第23話 閑話:ハイドラの関

「状況はどうだ?」


「はっ、将軍! 」


 切り立った山脈に囲まれた、狭い街道。

 その街道全てを封鎖するかのように建てられた関所――それが、帝国の最終防衛線ハイドラの関である。この関を落とさない限りは帝国内部へ侵攻することができず、関を迂回しようにも聳え立つ山脈が自然の要塞となる、ドラウコス帝国にとって最も重要な拠点だと言えるだろう。

 そんな関の頂上――街道を見下ろせるそこに、ハイドラの関防衛騎士団長レイ・ホワイトフィールドは戻っていた。


「ふん……将軍、か」


「何か仰いましたか?」


「何でもない。変わりは?」


「はっ。特に報告は来ておりません」


 己の補佐官の報告を聞いて、レイは小さく溜息を吐く。

 本来、レイは二等騎士だ。

 一等騎士、二等騎士、三等騎士、准騎士と立場の分かれるそれは、絶対的な騎士団における身分にも等しい。大隊長から上は一等騎士しか就任することができず、二等騎士はどんなに頑張ったところで中隊長止まりだ。そして二等騎士までは戦いの成果、褒賞などで昇進することはできるが、一等騎士は上級の貴族しか昇進することができないのである。

 騎士団は実力主義、などと申しながら、実際のところその上層部は上流貴族で埋まっているのが現実である。


 だというのに。

 二等騎士であるレイは、皇帝アレクシスからの勅命を受け、このハイドラの関を守る将軍へと任命された。


「はぁ……」


 何故、自分がこんな役割を――そう、嘆きたい気持ちになってくる。

 レイが将軍に任命された最大の理由。それは、己の弟であるノア・ホワイトフィールドが帝国に牙を剥いたからだ。

 しかも、魔王として。

 弟が魔王になったなど、信じたくなかった。何より、レイの記憶の中にあるノアは、魔王などという存在からは程遠い人間だったのだ。何せ、天職の儀によって与えられたそれは『村人』。父であるノエル・ホワイトフィールドから、「お前は本当に役立たずだな」と罵られていたのも記憶に新しい。

 だというのに、ノアは今代魔王になった。

 そしてレイは、将軍という名のノアに対する人柱として、このハイドラの関に派遣されたのだ。


「失礼します、将軍!」


「む……?」


「帝都より使者にございます!」


「会おう」


 門番の兵の言葉に、そう答える。あまりにも過ぎた身分であるとはいえ、レイは今将軍だ。少なくとも、使者には会わなければなるまい。

 もっとも、皇帝からすれば、今ここで生きていることすら誤算なのかもしれないが。

 何せ、先日会った弟ノア。レイがノアに対して、何度となく無礼なことを告げたのは、全て皇帝からの指示であるのだから。


『今すぐこの街を解放し、魔物たちを皆殺しにしろ。そうすれば、お前だけは助けてやる』。

『そのドラゴンに俺を殺させるのか? だったらやってみろ』。

『殺すのならば、好きにするといい』。


 その全てが、皇帝――そして、側近の宰相である『ドラウコスの智』カーマインの指示だ。そうでなければ、レイの言葉など全て自殺志願者のものにしか聞こえまい。

 理由は、ただ一つ。

 今代魔王ノアが、自分の肉親を殺すのか――それを確認するために。


「使者の方はどこに案内している」


「は、はっ! こちらにご案内しております!」


「む? 何故だ。応接室にでも……」


「はっ! そ、その、使者の方が、こちらの方が良いと……」


「ふむ」


 わざわざ、こんな高いところまで来なくてもいいものを。

 ただの二等騎士でしかないレイであり、将軍としての振る舞いなどさっぱり分からないが、それでも正式に打診されたものだ。帝都からの使者がどれほど高貴な人間であったとしても、将軍として対応しなければならない。

 そう考えるだけで胃が痛くなってくるが、それでもやらなければならないのだ。騎士として。

 しかし、門兵の案内と共に現れたのは、レイの予想とは全く違う人物だった。


「お初にお目にかかる。レイ・ホワイトフィールド将軍」


「は。ご足労、感謝いたします」


 それは、三人の男女だ。

 レイから向かって右にいるのは若い男で、どことなく幼さが残る顔立ちである。神官服に身を纏ってはいるものの、着崩している様子だ。加えて、長い黒髪を一部だけ金色に染めているようなその髪型は、神官らしくない若さを感じさせる。

 そして左にいるのは、こちらは若い女だ。整った顔立ちに清潔に整えられた神官服を纏っているのは、神官の女性として相応しいものだ。こちらは姿勢も良く、表情も厳しく、まさに神に仕える者だと全身で主張しているのが分かる。

 最後に、中央。

 こちらは、顔の前面を白い布で覆った、性別も知れない者だった。嗄れた声から恐らく男性だと思うが、えもしれぬ不気味さを持っている。


「こちらはミュラー教大教皇、ルークディア・ライノファルス猊下にございます」


「――っ!」


「此度、神託があり参りました」


「こっ、これは、失礼をいたしましたっ! 私はレイ・ホワイトフィールドと申します!」


「良い」


 レイは跪き、頭を下げる。

 使者であるならば、将軍として尊大に振舞ってもいい。だが、相手がミュラー教の大教皇ともなれば、話は別だ。

 大陸全土に広がる大宗教、ミュラー教の大教皇となれば、一国の皇帝よりも遥か天上人である。少なくとも、帝国民としてミュラー教の信徒の一人であるレイからすれば、神にも等しい人物だ。

 そういえば、大教皇は教義により顔を見せてはならないとか、そういう話も聞いたことがある。


「面を上げよ。我が子レイ」


「は、はっ!」


「此度、ここに参ったのは、貴公を跪かせるためではない。かの魔王に対し、神託が下った。必ずや、あの魔王を打破せよと」


「は、はっ……そ、それは、一体……?」


「少し、揺れる。されど、それがこの国を救うであろう」


 意味の分からない大教皇の言葉だが、しかしレイに否は言えない。

 大教皇は布越しに周囲を睥睨し、それから山の一つを注視した。まるで多くの尖塔が立っているかのように、鋭い槍の立っている山を。

 そして、大教皇はそんな山に向けて、白い手袋を履いた右手を翳す。


「聖ミュラー様より、託言あり。目覚めよ、ハイドラ」


 そんな、短い文言。

 しかしその言葉は、絶対的な神の託言。

 ただ右手を翳し、言葉を告げた――ただ、それだけの行為で。

 大地が、揺れた。


「――っ!」


 強固なハイドラの関が、左右に揺れる。

 思わず立っていられず、大教皇の両隣にいた男女が座り込むのが分かる。最初から跪いているレイでさえ、倒れるのを堪えることに必死だった。

 しかし、大教皇は不動。

 座り込むことなく、倒れ込むことなく、その布越しの眼差しが見据えるのは、揺れる山。


「あ、あ……!」


 山が、割れる。

 それと共に現れるのは、土色の肌。長くうねる首。

 暴虐――。


「よくぞ目覚めた。我が子ハイドラよ」


「■■■■■■■■■――――!!」


 山を崩し、そこに生まれた数多の首を持つ暴虐が。

 まるで、その先にいる魔王――ノアに対して威を示すかのように。

 そう、咆哮した。

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