思っていいのかしら?」


「ノア様より、この度の交渉についてはわたしに一任されております」


「いいわ。でしたら、用件を聞きましょう。面を上げていいわ」


「はい。ありがとうございます」


 フェリアナの言葉と共に、顔を上げるジェシカ。

 あくまでジェシカは使者であり、フェリアナは隣国の女王――その姿勢は崩さない。

 その上で、ジェシカは懐から丸めた書状を一枚取り出した。しかし、その書状は開くことなく、小さく息を吐いてから続ける。


「我が国で現在、国民の流出が問題となっております。その受け皿となっていただいているオルヴァンス王国に、まず感謝を申し上げます」


「正直、うちも厳しいわよ。これ以上流民が増えるようなら、受け入れることはできないわ」


「我らが王も、そのことを危惧しております。その上で、オルヴァンス王国に納得いただけるだけの内容はお持ちいたしました」


「ええ、聞かせて頂戴」


 フェリアナの促しに対して、ジェシカはまず指を一本立てる。


「まず、グランディザイアはハイドラの関より以西の地を、全てオルヴァンス王国に譲り渡します」


「なっ……!」


 驚きの声は、フェリアナの周囲を囲む重臣から。

 しかしその驚きは、あくまで一瞬。それを提示されたフェリアナの表情が、何一つ変わっていないゆえに。


「なるほど。その対価はいくらほどかしら?」


「現在、彼の地より税収が予定されるのは、年間で金貨百枚といったところです。今後十年分の税収予定額……金貨千枚。これで如何でしょうか?」


「あら。随分破格ね」


「勿論です。これはあくまで、オルヴァンス王国に流民を受け入れていただくためですので。今後も継続する民の流出も、これだけの領地があれば受け入れることが可能かと存じます」


「ふぅん……」


 ジェシカの言葉を聞きながら、フェリアナは考える。

 確かに言う通り、それだけの広大な領地があれば、どれほど流民が増えても受け入れることができるだろう。そして、広大な領地があれば流民は、即ち生産力になる。現在の税収どころか、流民を受け入れてそこで労働に従事させるだけで、倍は稼ぐことができるだろう。

 さらに、オルヴァンスの本国からてこ入れを行えば、その税収は十倍にもなる。ろくに開墾されていない広大な土地というのは、それだけの価値があるのだ。


「ただし、ハイドラの関より以西でも一部……リルカーラ遺跡近くの『魔の森』だけは、グランディザイア領として継続していただきたく存じます」


「『魔の森』を?」


「はい。ただ、グランディザイアからすれば、領地が飛び地になります。そのため、『魔の森』への他国民の侵入については、オルヴァンス王国側で対処していただきたく存じます」


「……」


 まず、フェリアナには理解ができなかった。

 元々『魔の森』は、オルヴァンス王国とドラウコス帝国の国境だった。そして、広大かつ強力な魔物の出現する『魔の森』が、両国の間に存在することで、一つの抑止力となっていた。

 だが、『魔の森』に生産力はないし、切り拓くにもかなりの人手を必要とするだろう。そちらに人員を充てるくらいならば、別の場所の開墾を行った方が良い。

 ゆえに、理解ができない。

 どうしてわざわざ、『魔の森』などという不良物件を保有したがるのかを。


「まぁ……いいでしょう。『魔の森』への侵入は禁止。それを、国内で徹底させればいいのね」


「違反者には重罰を。仮に、こちらで違反者を発見した場合、容赦なく死罪といたします」


「……その言葉も含めて、徹底させるわ」


 ふぅ、と小さくジェシカが息を吐く。

 フェリアナからすれば、与えられる全てが好条件だ。断る必要はどこにもない。せいぜい『魔の森』が領地になれば、少しずつでも開拓していく必要があるか、街道の整備をするべきだろうと思っていたくらいだ。

 侵入を禁止し、違反者は死罪――それは厳しい条件だけれど、そもそも好んで『魔の森』に近付くような輩もいるまい。


「そして、最後に……グランディザイア領への、人間の入国を禁じます。どうしても入国が必要な場合は、事前に申請をしてください」


「……国境を封鎖するということ?」


「はい。勿論、全てを受け入れないというわけではありません。旅人がどうしても通過が必要であったり、商人が取引の経路として使いたいという場合は、申請をいただければ受理いたします。ただし、冒険者は一切の入国を禁じます」


「なるほどね」


 フェリアナはようやく、ここまでうまい話が転がってきた理由が分かった。

 グランディザイアは今、荒れている。魔物を隣人とすることに反対している人間が、次々と他国へ流出しているのだ。そして、その流民はオルヴァンス王国の経済もまた揺るがしている。

 だからこそ、格安の代金で領地を譲り、流民の受け皿をオルヴァンス王国にする。

 その上で、グランディザイアは魔物の国として成り立ち、国境を封鎖することで人間との共存を図ろうとしているのだ。


 頭の中だけで、向こう十年の国の推移を計算する。

 フェリアナが上手く立ち回れば、広大な領地、倍増する国民、そして潤沢な国力――その全てを用いて、グランディザイア以外の全ての国を統べることもできるだろう。

 そのとき、オルヴァンスとグランディザイアに友好的な関係が築けていれば、共存の道は続くだろうが――。


「そのあたりの条件をまとめた書類が、こちらになります」


「ええ」


 使いの者がジェシカの近くに行き、書状を受け取る。

 それが重臣たちの元に運ばれ、そのまま彼らが読み始めるのを確認した。仮にジェシカが詐術で騙そうとしている場合、彼らから声が上がるだろう。

 そしてフェリアナは、先程までのジェシカの言葉で、グランディザイアが――ノアが何を求めているか、それを把握することができた。

 その上で、オルヴァンス王国をどう利用しようとしているか、も。


「オルヴァンス王国女王として、先のグランディザイア特使の言葉、受け入れましょう」


「なっ――! 陛下!?」


 本来、これは国と国の間で行われる取引。

 そしてフェリアナは女王といえど、それを全て己で決める暴君ではない。

 だが――。


「ただし、条件があります」


「条件、ですか……?」


「ええ」


 ジェシカが、恐る恐るといった様子で、そう質問し。

 フェリアナは、それに対して端的に返した。


「――」


 ごくり、とジェシカの喉が鳴る音。

 ジェシカは今、全権を委任されてこの場にいる。交渉の全てを任せると、そうノアから命令を受けてここにいる。

 ならば――これも、決断するのはジェシカ。

 さぁ、どうする――そう、試すようにフェリアナはジェシカを見て。


「承知いたしました。その条件、呑みます」


 そう――決意の籠もった眼差しと共に、ジェシカは答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る