第13話 全ての決着

 暫くマリンは放心していたが、ようやく思い出したように立ち上がり、それから自分の服を引き裂いて一枚布を作ってから、自分の顔へとあてた。マリンの手にかかった大教皇がやっていたように、目から下の顔を隠している状態である。

 僕にはよく理解できなかったが、『大教皇は顔を晒してはならない』みたいな規則でもあるのだろうか。


「申し訳、ありません。ノア様。ありがとうございます」


「ええと……マリンがこれから、新しい大教皇ってこと?」


「はい……そう、なりました」


 どことなく暗い面持ちで、マリンがそう言ってくる。

 信仰する聖ミュラー様に認められ、ミュラー教でも最高位の大教皇になったというのに、どこか暗い様子だ。憧れの職業になったんだから、もっと喜べばいいのに。

 いや。

 それはきっと、僕の手助けをしたこと――間接的にではあれど、己の父を殺してしまったことへの悔恨なのだろう。


「きみで、良かった」


「えっ……」


「マリンが大教皇になったのなら、これからミュラー教はもっと良くなると思う」


「……ご期待に添えるかどうかは分かりませんが」


 不安そうに、マリンが顔を伏せる。だけれど、僕としては良い結果に収まったと思う。

 前大教皇――ルークディア・ライノファルスは、息子であるヘンメルに継がせたかったみたいだけど、聖ミュラー様が次代の大教皇として選んだのはマリンだった。

 まぁ門外漢である僕には、その選考基準などさっぱり分からない。でも、もし僕が聖ミュラー様だったとしたら、より信心深く自分を信仰してくれる相手を選ぶだろう。少なくとも、全く信者らしくないヘンメルなど選びはしまい。

 そりゃ、『転職の書』とかで無理やり変えるのならまだしもね。普通に考えたら、ヘンメルが大教皇になる道などありえなかっただろう。


「私などに大教皇が務まるかは分かりませんが、全力で頑張りたいと思います」


「うん。僕としては、聖ミュラー様に全力でグッジョブって叫びたいところだよ」


「……?」


 僕の軽口に、マリンは僅かに首を傾げる。

 だけれど、一人蚊帳の外にいたヘンメルは死した大教皇を見て、それからマリンを見て、そしてぷるぷると腕を震わせていた。


「姉さんっ! どういうことだっ!」


「ヘンメル……見ての通りです。私は、次代の大教皇として聖ミュラー様に選ばれました」


「ふざけるなっ! 大教皇になるのは、僕だったはずだぞ!」


「それが聖ミュラー様の選択であるのならば、私は甘んじて受け入れるだけです」


「ふざけるなと言っている!」


 顔を真っ赤にして怒りをぶつけるヘンメルに、しかし冷静に告げるマリン。

 こいつは一体、何の根拠で大教皇になるとか言ってるんだろう。

 マリンは悲しげに顔を伏せ、しかしその目線には哀れみを込めて、ヘンメルを見る。


「あなたがどんなに叫ぼうとも、これは聖ミュラー様がお決めになられたこと……」


「だったらっ!」


「え……」


 ヘンメルが床に転がっていた短刀を抜き、構える。

 その先端をマリンに向け、血走った目で、まさに言葉通り親の敵を見る目でマリンを見据えた。

 やれやれ。

 もうこれ以上、面倒ごとは御免なんだけど。


「僕が、僕こそが、次の大教皇に相応しいんだ!」


「ヘンメル、落ち着きなさい……大教皇を選ばれるのは、何より聖ミュラー様の……」


「黙れぇっ!!」


「《解析アナライズ》」


 さて、そう堂々と言っているヘンメルは、果たしてどれほどのレベルなのか。

 僕の目に、彼の情報が半透明の文字列で――。


 名前:ヘンメル・ライノファルス

 職業:農夫レベル4

 スキル

 農作業レベル4

 大地の恵みレベル2


「……」


 いや、お前、職業『農夫』なのかよ。

 神官とか僧侶とかそういう職業じゃなくて、『農夫』なのかよ。

 というか、大教皇って農夫でもなれるものなのか。そういえば、もう死んだ大教皇、職業『村人』のスキル持ってたな。大教皇になるのって、そういうの関係ないのかよ。

 しかもレベル低いし。これ完全に、大教皇の息子だからって調子に乗って、自分の職業と向き合わずに遊んでたパターンだ。


「姉さんが、ここで死ねば……! 大教皇は、僕のものだっ!」


「おい」


 ヘンメルがそう喚くのに対して、僕はできるだけ声を低く、威圧感を与えるように口を挟む。

 先程、僕とゴルドバが戦っている姿は見ているだろう。だったらこいつにとって僕は、『守護者を倒せるほどの強さを持つ者』として映っている。

 事実、僕がそう声をかけるだけで、びくっ、とヘンメルは肩を震わせた。


「それ以上、動くな。武器を捨てろ」


「ぼ、僕はっ……!」


「んじゃ、別に捨てなくてもいいよ。その代わり、死ぬのはお前だ」


「――っ!」


 鋭く、睨み付ける。

 ヘンメルはそんな僕を見て、震え、それから周囲を見回す。

 ここにいるのはマリン、ヘンメル、僕、レイ兄さん、ドレイク、ジェシカ、父さんだ。

 少なくとも、ここにもうヘンメルの味方は誰もいない。必死に命乞いをしてくるのなら、姉としてマリンが助命嘆願くらいはしてくるだろうけれど。

 ヘンメルも、そんな自分の現状が分かったのだろう。


「く、そっ……!」


「分かったか? それじゃ、おとなしく……」


「まだ、こっちには人質がいるんだぞ!」


 だっ、とヘンメルが一気に駆け出す。

 それは、奥の扉へ続く道――母さんと兄さんが、まだいる場所だ。

 まずい――そう、僕が焦って向かおうとした瞬間。


「誰が動いて良いと言いましたか」


 とんっ、とヘンメルの首に落とされる手刀。

 絶妙な角度で入れられたそれが一瞬でヘンメルの意識を刈り取り、床に沈める。当然それは、ヘンメルの動きを予測して一瞬で回り込んだドレイクの仕業だ。

 正直、ゴルドバとの戦いで全力を尽くした僕は、もうまともに動くことができない。ここは、ドレイクの英断に感謝といったところか。


「はぁ……このような屑でなく、マリン殿に大教皇の座が渡されたことが、救いですな」


「……そうだね」


 やっと目下の敵もいなくなったし、全身から力が抜けて、腰を落とす。ようやく座ることができたことに安堵だ。

 座っていることすら耐えられずに、大の字になって寝転がる。ああ、もう。本当に疲れた。このまま泥のように眠りたいくらいだ。


「ノア……」


「ああ、どうしたの、父さん……」


 寝転がった僕を覗き込む、父さんの顔。

 僕は、目的を達成した。守護者との戦いとか誤算はあったけど、家族を救うことができたのだ。

 十五歳の頃、旅に出てから全く会っていなかった父さんは、憔悴しながらもあの頃のままで。


「ノア! 説明しろ! 何故お前が魔王になっているのだ!?」


「え……」


「お前が魔王だと国中に噂が走って、儂らがどれほど苦労したと思っている!? いきなり帝国の兵士に攫われて、皇帝陛下の前で処刑されそうになって、そこを宰相が『人質として使えるでしょう』とか云々言い出して、結局ろくな飯も与えられずに監禁されていたんだぞ!? 儂らが一体何をしたというのだっ!?」


「……」


 ははっ、と思わず笑いが漏れる。

 そうだった。そういえば、こんな人だったよ、父さん。


「あー……父さん」


「何だっ! いいか、魔王というのはだな!」


「元気そうで、良かった」


 僕の、心から出たそんな言葉に。

 父さんはさらに説教を続けようとしたところを、阻まれたみたいに。


 ちっ、と舌打ちして、「この馬鹿息子が……」と呟いただけだった。

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