第5話 帝都へ
グランディザイアを出発した馬車は、順調に帝国領を通って帝都へと向かっていた。
馬車の中には僕とジェシカ、ドレイクである。そして、そんな馬車の手綱をとっているのがレイ兄さんだ。元々馬車の御者台にいた人物は、代わりにレイ兄さんが乗ってきた馬の背に乗っている。
何気なく外の風景を見ながら、小さく嘆息。
こんな風に帝国領に来たのは、いつだったかパピーの背に乗ってやってきて以来か。
「馬車が、これほど遅いと思ったのは初めてですね」
「パピーの背に乗ってきたら早いんだけどねぇ。それだと、帝国側に僕が来たって宣伝しているようなものだし」
「うぅ……おしりが、痛いです……」
「もう、七日目だもんなぁ……」
馬車の中で寝泊まりすること、もう七日間だ。
さすがに狭いし、寝苦しい。夜の間、ドレイクは大丈夫だからと外の番をしてはくれるけれど、向かい合っている二つの座席で、僕とジェシカが眠っている状態だ。
数日寝なくても大丈夫な体ではあるけれど、それでも疲労というのは溜まるものである。
「用が済んだら、パピーを呼び出して帰りは乗せてもらおう」
「そちらの方が良さそうですね。ジェシカ姫も疲れているでしょうし」
「わたしも、正直そちらの方が助かります……」
ジェシカも、憔悴した様子でそう言ってくる。
さすがに子供に、これだけの長旅はきついということだろう。高級な馬車だけあって座席はふかふかだけれど、眠るのに適しているとは言えないのだ。
まぁ、周りで馬に乗っている騎士たちは、僕たち以上に疲れが溜まっているだろうけれど。もっと言うなら、御者台から動いていないレイ兄さんも。
「ですが、大教皇はノア様に何の用なのでしょうか」
「会ったことはないと思うんだけどね」
「もしもノア様を呼び出し、害するつもりであればこのドレイク、全力をもって暴れる所存です」
「それは僕も大いに賛成だけれど、僕の家族の無事を確認してからね」
ドレイクが物騒なことを言っているけれど、御者台のレイ兄さんは無反応だ。それも当然、ドレイクは今魔物だから言っていることが分からないのである。
ちなみに分からないのをいいことに、「ノア様の家族の身柄を攫い、それをもって取引を行おうとするなど、外道の所業」などと大教皇を批判していたりした。一応、僕を呼び出している相手なんだけどさ。
「もう間もなく、帝都に到着する」
「ああ、そろそろ?」
「ここからはあまり顔を出すな、ノア。お前たちの顔を知っている者もいるかもしれん」
「検閲を受けずに、中に入れるわけ?」
「問題ない」
普通、外部から何か入るときには門番が確認すると思うんだけど。荷物に危険なものがないかとか、犯罪者が入ろうとしていないかとか。
だから僕、今まで帝都って入ったことないんだよね。旅の途中も、身分証とか持ってなかったから入れなかったんだよ。
だけれど、レイ兄さんは首を振った。
「この馬車は、大教皇が客人を呼ぶときに使われるものだ。馬車そのものが、大教皇の権威を示すものとなる」
「そうなの?」
「ああ。天頂に掲げられたミュラー教のシンボルに、馬車の側面には大教皇の印章も入っている。この馬車に乗っている限り、その身分も何も問われることなく帝都に入ることができる」
「へぇ」
それじゃ、この馬車をどうにか複製したら、平和的に帝都に入ることができるのかな。
多分、ジェシカとドレイクも同じことを考えているのか、少し眉根を寄せている。
「妙なことは考えるなよ」
「ん?」
「この馬車に乗っている限りは何の検閲も受けないが、その代わりに入出都は厳しく記録される。門から出た記録もないのに入都しようとすれば、その時点で衛兵が集まるぞ」
「……」
多分、同じことを考える奴がいるんだろうな。
ジェシカとドレイクも、残念とばかりに溜息を吐いていた。
「で、兄さん」
「何だ」
「大教皇が僕に用事ってさ、結局何の用なのさ」
「俺はそこまで聞いていない。ただノアを連れてこいと言われただけだ。家族を人質にされてな」
まぁ、こんな馬車まで用意して、人知れず会いたいという要件だ。使者であるレイ兄さんにも、詳しく話さないのは当然だろう。
だけれど、さすがに何の準備もなく大教皇に会うとかねぇ。
「あ、そういえば」
そこで、ふと思い出した。
ミュラー教といえば、リルカーラ遺跡で会った神官がいた。もしも神殿にいるのなら、久しぶりに会って話すのもいいかもしれない。
もっとも、そんな風に平和的な話ができるような要件だったらいいけどさ。
ええっと、確か名前は、マリンだったと思う。
そう、マリン。確か名字は、ライノファルス。マリン・ライノファルスだ。
あれ。
ライノファルスって、なんかつい最近聞いたような気が……。
「ジェシカ」
「……はっ! え、は、はい!?」
「あ、ごめん、寝てた?」
「も、申し訳ありません!」
「いや、眠いなら別に大丈夫だよ。寝てて」
何の気もなく呼んだけど、どうやら船を漕いでいたらしい。起こしちゃって申し訳ない。
ただ、ジェシカなら最近聞いた名前、覚えてるかなって思っただけで。
「い、いえ、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「口にヨダレついてる」
「――っ! あああっ!」
ごしごしと、服の裾で口元を拭うジェシカ。
こういう所はなんか、年相応って感じだ。普段大人びているところばかり見てるから、ちょっと新鮮な反応である。
「み、みっともないところを……」
「ま、大丈夫。それでさ、ジェシカ」
「は、はい、ノア様」
「最近、ライノファルスって名字聞かなかった?」
「ライノファルス……というと」
む、とジェシカが眉根を寄せる。
それと同じく、ドレイクも片眉を上げた。どうやら、ドレイクにも聞き覚えのある名字であるらしい。
あれ。僕が知らないだけで、結構有名な名字なのかな。
でも、なんか最近聞いた気が……。
「ノア」
「ん? どうしたのさ、兄さん」
「口を挟んで悪いが、ライノファルスという名字は、俺が言った」
「え、そうだっけ?」
「昔からそうだが、お前は人の名前を覚えるのが苦手だな」
「うっ……」
確かに、昔から苦手だけどさ。
実際今、僕が名付けたはずの魔物の名前だってたまに忘れてしまうくらいだし。
「大教皇だ」
「へ……?」
「だから、言っただろう。大教皇ルークディア・ライノファルス様だ。それがどうかしたか?」
「……」
ルークディア・ライノファルス。
マリン・ライノファルス。
そしてどちらも、ミュラー教に仕える者。
ただの偶然として受け取るのは、ちょっと難しい気がする。
「いや、何でもないよ」
「ノア様、ライノファルス家といえば、ミュラー教では代々大教皇を輩出している一族です。私でも聞いたことのある名前ですよ」
「そっか」
ドレイクの捕捉に、頷く。
なるほどなるほど。
それじゃ、マリンがもしかすると、ミュラー教の中枢にいるかもしれないってことか。
「もう間もなく到着する。あまり、馬車から顔を出すなよ」
「了解」
兄さんの言葉にそう答えて、随分と近くまで見えてきた帝都の石壁を見る。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
どっちが出てきても、僕がぶっ飛ばしてやろうじゃないか。
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