第12話 オルヴァンスの目的

「おっと……わたくしとしたことが、お客様にお茶もお出ししておりませんでしたわ。サラ、お茶を用意して」


「承知いたしました、女王陛下」


 フェリアナの言葉に、恐らく女官なのだろう女性が恭しく頭を下げる。

 まぁ、確かに僕も少しばかり喉が渇いた。ここでお茶を出してくれるのならば、断る理由はないだろう。

 フェリアナは、僕の国を軍事力として評価してくれているみたいだし、ここで一服盛ることもないと思う。友好的に接してくれるから、そのあたりは信じてもいいだろう。


「さて。掻い摘んでお話をさせていただきましたけど、以上がわたくしどもの事情ですわ。先程、ノア様はわたくしどもの利と仰いましたが、我らオルヴァンス王国にとって、グランディザイアと結ぶことには何の害もありませんの。良い顔をしないのは帝国くらいのものでしょうし、その帝国と我々は百年来の仇敵ですわ。むしろ、グランディザイアがドラウコス帝国と結ばれた場合には困ったことになると思っておりましたから」


「なるほど。事情は理解しました」


「ですので、わたくしどもとしましては、すぐにでも建国の触れ、ならびに我が国との軍事同盟を結ぶ形で執り行いたいと思っております。このお話も、グランディザイア側にしてみれば損のないお話かと思いますわ」


「……」


 フェリアナの言葉に、素直に頷こうとしてやめる。

 確かに、いい話だ。オルヴァンス王国という、大陸でも三本の指に入る大国が、僕の国の後ろ盾になってくれるわけだ。少なくとも、僕が周辺諸国から舐められることはないだろう。

 だが、本当にその通りなのだろうか。

 僕も人間だ。一部からは「いや魔王だろ」とか言われそうだが、人間だ。少なくとも人間社会において、『誰も損をしない話』など一度も聞いたことがない。もしもその言葉を枕とした話があるのならば、それは詐欺の常套句に過ぎないとすら思っている。

 だから、悩むのだ。本当にここで、素直に頷いて良いものかと。

 うーん。

 オルヴァンス王国が僕と友誼を結びたいのは、ひとえにドラウコス帝国という仇敵に対する軍事力を得るためだ。現在、国境で起こっているオルヴァンス王国とドラウコス帝国の戦いを、オルヴァンス王国の代理としてグランディザイアが矢面に立つ、というものである。

 だが、その見返りとして建国にあたっての全てのサポート、金銭の補助、兵力の派遣がある。要は、最前線で戦ってくれるのなら全力で援助するよ、ということである。

 そして、魔物ばかりがゆえに荒事にしか向かないであろう僕の国にとって、戦いは得意分野だ。魔物たちのストレス発散にもなるだろう。

 こう考えれば、何の損もない。


「フェリアナ陛下」


「どうかなさいましたの?」


「何分、国同士のことです。今すぐに決めるというのは、性急じゃないかと……そう、思うんですよね」


「兵は神速を尊ぶと申しますわ。優柔不断に決めかねるよりも、その時の情勢を考えた上

で素早い決断を下した方が良いと歴史も教えてくれておりますの。我が国は、そんな優柔不断な君主を幾人と処断して、ここまで勢力を広げたのです」


「ええ。別に、それほど待たせるつもりはありませんよ。ただ、少しばかり相談したいと思いまして」


「わたくしは、それほど信用がありませんの? 決して、ノア様に損な提案はしていないと思っておりますが」


「……」


 やっぱりだ。

 なんとなく、察した。交渉術に関してはあまり詳しくないし、あまり頭の出来は良くない僕だけれど、それでも察せるのだ。


 フェリアナは、僕に今ここで決断をさせようとしている。


 僕がこの盟約――取引にあたっての裏を読めないことを察して、ここで決断を下させようとしているのだ。僕の側にいるのはアリサだけで、頭脳の面で戦える者が他に誰もいないから。

 ゆえに、僕が一度持ち帰るという提案を、のらりくらりと躱している。

 何か、裏があるに違いあるまい。

 そして、それを察せるほどに僕は頭が良くない。

 フェリアナは、そんな僕の交渉力を見抜いた上で、このように僕に決断を焦らせようとしている。


「仮に、ですが」


「ええ」


「もしも僕がここで、断った場合はどうされるおつもりですか?」


「……」


 そして。

 裏を察することができないのならば、どうにかこちらに余裕があるように見せつけることしかできない。

 フェリアナの提案に、僕が尻尾を振っていると思われたら困る。そりゃ、確かに大国であるオルヴァンス王国が後ろ盾についてくれることはありがたいし、建国にあたってのサポートも大助かりだ。

 でも、僕は泥舟に乗るつもりはない。もしもそこに、僕たちにとっての不利益があるのならば、それは断るべきだろう。

 僕は、王様なんだから。今のところ自覚ないけど。


「そうですわね……いえ、別段、何もいたしませんわ。ご縁がなかったものと諦めるだけですわね」


「ですが、僕たちはオルヴァンス王国とドラウコス帝国の間に存在する国です。帝国に侵攻するにあたって、邪魔だと思うのでは?」


「そもそも、グランディザイアが建国を始める森については、元よりわたくしどもの領土と思っておりませんわ。強力な魔物も多く、開拓をするには時間がかかりすぎます。さすがに、盟約を結ばない相手に対する一方的な援助などできませんが……まぁ、わたくしどもにしてみれば、今までと何も変わらないということになるでしょう」


「なるほど。今まで放置していた場所だから、勝手に開拓をされることも問題はない、と」


「そうですわ。ですが、帝国がどう考えるかは知りませんわ。帝国は、グランディザイアの森を帝国の領土だと主張しておりましたから。そこに勝手に建国をされた場合、帝国の自尊心を考えれば戦争に発展する可能性もあります」


「そして、勝手に戦争になった場合は、オルヴァンス王国が援助をすることはない、と」


「そうなりますわね。ですので、わたくしは軍事同盟を提案しておりますわ。軍事同盟さえ結ぶことができれば、オルヴァンス王国は誰に憚ることもなくグランディザイアの援助をすることができますので」


「なるほど」


 話を広げてみても、やっぱり分からない。

 フェリアナの狙いが、何なのか分からない。やっぱり、僕たちの国をただ帝国を相手に防衛するだけの、軍事力だと考えているようにしか思えないのだ。

 僕たちに、それほど不都合のある内容が、どこにもない。

 だからこそ、悩んでしまう。本当にこれでいいのだろうか。本当にこの提案を受け入れていいのだろうか。

 ああ、もう。

 母さん、どうして僕をもっと頭の良い子に産んでくれなかったんだよ。


「勿論、断るのも結構ですわ。ここはあくまで、私人と私人の会談の場。ここに何の強制力も用いることはできませんし、ノア様は隣国の国王にございます。わたくしがどれほど権力を振るったところで、ノア様を縛ることはできません」


「ええ……」


「ただ、帝国と結ぶことだけは避けた方が良いと思いますわ。わたくしどもの事情のみならず、ノア様にしてみても」


「……どういうことですか?」


 帝国にはけんもほろろに追い返されたし、多分友誼を結ぶことはないと思う。

 まぁ、僕の方から積極的に攻めるつもりはないけどさ。そもそも国を作るのだって、僕が静かに暮らしたかったからだし。

 だがそこで、フェリアナは鎮痛そうに、小さく顔を伏せた。


「ハル・ホワイトフィールド、ノエル・ホワイトフィールド。そしてマリッサ・ホワイトフィールド」


「――っ!?」


「ご存じですわね?」


「い、いや、そりゃ……」


 フェリアナから突然伝えられた、三人の名前。

 その名前に聞き覚えなど、あるに決まっている。

 ノエル・ホワイトフィールドは僕の実の父であり、元ホワイトフィールド男爵家の当主だ。そして、現在はハル兄さんが家督を継いでいる。最後にマリッサは僕の母さんの名前である。

 いきなり、そんな僕の家族の名前を言われても――。


「この三名は、先日処刑されましたわ」


 フェリアナが最後に言った、その言葉は。

 僕の血を分けた家族が――死んでしまった。その事実を、淡々と語ったものだった。

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