第8話 緊張の形勢
「父上っ!」
「公務の際には、我を父と呼ぶことを禁じたはずだ。マリン」
「うっ……! げ、猊下っ! このようなことは……!」
僕の家族を人質に取り、脅してくる大教皇――さすがに、そんな行為は見逃せないと感じたのか、マリンがそう大教皇を問い詰めた。
どうやら、マリンはまともな神経をしているらしい。僕は、今にも怒りの炎で燃え滾りそうなんだけど。
だけれど、ひとまず大教皇の注意がマリンに向かった時点で、僕はドレイクに目線だけで合図を送った。
そして、ドレイクとの《
「間違っています! 家族を人質にとって協力を要請するなど、まるで隷属を強要しているようなものです!」
「だからどうした」
「このような暴挙、聖ミュラー様はお許しになられません!」
「いいや、許すのだ。我の成すことであらば、聖ミュラー様は全てをお許しになる。それが我、大教皇――聖ミュラー様の今生における代弁者であるがゆえに」
こいつは何を言っているのだろう。
大教皇という地位は、それほど偉いのか。神が自分のすることであれば、どんなに外道なことでもどんなに非道なことでも、自分を許すというのか。
そんなもの、宗教をただ自分の思い通りに利用しているだけじゃないか。
「そ、そんなの……!」
「黙れ、マリン。我は聖ミュラー様の代弁者。そしてこの世の全ては遍く我が子である。父に逆らうと申すか」
「ちち、うえ……!」
悲しそうに、大教皇を見るマリン。
彼女は、ミュラー教の敬虔な信者だったのだろう。そんな信者の目の前で、まるで宗教を私物化しているような大教皇を見てしまったのだ。
その瞳に浮かぶのは、失望――少なくとも僕には、そう見えた。
その調子で、どうにかマリンに時間を稼いでもらおう。その間に、僕はドレイクと念話で策を整える。
どうにか、無事に父さんを保護するために。
「ヘンメル! あなたも、何を考えているのですか!」
「あん……?」
「聖ミュラー様にとって、この世全ての民は遍く我が子! そして聖ミュラー様は、私心によって人を害することなどありません!」
「おいおい姉さん……これは必要なことなんだぜ。父上が教国の王になるためなら、手を汚すことだって必要だろ?」
「そんなこと、聖ミュラー様はお望みになられません!」
マリンの言葉を、ヘンメルは嘲笑する。
その目は、明らかにマリンを見下しているかのように。それはまるで、彼女の信仰すらも馬鹿にするかのように。
ここでようやく、僕にも彼らの関係が飲み込めてきた。
マリンの名字はライノファルス。そして、大教皇の名字もライノファルス。そしてマリンは大教皇を「父上」と呼び、ヘンメルはマリンを「姉さん」と呼んだ――つまり、ヘンメルは大教皇の息子ということだ。そしてマリンの弟だと考えていいだろう。
そして、僕にも分かるくらいに。
ここに、敬虔なミュラー教の信者は、マリンしかいない。
「……大教皇、父さんを放せ」
「ほう、魔物使い。協力する気になったか?」
「お前とは、話が通じないことが分かった。何が聖ミュラー様だよ。僕はミュラー教なんか信じてないけど、お前の態度が気にくわない」
「であらば、父の命はいらぬと、そういうことだな」
「ノア……!」
父さんが、僕を見る。
僕だって、助けることができるのなら助けたい。無駄に貴族としてのプライドばっかり高くて、職業『村人』だって報告したときに「お前は本当に役立たずだな」とか暴言を吐いてきた父さんだけれど、それでも僕と血を分けた父であることには変わらないのだ。
だけれど、僕が一歩では近付くことのできない距離。
そして、ヘンメルは短刀を父さんの首にあてている。
僕にできることは、せいぜい大教皇を脅すことくらいのものだ。
「お前が、父さんを殺したらどうなるか……分かっているんだろう」
「ほう。言うてみよ」
「僕はこの場で、全力で暴れる。お前が奥から母さんと兄さんを引きずり出す前に、お前ら二人の首を取る。僕は、父さんがまだ生きているから動いていないだけだ。そっちが優位に立っているとか、そうは思わないことだね」
「おそろしい」
くくっ、と笑いながら、全くそうは感じていないように大教皇が呟く。
僕は元『勇者』レベル99だ。そして、ここにはレベル99の魔物、ドレイクもいてくれている。神殿騎士がどれほど襲ってこようと、家族ジェシカを守りながら脱出することなど容易いものだ。
あとは、父さんの保護さえ、無事に終われば――。
『ドレイク、やって』
『は』
念話の向こうでドレイクが頷いて、小さく力ある言葉を唱える。
「《
それと共に、ドレイクの体に僅かな光が走る。
そして次の瞬間には、その場から消えていた。まるで跡形もなくなったかのように。
突然消えたドレイクに疑問を覚えたのか、大教皇が僅かに眉を上げた。
「ほう……転移でも使ったか。まさか、増援を呼ぶつもりではなかろうな」
「僕の仲間は、国に一万匹以上いる。やろうと思えば、こんな神殿なんて一日で潰せるよ」
「であらば、貴様の国――グランディザイアと帝国が、正面衝突することになろう」
「……」
帝国の民は、僕がここにいることを知らない。
そんな状態で魔物の軍勢が攻め込んできたら、確かに全力で防衛してくるだろう。
だけれど、とにかく今は時間を稼ぐのだ。
大教皇とヘンメルの注意を、僕に向けなければならない。
「マリン」
「えっ……わ、私ですか……?」
「ああ……君に聞きたい。マリンにとって、どちらが理想郷であるのか」
「それは……」
マリンは、大教皇の考えを良しとしていない。
聖ミュラー教国の建国についてどう思っているかは分からないが、少なくとも僕の家族を人質にとって協力を強要することには、反感を抱いている様子だ。
だったら、マリンはこっち側についてくれる――何の根拠もないけれど、そう思った。
「僕は、魔物と人間が共存できる国を作る。誰が支配することもない、魔物と人間が隣人として共に暮らすことのできる国を」
「魔物と人間が、共存……」
「ああ、そうさ。聖ミュラー様にとって、全てが遍く我が子なんだろう。だったら、魔物だってその仲間に入れてくれよ」
「……」
「僕の仲間は、気持ちのいい奴ばかりだよ。少し乱暴かもしれないけど、心根は優しい奴らばっかりだ。実際に今、エルフの村の者たちとは良い関係を築けてる。それが、人間相手でも僕は変わらないと思ってる。何より……」
魔物だからといって恐れずに、隣にいてくれるなら。
僕の魔物たちは、全力で彼らを守るだろう。消費することのない魔物たちが生産し、人間が消費し、消費によって需要が生まれ、需要に対して供給が生まれ、経済は循環する。
グランディザイアが目指す先は、そんな理想郷なのだ――。
「僕の国は、何の差別もしない」
「――っ!」
「それがミュラー教の信者であっても、エルフであっても、どの国のどの人間であっても、僕の国では一人の人間として扱う。宗教を信じないからといって弾圧なんかしない。宗教を無理に押しつけることもない」
「あ、ああ、あああ……!」
聖ミュラー教国は、ミュラー教を最上に置いた国だ。
そうなれば、間違いなく宗教に関する弾圧が起きる。他の神を信じる者は受け入れず、差別階級に落ちるかもしれない。異端者として処刑されることもあるだろう。
だけれど、僕の国ではそんなもの、ないのだ。
「マリン」
「だ、大教皇、猊下……」
「異教徒の甘言に惑わされるでない。我が教国が建国した暁には……」
ようやく。
ここで。
僕の稼いでいた時間が――実を結んだ。
「ぎゃあっ!!」
「むっ――!?」
べきっ、という激しい音と共に、ヘンメルの手から短刀が落ちる。
恐らく腕を折ったのだろう。その右手が関節を一つ増やして、ありえない方向に曲がっている。
さすが、ドレイク。
僕が時間を稼いでいた甲斐があったというものだ。
「ぐあああっ!! な、何だ、これっ!?」
「くくっ……」
どろりと、ヘンメルの体に纏わり付くような水の塊。
それが一瞬でヘンメルの腕を取り、そのままへし折ったのだ。
その正体こそ、ドレイク。
「ノア様。お父上、無事に保護いたしました」
水の塊――スライムと化したドレイクが、その透明の手で僕の父さんを抱えて、一瞬で僕の元へと戻ってくる。
これでようやく、向こうの優勢はなくなった。
「さて」
唯一、僕と交渉するにあたっての武器だった父さん。
それを失った大教皇に対して、僕は不敵に微笑んで。
「形勢逆転だ」
そう、告げた。
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