第17話 ジェシカの報告

「ええっと……」


「あ、はい! こちらが、契約の書類です。一通り確認は済んでいます」


「ふーん……」


 シルメリアとの邂逅があってから、七日後。

 僕は僕の執務室で、ジェシカの持ってきた書類に目を通していた。

 書類というのは、先日送られてきたオルヴァンスからの契約書類だ。具体的には、以前にフェリアナが言っていた魔物たちを傭兵にする件である。

 ジェシカとてオルヴァンスの王族ではあるけれど、一応僕の軍師として全力を尽くすと言ってくれているため、グランディザイアの方に損のある内容でないかどうか確認してくれているのだ。


「金額は問題ない?」


「はい! えっと、一般的な傭兵を雇う値段の、およそ五倍の額を提示されています」


「五倍、かぁ……」


 一時は、僕も傭兵になろうかと思ってたことがあった。

 転職の書を探すための旅に出てみたものの、全く所在が掴めなかった頃だ。一応元『勇者』だったし、剣技も当時でレベル80台だったから、傭兵稼業でも食べていけるかな、って思ったのである。

 だけれど、蓋を開けてみれば報酬は月に銀貨二枚という、命賭けなのに普通の仕事にちょっと色がついた程度の額だった。しかも、戦争がなければ一切報酬は支給されない。加えて、傭兵団に入るためには身分証の提示が必要であり、身分証を得るためには公的機関で《解析アナライズ》を受けなきゃいけないという、完全に僕を拒んでいる内容だったのだ。

 だから、ってわけでもないけど、傭兵に対してあんまりいい印象がない。


「ってことは、一匹派遣すると銀貨十枚ってこと?」


「はい! ただ、契約自体は、百匹単位から行うそうです。加えて、指揮官の魔物も含めての計算になりますので……」


 ええと、とジェシカが僅かに天を仰ぐ。

 頭の回転は早いけれど、まだ八歳のジェシカだ。計算はそれほど得意というわけでないらしい。

 そんな様子は、どことなく微笑ましい。

 まぁ、僕も計算は得意じゃないし、そこはジェシカとの共通点なのかな。


「仮に魔物の傭兵千匹を六十日派遣する場合、三十日あたり一匹につき銀貨十枚の価格に加えて指揮官の魔物を十匹派遣する必要があります。こちらの指揮官は通常の倍の価格として見做されますので、一匹につき銀貨二十枚です。また、契約上は帝国金貨での支払いという形になるのですが、帝国金貨はオルヴァンス金貨と比べて金の含有量が九割五分ほどしかありませんので、そちらも考慮した場合……合計で金貨百九十一枚、銀貨九十枚という計算になります」


「……」


 ええと。

 何この子、その計算あの短時間でやっちゃったの。

 僕もジェシカも計算苦手なんだー、とか言ってた僕、完全に馬鹿じゃないか。


「値段設定としては、妥当かなと……。また、追加でこちらからの注文として、『傭兵の食費はグランディザイアが負担する』『傭兵が死んだ場合、亡骸はグランディザイアへと送り届ける』『死んだ者一匹あたり、金貨二十枚の手当を支払う』という形で示しています」


「食費、ね」


「あ! でも、実際のところは、必要なお金というわけではありません。ですが輜重隊を偽装して、そちらの魔物には石でも積んだ車を引かせるつもりです。魔物に食事が必要ないということは、同盟国といっても隠しておく必要があります」


「……」


 確かに、オルヴァンス王国は同盟国だけど。

 正直、ジェシカに『魔物に食事が必要ない』ことが露呈してからは、間違いなくオルヴァンス王国に伝わると思ってたんだけど、どうやら伝えていないらしい。

 まぁ、ジェシカにはジェシカの考えがあるのだろう。


「えっと、次が、オルヴァンス王国側の条件です。『一度に派遣する魔物は千匹まで』『期日は、状況次第で延長することが可能』『代金は前金として半分、作戦終了後に半分を支払う』『支払いを行う貨幣は、オルヴァンス金貨ならびに銀貨とする』……以上です」


「うん。それじゃ、それで問題ないって伝えて」


「はい! ご温情、故郷の女王に代わりまして深く感謝いたします」


 ジェシカが頭を下げる。

 魔物を傭兵として派遣するって話はまとまっていたし、あとは詳細を詰める程度だ。もう、あとはジェシカに丸投げしたのでいいだろう。

 最初はジェシカに全部任せるって言ったんだけど、国防上大切なことだから確認してください、って強く言われたんだよね。


「では、残りはわたしとオルヴァンスの使者とで詰めておきます。本決まりになる前に、また報告しますね」


「うん。分かった」


「はい! では、次にですが……」


 ジェシカが手元の紙を捲りながら、報告を続ける。

 このやり取り、割と毎朝のことなんだよね。ジェシカはあくまで、「ノア様のお手を煩わせてはいけませんから!」と言って、大切な報告を毎日、午前中にしてくれるのだ。

 ドレイクの進めている仕事のことだとか、外交関係の話だとか、あとはシルメリアの持ってくる情報の判断とか。

 僕だけだと、どうしても判断できないこと多いからさ。


「お……?」


 そう、ジェシカが次の報告をしようとしたとき。

 こんこん、と僕の執務室の扉が叩かれた。


「ノア殿、失礼するぞ」


「ああ、アリサ。どうしたの?」


 そこにいたのは、エルフのアリサだった。お茶でも持ってきてくれたのかなぁ、とかちょっと期待しちゃったけど、残念ながら手ぶらである。

 別に喉渇いてないけど、そこはあれ。雰囲気ってやつ。


「ノア殿を呼ぶように、とのことだ」


「僕を?」


「ああ。東門に誰かが来ている」


「ふぅん」


 また誰か来たのかな。

 この前の、シルメリアみたいな奴じゃなけりゃいいんだけど。疲れるから。

 東門ってことは、帝国側だな。もしも帝国側からの使者なら、何言われても蹴っていいよね。

 和睦だろうと停戦だろうと、全力で断るつもりだ。


「他国からの使者でしょうか」


「帝国かな」


「この機会に動くとは思えませんけど……ノア様、わたしもご一緒していいですか?」


「あ、うん。いいよ」


 ジェシカに言われなくても、連れていくつもりだった。

 相手が他国の人間であるなら、僕一人で相手するよりもジェシカが一緒にいた方がいいだろう。頭脳労働任せられるし。


「それじゃ、行こっか」


「少し待ってくれ、ノア殿」


 だけど。

 さぁ、行こうと思ったその瞬間、アリサが僕を止めた。


「あー……その、少し言いにくいことなのだが」


「へ?」


「少し前から思ってはいたのだが……」


「何を」


 うぅん、とアリサが眉根を寄せる。

 そして僕を見て、僅かに目を逸らした。


「少しばかり、その、服が臭うというか……」


「え……」


「臭うと、いうか……」


 二回言われた。

 え、僕、そんなに汚い?

 一応これでも、ちゃんと洗濯した服なんだけど。そりゃ、最近新しい服とか買ってないけどさ。


「えー……」


 ジェシカを見る。

 無言で目を逸らされた。これ、完全に肯定してるよね。

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