第15話 閑話:詐欺師ジェシカ・ノースレア・オルヴァンス

 ジェシカは生まれたときから、金貨が大好きだった。


 乳飲み子の頃、乳母に抱かれながら泣いていた状態でも、金貨を見せれば泣き止んだほどに金貨が大好きだったらしい。さすがに、その頃の記憶はないけれど。

 そして八歳になった現在に至っても、ジェシカは金貨が大好きだ。

 金貨を得るために、この世に生を受けた――そう声高に叫びたいほどに。将来の夢は金貨の溢れるベッドに眠り、金貨で埋まった風呂に入り、金貨で埋め尽くされた床と金貨で埋め尽くされた壁に囲まれた部屋で暮らしたいと真剣に考えているほどに。


「お待たせしました」


「ほんま待ったで。もう帰ろか思たわ」


「それは失礼しました。抜けられない事情がありましたので」


「まぁ、呼び出したんはウチや。それくらいはかまへん」


 シルメリアがグランディザイアの治める領地、ラファスの街を訪れて数刻。

 ジェシカは、ラファスの街から程近い位置にある山の中腹を訪れていた。勿論一人というわけではなく、その背後にノアが与えてくれた護衛――意思を持たない魔物の一匹、ゴブリンを連れて、である。

 そんなジェシカを迎えたのは、帝都へ続く街道から外れた位置だというのに、そこで待っていたシルメリアである。


「まぁ、礼くらいは言うとく。おかげさんで、大口の取引が結べたわ」


「でしたら結構。それで、呼び出した理由は何ですか?」


「そないに結論急がんでええがな。姫さん」


 くくっ、とシルメリアが笑む。

 そんなシルメリアの周囲に転がるのは、恐らく野盗だろう死体の山だ。恐らく、この山を根城としている盗賊団だろう。

 シルメリアは商人であるが、護衛の一人も連れていない。加えて妙齢の美女ということもあり、盗賊が狙うには十分な条件を満たしているのだ。

 その強さを、条件から除外するならば。


「交渉んとき、あんな男が出てくるとか聞いてへんで。ウチ、今日で随分と寿命が縮んだわ」


「それは、わたしも想定外でした。ノア様は、わたしに任せてくださると思っていたんですけどね」


「なんとか上手くいったからええけど、下手したらウチの首が飛んどったわ」


「一応、フォローは入れさせていただいたつもりです」


 シルメリアの言葉に、軽く肩をすくめる。

 応接間でシルメリアと交渉をするにあたって、ドレイクが現れたことはジェシカにとっても計算外だった。

 ノアがジェシカにだけ任せてくれたなら、もっと順調に進んだというのに。


「ドレイク・デスサイズとか子供でも知っとる名前やで。あれホンモンか? パチモンか?」


「本物らしいですよ。もっとも、今は魔物になっているみたいですけどね」


「魔物、ねぇ……せやったら、いっぺん手合わせしてみたいわ」


 シルメリアが己の拳を握り、笑みを浮かべる。

 アメリア十大商会の一つに生まれながら、その天職として『武闘家』を授かったシルメリアは、商人であると共に冒険者としてもAランクを持つ女傑である。それゆえに、並の魔物や盗賊では太刀打ちできないほどの武を誇り、商人としての商才も持ち合わせているという女だ。

 そんな風に一人で行商をすることができるゆえに、秘密が多人数に知られないという点でジェシカが選んだのだが。


「しっかし、護衛がゴブリン一匹で大丈夫か?」


「レベル40の赤帽子レッドキャップだと言っていましたよ」


「うっは……レベル40か。道理で強い気配がする思たわ。ウチもまだまだやな。一応、これでも武闘家レベル32なんやけどな」


「我が軍の幹部には、レベル99のゴブリンもいると聞きました」


「うげぇ。レベル99のゴブリンとか絶対にやり合いたくないわ」


 シルメリアが舌を出して、表情を歪める。

 そして何一つ言葉を紡がないゴブリンを、シルメリアが軽く小突いた。

 僅かにゴブリンは動いたが、しかしジェシカの命令がないため、それ以上動かない。


「へぇ、便利な代物やな。命令だけに従う、ってか」


「それで、何用ですか。そろそろ本題に入ってください」


「まぁまぁ、そんなに焦らんでええやん。別にそない大した用事やない。改めて条件の確認や。商談も上手いこといったし、先に言うとった通り六四の分配でええな?」


「ええ。そちらが六割、こちらが四割。それで結構です」


「せやったら、渡しとくわ。今回の四割やから、金貨十二枚や。確認しぃ」


「はい」


 シルメリアの投げてくる袋を受け取って、中身を確認する。

 その中に入っているのは、帝国金貨十二枚。勿論確認として十二枚の全ての端をかじり、それが間違いなく金貨であることを確認する。

 ジェシカは満足げに頷いて、その袋を懐へと入れた。


「はー……しっかし、悪い女やなぁ、あんた」


「あら、そうですか?」


「はっ。今回の絵図、全部描いたんは自分やろ。ウチに魔物がメシ食わへんこと流して、その間の帳簿も物流も全部調整さしたんは誰やねん」


「相応の稼ぎにはなっていると思いますよ」


「まぁ、その通りやな」


 食べない食料の空取引――それをシルメリアに持ちかけたのは、そもそもジェシカだった。

 智という面において、ノアは全面的にジェシカのことを信頼してくれている。だからこそ、ジェシカが知ってしまった秘密――『魔物に食事が必要ない』ことを全面的に利用するために、シルメリアへと話を持ちかけたのだ。

 そもそもグランディザイアの、『魔物が食事を必要としない』ことは秘匿して然るべき事実だ。それを先に察してシルメリアを動かし、帝国にもオルヴァンス王国にも知らせなかったのはジェシカの手腕である。

 このあたりの取引をシルメリアに持ちかけるために、ノアから敢えて意思を持たない魔物を護衛にと頼んだのだ。意思を持つ魔物であれば、後にノアに報告されるかもしれないと考えて。


「そんで、嬢ちゃん。こっからどうするつもりや?」


「どうするつもり、とは?」


「空取引の一部を貰い受ける、くらいで満足せぇへんやろ。こっから、どんな絵図があるんか教えて欲しいと思ってな」


「まぁ、そうですね……」


 ふふっ、とジェシカは微笑む。

 グランディザイアは、他国からすれば脅威と呼んで然るべき存在だ。今大魔王が統治し、その配下に数多の魔物がいる――少なくとも帝国は、今後グランディザイアと激突するだろう。

 それを利用する手段は、いくつかある。


「まだお話できませんが、手はありますよ。そのときは、またあなたに協力を要請します」


「なるほど……了解や。今後とも、あんたの絵図に乗らせてもらうで」


「ええ。今後とも、良いお付き合いができればと思います」


 くくっ、と笑うシルメリア。

 ジェシカ・ノースレア・オルヴァンス。その授けられた天職は、『詐欺師』。

 そんな彼女の頭の中には、数多の策が広がっている。

 されど、それはノアの求める『軍師』としてのそれではなく。


 いかにすれば、ジェシカの元に大好きな金貨がやってくるか――そんな策が、無限に存在するのだ。

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