第17話 翌朝
ふかふかだった。
それが、朝起きた僕の第一の感想だった。そもそも旅ばかりをしていて、ようやくエルフの隠れ里に落ち着きはしたものの、ふかふかのベッドで眠ることなど全くなかったのだ。何せエルフの寝台って、板の上に木の葉を置いてるだけなんだから。
多分、こんな風にふかふかのベッドで眠ったのは、実家に住んでいた頃以来だろう。おかげで、全く知らない場所だというのに熟睡することができた。体調は万全である。
「ふあ……」
思い切り欠伸をして、己を覚醒させる。
今日は、オルヴァンス王国との調印式だ。昨日、唐突に決まってしまったことではあるけれど、問題はないだろう。ちゃんと、事前に内容の確認さえしておけばいい。さすがに僕でも、オルヴァンス王国側に有利すぎる条文とかだったら分かるだろうし。
分からなかったら、とりあえずドレイクにでも心内会話で繋いで助言を貰えばいいや。
「おはようございます、ノア様」
「ああ、おはよう」
「朝餉の準備が整っております。お持ちいたしました」
「あ、そうなんだ?」
昨日、僕のお世話係として自己紹介をしてくれた女官――エルザが、そう言いながらカートを押してテーブルの上に朝食を置いた。
昨夜の食事も美味しかったんだよね。肉料理は味付けが濃くて、僕好みだった。朝食はどんなものが出るのかな、って楽しみにしていたんだよ。
テーブルの上に並べられたのは、パンとベーコンを焼いたもの、それに卵料理にサラダといった極めて普通の朝食だった。でも、パンはふわふわの白パンであり、ベーコンもかなり上質な肉を使っていることが分かる。
ぱぱっと朝食を済ませて、エルザを見る。
「アリサは……ええと、連れはどこに?」
「はい。お連れ様も同じく、お部屋で朝食を召し上がっておられます」
「そっか。それじゃ、今日の予定を教えてほしいんだけど。調印式をするって聞いたけど、具体的にはいつから?」
「は、それは……」
エルザが、やや口ごもる。
やっぱり女官ということだし、政治的なことについては教えられていないのかもしれない。言葉を選んでいるかのように、逡巡しているのが分かる。
知らなければ、知らないって言えばいいのに。
「へ、陛下の方から、ご説明いただくかと……」
「ふーん……それじゃ、フェリアナさんがここに来るってこと?」
「は、はい……」
「それじゃ、それまで僕は待っていればいいんだね。来たら教えて」
「は……」
エルザが頭を下げる。
さて、それじゃフェリアナが来るまで暇ってことか。何してようかな。
あ、そういえば昨日、夕食の後にドレイクにでも連絡しようと思ってたんだ。とりあえず調印式をすることになったよー、くらいの報告だけどさ。
「えっと」
「は、はい。ノア様」
「ちょっと忙しいから、邪魔しないでね」
「は、はい……」
ええと。
とりあえず、ドレイクの姿を思い浮かべてみる。でも、あいつって優男のイケメンだからあんまり特徴ないんだよね。覚えにくい顔というか、どこにでもいる顔というか。
「《
呟くと共に、僕とドレイクがどことなく繋がる感覚が分かる。
心の中で考えるのと、言葉に出すことの中間くらいに、妙な空間のあるような感覚だ。その一部分だけが物理法則を無視して、ドレイクと繋がっているような、そんな気分になる。別にあいつと繋がりたいわけじゃないんだけどさ。
すると、僅かに後でドレイクの方から驚いた声がした。
『ノア様?』
『ああ、僕だよドレイク』
『失礼しました。勿論、このドレイク・デスサイズ、主人を見誤ることはございません。突然のことにつき、少々混乱しておりました。何か御用でしょうか』
『ああ、うん。ちょっと報告』
『承知いたしました』
いつも通り、恭しいドレイクは健在である。
そこまで遜られても困るんだけどな、と思わないでもない。ドレイクだって日が浅いとはいえ、僕の仲間なのだから。他の仲間たちのように、フリーダムに接してくれていいのにさ。
まぁ、いきなりミロみたいにオラオラ系で来られても困るから、これはこれで良いのかもしれない。
『ドラウコス帝国の皇帝には会えなかったよ。体調不良だってことで断られた』
『そうでしょうな。約定もなく、皇帝が会うとは思えません。ただ、ノア様がそのように訪問を行った、という事実があれば良いと思われます』
『うん。それで、オルヴァンス王国の方なんだけど』
『あの国の女王は聡明な御仁にございます。帝国のように、無下に追い返されることはないでしょう』
『そう。そうなんだよ。女王自ら歓迎してくれたんだ』
さすがドレイク、よく知ってる。さすがは元最強の冒険者だよね。
ドレイクとフェリアナの間に、どんな関係があったのかは知らないけど。ドレイク、一応帝国の所属じゃなかったのかな。冒険者ってそんなに自由な職業なのだろうか。
『ただ、そこで女王から聞き捨てならないことを聞いてね』
『ほう。と、いいますと?』
『ドラウコス帝国が、僕の両親と兄を処刑したらしい。詳しい罪状は不明。ただ、恐らく僕が魔王だって情報が流れて、その罪を被ったんだと思う。ドレイクはどう思う?』
『……』
『ドレイク?』
『いえ……まさか、帝国がそれほど不用意にこちらを敵に回すとは想定していなかったもので……申し訳ありません』
『別にドレイクのせいじゃないよ。僕の考えが甘かった』
僕は静かに暮らしたかったから、建国に賛成した。
僕一人だけが静かに暮らすことさえできれば、それでいいと考えていたのだ。魔王呼ばわりも、仕方ないものだと考えていた。
だけれど、僕が魔王になった――その情報が流れることで、血の繋がった家族にまで被害が及ぶとは、考えもしなかったのだ。もう疎遠になっていた家族ではあるけれど、それでも考えが及ばなかったのは、ひとえに帝国を舐めていたからだろう。
僕と僕の国に、そう簡単に手を出してこないだろうという――そんな、慢心だ。
僕は帝国を、絶対に許さない。
『なるほど……承知いたしました。そちらの情報は、オルヴァンスのフェリアナ陛下から与えられた情報ということですね』
『うん。悪いけど、僕は帝国を許せない。僕の血の繋がった家族を殺した帝国には、報いを受けてもらおうと思う』
『よろしいかと存じます。既にこちらに宣戦布告をしているようなものですからね。血には血で贖ってもらわねば』
『ただ、フェリアナ女王に言われたんだよね。今、帝国に宣戦布告する理由が足りない、って。だから、オルヴァンス王国と同盟を結ぶべきなんじゃないか、ってさ』
『ふむ……なるほど。確かに一理はありますな』
あ、一理あるんだ。
良かった良かった。フェリアナが僕を騙そうとしているわけじゃないんだね。
『そも、戦争というものには大義名分が必要となります』
『なんか、前にも聞いたことがあるね』
『そうです。行動を正当化させるための理由、ということですね。本来、戦争というのは交渉の最終段階に存在するものです。幾度もの交渉を重ね、それでもこちらの要求が呑まれない、そういう状況において、力ずくで要求を呑ませようとする考え方が戦争です。ノア様のように、最初から『帝国を潰す』という考え方は戦争のそれではないのです』
『……ふーん』
つまり何だ。
ドレイクの言ってること、僕にはよく分からないんだよね。難しいこと理解できるほど、僕は頭の出来が良くないんだよ。
『分かりやすく述べるのならば……そうですね。ノア様が帝国を潰すにあたって、他の国に説明した上で『それなら仕方ない』と納得してもらうだけの理由が必要ということです』
『僕の両親が殺されたから、じゃ駄目なの?』
『それでは、利己的な復讐になります。それは大義名分ではありません』
『めんどくさいな。なんでそんなもの必要なのさ』
『大義名分なく戦争を仕掛けるということは、他の国からそれをされても文句を言えないということですから。周り全ての国が、仮装敵国になるようなものです』
『ふーん……よく分からないけど、それがオルヴァンス王国と同盟を結べば、手に入るってことだね?』
『オルヴァンス王国と帝国は、仇敵の間柄にあります。オルヴァンス王国の名代として帝国を攻めるという行為は、他国より咎められることのない行動でしょう。その代わりに、領地の割譲などにおいてオルヴァンス王国との話し合いは必要になりますが……』
こいつ詳しいな。
ドレイクのレベルをどうにかして70以上に上げて、こいつに《
『うん。それでさ』
『はい、ノア様』
『今日、調印式をすることになったんだよね』
『………………………………は?』
思い切り溜めて溜めて、ドレイクがそう短い一言だけで締めた。
うん、やっぱり変だよね。昨日初めて会って、今日いきなり調印式とかさ。
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