第19話 再確認

「条文の方は、いかがですか? ノア様」


「え……あ、はい」


 不味い。

 とりあえずドレイクが無駄に混乱している状態で、僕に判断のしようがない。というか、僕にしてみれば何の不利な条件もないような内容なら、別にそれでいいじゃん、と思えるのだが。

 だけれど、ドレイクが何故か焦っているかのように、うんうん唸っている。


「……ひ、ひとまず、連れが来るまで返答は」


「それもそうですわね。わたくしの方こそ、性急に過ぎましたわ。ですが、早急な確認はしていただきたいですわ。本日の正午から、調印式を予定しておりますので」


「え、ええ……」


 正午とか、もうあんまり時間ないじゃないか。

 僕も僕で、足りない頭を必死に働かせて条文を何度も見る。上から下まで、何度もだ。

 だけれど、ドレイクに分からないことが僕に分かるはずもない。


『申し訳ありません、ノア様……このドレイク、理解ができません。あの女王が、ただ両方に益となるような条文を提示するわけがないと思っているのですが……』


『そうなの?』


『オルヴァンス王国のフェリアナ女王は、即位して三年で国土を二割以上広げた人物として、周辺諸国に恐れられている存在です。帝国の領土こそ削っておりませんが、周囲の小国を併吞したその手腕は、オルヴァンスの女狐と称されているほどのものです』


『……』


 オルヴァンスの女狐。確かに、そんな通称が似合いそうだ。

 微笑みを浮かべながらも、その真意が読めない表情。笑っていながら、一切笑っていない目元。

 僕はきっと、その掌の上で転がされても全く気付くことなどできないだろう。そのくらいに、不気味な雰囲気を感じる。


『申し訳ありません、ノア様……』


『いや、いいよ。さすがに、相手が悪い』


『ですが……』


『そもそも、ドレイクは元冒険者だしね。そんなドレイクに、頭脳労働を全部任せてた僕も悪い』


 考えてみれば、ドレイクは元Sランク冒険者だ。

 別に皇帝の側近だったとか、そういう国の中枢にいた人物というわけではない。むしろ、自由な冒険者という存在だったのだ。

 そんなドレイクに、国のこと全てを任せているのも、他に知っている者がいないというだけの理由だ。僕はそのあたり全く知らないし、他の面々は魔物ばかりということで、ドレイク以外に誰にも任せられないという悲しい現実がそこにある。


『フェリアナが何を考えているのかは分からないけど、この条文自体には何の問題もないってことでいいんだね?』


『……はい、何の問題もありません』


『それじゃ、これで承諾するよ』


『しかし、それは早計では……!』


『これ以上考えても分からない以上、悩むだけ無駄だよ。これがオルヴァンス側に圧倒的に有利な条文だってならまだしも、今のところそういうわけじゃないしね。もしも僕たちの考えが及ばないところでオルヴァンス側に有利なことがあったとしても、気付かないのならそんなの無いのと一緒だ』


『……確かに、それはその通りですが』


 極論かもしれないけど、損をしていることに気付かないのならそれは損じゃない。僕たちの知らないところでフェリアナがほくそ笑んでいたとしても、僕たちが知らなければそれは無いことと一緒だ。

 分からないことに頭を悩ませるよりも、それよりはオルヴァンスと対等の条約が結べたことを喜ぶべきだろう。

 僕、楽観的すぎるかな。


『ま、僕たちの課題は軍師を探すことかな。ドレイクはあくまで冒険者だったわけだし、国同士の交渉とかそういうのにまでは明るくないだろ?』


『遺憾ですが……その通りです。国の使者としての依頼を受けた経験がありましたので、物申させていただきましたが……やはり、この身は頭脳労働にそれほど明るくありません』


『十分役立ってくれてるよ。ドレイクがいなければ、僕には何の判断もできなかったしね』


 ドレイクは魔物ばかりの国で、唯一人間社会のことを知ってる、ってだけだ。

 そんなドレイクに頼り切りになっている現状が、むしろおかしいのだろう。どこかに軍師転がってないかな。ないよね。


「す、すまないノア殿! 待たせた!」


「ああ、アリサ」


 そこで、扉を開いて入ってきたのはアリサだった。

 ああ、良かった。フェリアナと相対するのって、割と緊張するんだよね。せめて人数がいてくれれば、僕もちょっと見栄を張れるからさ。

 アリサはそのままソファ――僕の隣へと腰掛けた。背筋をぴんと伸ばしたままで、状況が掴めていないかのように僅かに目を泳がせている。


「……その、すまない、ノア殿。一体これは、どういう状況なのだろうか」


「うん。とりあえずアリサ、これを見てくれる?」


「あ、ああ……」


 条文の書かれた羊皮紙を渡して、アリサがそれを読み始める。

 だけれど、僅かに読んだ時点で、アリサが首を傾げた。


「……すまない、ノア殿」


「うん?」


「……その、私には、何を書いているのかさっぱり分からないのだが」


「……」


 そういえば、エルフって森の奥で暮らしているわけだし、人間の文字分からないよね。

 今までアリサと一緒に見た書類って、リュートさんが書いた僕の家の設計図くらいだし。あれも、文字は全く書いてない図面だけだった。

 そんなアリサの言葉に、うふふ、と小さくフェリアナが微笑みを浮かべた。


「失礼かもしれませんが、わたくしから読み上げましょうか?」


「そ、それは……の、ノア殿、構わないのか?」


「フェリアナ様から申し出てくれてるわけだし、いいんじゃない?」


「そ、そうか。それでは……お願いします」


 これが失礼にあたるのかどうか、僕は知らない。でも、せっかく言ってくれてるんだから、別に甘えてもいいよね。

 フェリアナが鈴の鳴るような声で読み上げる間、僕はドレイクと作戦会議だ。


『それで、ひとまずこれで調印式を行うとして、これ以上何か決めることはある?』


『そうですな……ひとまず、大使が何者であるかが問題です。恐らく、政治の中枢に近い人物と推測されましょう』


『まぁ、別に誰が来ても問題ないよね?』


『そうですな。国内に大使館を建設するように伝えておきましょう。オルヴァンスからの大使は、そちらで駐留していただくことにすれば良いかと』


『そのあたりは任せるよ』


 そんな風にドレイクと話しているうちに、フェリアナが条文を読み上げ終える。

 勿論、アリサがその条文のおかしな点を指摘できるはずもなく、ただ曖昧に頷いただけだった。大丈夫、僕にもおかしな点とか全く分からないから安心してほしい。


「以上ですが……何か、異論はございますか?」


「え、ええと……ノア殿、これは……」


「……ええ、問題ありません。そちらの条文で承諾いたします」


「ありがとうございます。それでは、こちらを正式な文書に直して、調印式を執り行いますわ」


「お願いします」


 あとは警戒するとすれば、実際の文書と今の条文が違う、みたいなことだろうか。

 でも、そんな分かりやすいことをフェリアナがするとは思えない。ちゃんと僕が調印式のときに確認すればいいだけの話だからね。


「それからノア様。大使の件ですが」


「ああ、それ気になっていたんですよ。そちらから、僕の国に大使を派遣してくださるんですよね?」


「ええ。条文にもございますが、大使はオルヴァンス王国とグランディザイアの繋がりをより強固にするものとなりましょう」


「その大使というのは……」


「失礼いたします!」


 僕が疑問に、そう口を挟もうとした、その瞬間に。

 部屋の扉が開かれて、それと共にもう一人の闖入者が姿を現した。


「ノア・ホワイトフィールド様! わたくし、この度ははう……フェリアナ・ノースレア・オルヴァンス女王陛下によりグランディザイア大使に任じられました、ジェシカ・ノースレア・オルヴァンスと申します! よろしくお願いします!」


「……」


 そこにいたのは。

 ちょん、とドレスのスカートを摘みながら、華麗に礼をする。


 幼女だった。

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