第14話 閑話:女王の思惑

 与し易し。


 フェリアナ・ノースレア・オルヴァンスが、ノア・ホワイトフィールドという男との交渉において、下した評価はそれだ。

 国と国とで交渉を行うにあたって、全く準備をしていないことは明白であり、国の頭脳となる者も全くいない。代わりに連れてきているのは侍女と世間知らずのエルフだけであり、そして王本人であるノアもまた大した頭脳を持っていない。こちらから援助をすると言ったときに、分かりやすいほど嬉しそうにしていたのだから。

 本来、交渉というのは何度となく議論を重ね、その上で両方の国が納得できるだけの材料を揃えることから始まるのだ。だがノアは、あっさりと明日の調印式を了承し、その上で条文の確認すら明日で良いと承諾した。一国の主として、あまりにも短慮であると言えるだろう。


「ふぅ……」


「ははう……陛下、ご首尾は……」


「今はプライベートよ、ジェシカ」


「失礼しました、母上」


「ええ。首尾は問題ないわ……少しこっちが押しすぎて疑われてたけど、例の件を伝えたらすぐに明日の調印式を承諾してくれたわ」


「……それは、あまりにも短慮ではありませんか? それで、王を名乗っているのですか?」


「こちらにしてみれば、隣国の王が愚かであることは僥倖以外の何でもないわよ」


 うふふ、とフェリアナは隣にいる幼女――ジェシカ・ノースレア・オルヴァンスに向けて微笑む。

 未だに八歳という幼さであるが、名前の通り、フェリアナが腹を痛めて産んだ娘である。美しい金色の髪を左右で縛った、年相応の可愛らしい髪型だ。だが、その顔に浮かんでいる表情は、八歳の幼女が持つそれではない。

 各国の情勢も、隣国の状況も、また今回新たに隣国となる存在の脅威も、全てを理解した上で女王フェリアナと並び立つことのできる存在――それが、ジェシカだ。

 それは僅か八歳にしてこの国におけるあらゆる兵法を、あらゆる戦術をおさめた、奇跡の天職ゆえに。


「ジェシカ、あなたはどう思う?」


「母上との会談でそのような短慮を示すとなれば、国としてそれほど長くはないと思います。ドラゴンを御する力はあったとしても、恐らく国としての体裁を保つことすらできず、近く亡ぶことになるかと」


「なるほど……あなたは、そう考えるのね」


 フェリアナ自身は、自分を聡明な王だと考えている。

 オルヴァンス王国は四王族――ノースレア王族、サウスエンド王族、イーストミル王族、ウェストフェリア王族の四つの中で、最も聡明である者を次の王とするのが慣例となっている。そこに年齢も序列も性別も、何一つ関係なく、である。

 フェリアナ自身にも兄は三人いるし、四王族の中においては、二十歳で戴冠をし、現在二十三歳であるフェリアナは若い方だ。最も年上である従兄弟になると、既に四十を超えているのだから。

 それはフェリアナの生まれ持った職業――それが、『王』であったがゆえに。


「ただ……わたくしは、そう簡単に亡ぶことはないと思うわ」


「そうなのですか?」


「相対してみれば、分かることよ。わたくし、正直震えるのを隠すだけで精一杯だったわ」


「……それほどですか。《解析アナライズ》をかけるべきだったのでは?」


「さすがに《解析アナライズ》をかけるわけにはいかないわよ。戦いに集中してるとか、そういう状況じゃない限りは間違いなく気付かれるもの。一応、こちらは友好的な態度を示しているわけだからね。警戒していると思われない方がいいわ」


「それでも、情報は千金に値するものかと……」


「今は、何が彼の逆鱗に触れるか分からないわ。少なくとも、手を出すべきではない……今は、ね」


 ジェシカの言葉に、フェリアナは首を振る。

 少なくとも今、警戒をされるわけにはいかないのだ。

 フェリアナは、最初はノアのことを舐めていたのだ。ある程度使えるようならば、帝国との国境における緩衝材程度の役割でもしてもらおうと、そう考えていた。恐らく、現在ジェシカが考えているのも同じことなのだろう。

 だが、想像以上だった。これまでフェリアナは何人もの強者に会ってきたけれど、その全てを一蹴するほどの雰囲気を伴っていた。

 ドラゴンを一撃で倒す、と言われても納得できるほどの、そんな威圧だ。

 肉親の死を告げたときの怒りの波動など、フェリアナは震えを隠すだけで精一杯だったのだから。


「承知いたしました。ですが、母上がそのように仰るということは……我が国の三大騎士団長よりも遥かに強い、ということですか?」


「そんなレベルじゃないわ。騎士団総出でかかっても、勝てないと思う。そのくらいの絶大な暴力よ。一度、最強の冒険者と言われているドレイク・デスサイズと会ったことがあるけど……彼よりも遥かに強いわね。ドレイクが一撃で殺された、って話も分かるわ。しかもドラゴンまで従えてるとか、もう悪夢としか思えないわね」


「それほど、ですか……」


「少なくとも、彼と手合わせをやれって言われたら、わたくしは全力で断るわ。恐らく、彼が手加減をしたとしても、わたくしは死ぬと思うもの。そのくらいに、存在のレベルが違うのよ。あなたも、明日になれば分かるわ」


「……今、全力で逃げ出したい気分でいっぱいです」


「駄目よ」


 項垂れるジェシカに対して、フェリアナは僅かに微笑んでそう告げる。


「ただ……当初、考えていたプランは白紙ね。将来的には我が国の属国にする予定だったけど、無理ね。むしろ、友好関係を維持し続ける方が絶対に良い」


 フェリアナが帝国に侵入していた諜報員から得た情報は、『ドラゴンを操り、Sランク冒険者を一撃で殺す男が国境の森にいる』という事実と、その名前がノア・ホワイトフィールドだという事実だけだ。

 何かの絡繰でドラゴンを操ることができるのだろうと、そう考えていた。ならばドラゴンを操る力を探り、その上でオルヴァンス王国に従わせ、属国とする形で認めようと思っていたのだ。帝国との戦争においては矢面に立たせ、帝国より奪った領地に対してはオルヴァンス王国の旗を掲げさせようと考えていた。

 だが、恐らくノアがドラゴンを操っているその方法とは。

 その、圧倒的な暴力だろう。


「話を聞く限り、それほど頭の出来はよろしくないように思えます、母上」


「ええ、正直言って馬鹿よ。というか、子供かしらね。強い力を手に入れて調子に乗っているだけの子供。とても国を背負うつもりだとは思えないわ」


「でしたら、上手くこちらの掌で踊ってもらうことも可能ではないのですか?」


「リスクが大きすぎる。馬鹿だからこそ愚直でもあるわ。一度でもこちらにボロが出たら、もう信じてくれないでしょうね。あなた、最強の矛がこちらに刃を向けたら、受け止めてくれるわけ?」


「……失礼いたしました」


 すっ、とジェシカが頭を下げる。

 ノアを、こちらの意のままに操ることは恐らく可能だ。あまり頭の出来が良くないノアを、フェリアナの自由に踊らせることは、間違いなく可能である。

 だが、フェリアナは白紙に戻した。

 あまりにも、リスクが大きすぎるのだ。

 フェリアナは、グランディザイアを――ノアという男を、限りなく高く評価している。その、『強さ』という一面でのみ。

 決して怒らせてはならない相手だと、そう判断を下したのだ。


「では、どうなさるのですか?」


「簡単よ。普通にやる。普通に、わたくしにとっても彼にとっても、最良となるであろう条約を結ぶだけよ」


「というと……」


「オルヴァンス王国にだけ有利な条件で結べば、いつかそれが露呈する。だから、ちゃんと双方に利がある形で結ぶのよ。その代わりに、あなたには負担を強いることになる。それは覚悟しておきなさい」


「承知いたしました」


 ふぅっ、とフェリアナは大きく溜息を吐く。

 そして同時に、帝国も馬鹿なことをしたものだ、と思う。絶対に触れてはならない竜の逆鱗に触れたようなものだ。

 そのおかげで、こちらは友好的に会談を行うことができたのだから、良かったけれど。本当に、隣国の皇帝が愚かであることは、僥倖以外の何でもない。

 軍事同盟さえ結べば、グランディザイアがどれほど活躍したとしても、帝国の領地はある程度オルヴァンスへ割譲される。そうなればオルヴァンス王国の領土はさらに広がり、大陸でも並ぶ者のない大国と化すだろう。


「ジェシカ、覚悟しておきなさい」


「はい、母上」


「大陸の地図が変わるわよ。少なくとも、この十年以内にはね」


 大陸でも最大の版図を持つ、ドラウコス帝国。

 だが、その滅びは、間違いなくやってくるだろう。

 ノア・ホワイトフィールドという圧倒的な暴力によって。

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