第16話 閑話:帝国の策謀

 皇帝というと玉座で偉そうに座っている印象があるかもしれないが、常にそういうわけではない。

 ドラウコス帝国当代皇帝、アレクシス・グラン=ドール・ドラウコスとて、日々の執務を行っているのは自身の執務室である。玉座の間に座するのは、謁見を行うべき相手が来たときのみだ。

 ゆえに、特に謁見という形をとることもなく皇帝への目通りを行いたい場合、それは執務室へ来訪する形になる。


「父上、宮殿の入り口に到着いたしました」


「うむ……通してもらおう」


「は、はっ! 陛下は現在、執務室におられます!」


「うむ」


 そんなドラウコス帝都の中央にある宮殿。

 そこを、ミュラー教神官にして現大教皇ルークディア・ライノファルスの娘であるマリンは訪れていた。

 当然、一介の神官であるマリンが宮殿を訪問することなど、全くないと言っていい。だが今日は、そんな父――大教皇ルークディアが宮殿に用事があるということで、随伴してやってきたのだ。

 教義により顔を見せることができない分、厚手の布を顔の前にかけている大教皇――その視界は当然狭く、ほとんど前も見えないのだ。そのため、ルークディアの両手を引いて誘導する立場の者が必要なのである。


「では、陛下の執務室までご案内いたします!」


 門番の兵士が先導して、宮殿の中へと入る。

 マリンは宮殿に入ったことなど数回しかないが、いつもながら荘厳な雰囲気と調度品に圧倒されてしまう。かといって、大教皇に随伴する神官という立場上、田舎者のようにきょろきょろすることなどできないが。


「父上、こちらにございます」


「ヘンメル、ここは公の場だ。控えよ」


「……失礼いたしました、猊下。こちらにございます」


 ルークディアの左手を誘導するのは、娘のマリン。

 そして右手を誘導するのは、マリンの弟にして次期大教皇候補、ヘンメル・ライノファルスである。

 大教皇の息子とは思えないほど、女遊びと酒好きが高じている弟だ。こんな奴が次期大教皇候補か、と失望したことも何度かある。

 このように、宮殿という公の場においても、ルークディアのことを「父上」と呼ぶその精神にも。


「陛下は、こちらで執務中にございます。お伺いを立てて参りますので、少々お待ちください」


「うむ」


 兵士がノックと共に執務室へ入り、中にいるのであろう皇帝と二、三会話する。

 そして、あっさりと「お会いになるそうです」と扉を示した。


「失礼する、我が子アレクシス」


「これは、大教皇猊下。お呼びいただければ、馳せ参じますものを」


「危急の要件である」


 皇帝の執務室――とはいえ、それほど豪奢であるわけではない。

 少しばかり高価そうな調度品がある程度で、他は普通の執務室だ。あくまで、その中に皇帝がいるだけに過ぎない。

 もっとも、このドラウコス帝国における最高権力者である皇帝アレクシスが、ルークディアに敬意を払っているというのも、はたから見ればおかしな構図だろうか。

 だが、それも仕方ない。

 ミュラー教は大陸全土に広がる、最大規模の宗教だ。その大教皇ともなれば、皇帝でさえ平伏す相手であるのは当然である。

 何よりミュラー教の考え方の一つとして、『聖ミュラーは全ての父であり、大教皇は聖ミュラーの現し身である』というものがある。そのため、大教皇ルークディアにとって全ての信徒は『我が子』なのだ。


「なんと! それほどのご用件、ですか?」


「うむ……神託が下った」


「ありがとうございます。聖ミュラー様のお慈悲に、我らの父に、感謝を」


 何より、ミュラー教がこれほどまでに大陸全土に広がり、国を超えて信仰されている理由の一つが、この『神託』だ。

 皇帝や国王といった、国の頂点に座する者にしか与えられない、聖ミュラーからのお言葉を授けるのである。それは未来予知であったり、神の力を示した兵器の作り方であったり、転職の書の場所であったりと様々だが、それが間違いなく国の利益となるものなのだ。そして、『神託』を受けるにはミュラー教を国教としなければならないという制約がある。

 結果、『神託』を求めて国の元首はミュラー教を国教とし、何も知らない国民は盲目的にミュラー教の信者となるのである。そうして、ミュラー教は大陸全土に広がったのだ。


「かの魔王に対して、国防線をハイドラの関まで下げたと聞く」


「は……その通りにございます。かの魔王は数々の魔物をその配下とし、オルヴァンス王国とも繋がっているとか。帝国は、国を挙げてオルヴァンス王国を魔王に与する逆賊とし、征伐するつもりにございます」


「そのために、ハイドラの関を選んだか」


「は。かつて、魔王リルカーラを止めたとされる堅固な関を、今代魔王に対しても用いるべきかと……」


「違う」


 アレクシスの言葉に、ルークディアは首を振る。


「かつての神敵、魔王リルカーラ……その侵攻に対して、我らが父は神罰を下した」


「な、なんと……そのような事実が……?」


「我らが父は、神が人の歴史に大きな干渉をすべきでないと、人の歴史に残さなかった。だが、これは神殿に記録として残っておる。かつて魔王リルカーラという脅威に対し、我らが父が下した神罰……ハイドラのことを」


「ハイドラ……!?」


 それは、神殿の最奥にある部外秘の記録。

 マリンのような一介の神官には出入りすることのできない、大教皇しか入ることのできない部屋に存在するものだ。

 それは、その内容があまりにも衝撃的であるがゆえに。


「神殿を中心とし、四方に我らが父の落とし子が存在する。此度、我らが父は西の守護者を復活させよと神託を下した」


「その名が、ハイドラ、なのですか……?」


「そうだ。かつて守護者ハイドラが魔王リルカーラを聖伐したことにより、かの関にはハイドラの名が残った。されど、その爪痕は深く大地に傷を残した」


 ルークディアがゆっくりと語る言葉を、アレクシスが片膝をついて聞く。

 それは、かつての歴史。千年を超える過去に存在した、大陸を破滅に導く魔王を打倒した、真実の歴史。


「此度、再び守護者ハイドラを復活させよと神託が下った。これは、我らが父の意向である」


「はっ……」


「されど、かつて魔王リルカーラを聖伐するためにハイドラが復活したとき、どうなったか教えよう」


「は、ははっ……」


 ルークディアは、ゆっくりと。

 神殿が、歴史に残すべきでないと判断した、その真実を。

 告げた。


「ハイドラの関より以西は、焦土と化した」


「――っ!」


「されど、ハイドラの関より以西……オルヴァンス王国は、我らが父の信徒ではない。彼奴等は我らが父を信じぬ異教徒に過ぎぬ」


 ごくり、とマリンは唾を飲み込む。

 ここにいるのは、大陸最大の国ドラウコス帝国の皇帝、そして大陸最大の宗教ミュラー教の大教皇。

 この二人が判断を下したのであれば、もう覆りはしない。


「なれば、そのような異教徒の国など、消滅すべきであろう。それが我らが父の意向である」


「はっ……ご神託、確かに!」


 つまり。

 オルヴァンス王国の滅びは、ノア・ホワイトフィールドの死は。

 今、この執務室で決定したのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る