第6話 閑話:混乱する帝都
その日、帝都カルカーダに震撼が走った。
物見の兵より伝えられた、『ドラゴン出現』の狼煙。
それを受けて、常に帝都を防衛するために配備されている防衛騎士団は、一斉に準備を始めた。
「兵はどれほど動かせる!」
「三個大隊ほどです! 明日ならばもう二個大隊は……!」
「明日まで待てるか! ドラゴンはすぐ近くまで迫っているのだぞ!」
ドラウコス帝国の軍勢は、大陸でも最大を誇るほどのものだ。だが、その全てが帝都に布陣しているわけではない。当然ながら、その軍勢が最も多いのは今も小競り合いをしている隣国との国境だ。
そして帝都を中心に置き、東西南北全てに広い領土を持つドラウコス帝国にとって、帝都防衛騎士団というのはさほど多くない。国境さえ封鎖しておけば、帝都で争いが起こることなどほとんどないからだ。ゆえに、帝都防衛騎士団は貴族の次男、三男が数年入隊し、そこそこの訓練を積むだけで『騎士団に所属していた』という箔をつけるために存在するようなものだ。
帝都防衛騎士団長アイザック・ヴォルフは、練度の低すぎる彼らを見ながら嘆息する。
遅々として進まない準備に、情報の通達すら上手くいっていない。一体何があったのか、把握している人間の方が少ないだろう。
中には訓練だとでも思っているのか、友人たちと喋りながらのろのろ準備をしている者もいる。かといって、それに対して怒鳴ることができるほどアイザックは権力を持っていないのだ。
元々は、北方方面軍の軍団長をしていたアイザックである。だが既に老齢となり、この体に刻んだ年月が六十を越えた時点で後進に軍団長の座を譲ったのだ。だが特に家庭を持っていたわけでもなく、四六時中戦場にばかりいたアイザックに隠居という選択肢はなく、またその武勇を惜しんだ皇帝により、帝都防衛騎士団長の座を譲り受けたのである。
「くそっ……だが、まさかドラゴンが現れるとは……!」
「団長! 第一、第二大隊の準備整いました!」
「第三大隊は準備整い次第、城壁の上に配備せよ! 第一、第二大隊は城門前で迎え討つ! 第三大隊は弓隊として高所を取れ!」
「はっ!」
的確に命令を与えながら、アイザックもまた城門前へと向かう。
天より授かったアイザックの職業は『騎士』だ。そして天職が『騎士』である以上、何の試験も受けることなく騎士団へ入隊することができる。実家が貧しい農家の生まれだったアイザックにとって、騎士団への入隊は口減らしの意味も同時にあった。
だが、騎士として戦場で重ねてきた戦いは数知れない。殺してきた人数など、数えればきりがないほどだ。
そして、それだけの経験を重ねてきたがゆえに、アイザックは騎士レベル56という、騎士団でもトップクラスのレベルを持つ男になったのである。
「目標は!」
「あちらに見えます! このまま行けば、間も無く接敵と思われます!」
「あれか……ドラゴンが、これほど速いとは……!」
ドラゴン接近――その狼煙が上がったのは、昼前のことだ。
そして現在は、太陽が中天にある。つまり、丁度正午ということになる。これほど僅かな時間で、国境からこの帝都まで至ることができる速度は、どのような兵でも、どのような魔物でも出すことのできないものだろう。
今、ここに集まった三個大隊――その、どれほどが生き残ることができるか。そして帝都に暮らす十万の民が、どれほど蹂躙されるか。
恐らく、アイザックは生きて戻ることなどできまい――そんな覚悟を持って、やってくるドラゴンを睨みつける。
黒い点だったそれが、次第に大きくなってゆく。
ただの点は距離が近付くにつれて、大きく羽ばたく翼と足を生やす。その軌道は、国境からここに至るまで何一つ相手にすることなく。
ただ、帝都カルカーダだけを目標として。
「全軍、構えぇっ!」
ばっ、と二個大隊が槍を構え、城壁の上にいる弓大隊が矢を弓に番える。
三千の兵がいながらにして、その表情はそれぞれ悲愴だ。中にはここに至るまで何も知らなかったのか、泣きそうになりながら槍だけを前に出している者もいる。つん、と僅かに鼻につく臭いは、恐らく誰かが失禁したからだろうか。
それも、分かる。
相手がドラゴンであれば、最早生きて戻る道など、どこにもないのだから。
「グォォォォォォォッ!!!」
ドラゴンの姿が、ようやく肉眼で見えるようになってきて。
アイザックの率いる兵たちよりも、遥かに高く――まるで見下すかのように、ドラゴンは睥睨した。
その雄叫びもまた、兵たちの恐怖を一気に煽る。弱兵の群れだとばかり思っていたが、これで蜘蛛の子を散らして逃げるような連中ではなかったらしい。
いや、むしろ。
あまりの恐怖に動けない――そちらの方が正しいだろうか。
ゆっくりとドラゴンが、その高度を下げて。
アイザックたちから僅かに離れた位置へと、ゆっくりと降り立った。
「……?」
奇妙な行動に、思わず眉を寄せる。
ドラゴンは、最強の存在とされる魔物の一種だ。そして魔物である以上、人間とは間違いない敵対関係にある。人間の群れを発見したら、そのまま蹂躙を始めるのがドラゴンという存在だ。
だというのに、ドラゴンはまるで敵意がないかのように、何の攻撃もこちらに仕掛けることなくただ降り立つだけ。
「お疲れ、パピー」
「パピー殿、ありがとう」
「グォォォォォォォッ!!」
だが、それ以上に驚いたのは。
その背中から、二つの人影が降りてきたことだろうか。
ドラゴンの背中から、だ。孤高の最強種、ドラゴンの背中から、である。
どのような者にも従うことなく、圧倒的なまでの強さを誇る、ドラゴンの背中に――人が、乗っていたのだ。
一人は、見目麗しいエルフの女だ。
神が美しい存在を作れば、このような造形になるのではないかと思えるほどの、究極に美しい女である。アイザックもエルフの噂は聞いていたが、まさかこれほど美しいものだったとは。
そして、もう一人は青年である。
黒髪黒瞳の、特に何の変哲もない青年だ。ぼろぼろのマントは、長い旅を経てきた証だろう。背格好も決して大きなものではなく、横幅などむしろ華奢だと言っていい。
だが奇妙なのは、これだけの軍勢を前にしているというのに全く余裕の表情であるということだろうか。その手には、何の武器も持っていないというのに。ドラゴンが武器だと言われれば、これ以上ない攻撃になるだろうが。
だが、人間だ。
人間であるのならば、話の通じる道はある。
「おい!」
「……ん?」
「儂はドラウコス帝国、帝都防衛騎士団長アイザック・ヴォルフ! 貴様、どこの国の者だ! 名を名乗れ!」
「……」
だが、アイザックの言葉に。
青年は僅かに笑みを浮かべて――そのまま、沈黙した。
余裕綽々という表情で、まるでこちらを相手にしていないかのように。
極めて飄々と、自然体で、そこにいるだけだ。
「……」
「……」
名乗りに対して、名乗りを返さない無礼。
だが、それだけの無礼をしたところで、この青年にとっては何の痛痒もないのだろう。今、この場における圧倒的な強者は、この青年であるのだから。
いや。
だからこそ、名乗らないのだろう。
圧倒的な強者である青年は、その気になればドラゴンの一撃で屠れるような相手と、対等に話すつもりなどないということ。
「……」
「……」
アイザックと青年は睨み合ったままで、沈黙を続ける。
どれほどアイザックが本気を出そうとも、あのドラゴンを相手に勝てる自信はない。噂に聞くSランク冒険者ならば、あれほどのドラゴンであっても相手にできるのだろうか。
だが、そこまでの沈黙を経てアイザックは理解する。
この少年は、沈黙の中で要求しているということを。
自分と対等に話すつもりならば――並び立つことのできる者を呼べ、と。
つまり、それはドラウコス帝国を支配する存在、皇帝を呼べということだ。
「……」
「……」
だが、アイザックには皇帝を呼ぶことのできる権限などない。
あくまで、多少無礼に先触れもなく現れた使者だという体ならば、謁見の受付をすることくらいはできるだろう。勿論、皇帝の身の安全だけは全力で守りながら。
口煩い宰相あたりには文句を言われるだろうが、もしもこの少年が実力行使で通ると言ったらそれまでだ。帝都の民がどれほど犠牲になるか分からない。ならば、多少は危険であっても、民の安全を第一にするべきだろう。
さぁ、どの選択肢が正しい――アイザックが、様々な思索を練りながら少年を睨みつける。
「……」
「……」
アイザックは知らない。
青年――ノア・ホワイトフィールドが沈黙している理由は。
どこの国って聞かれたけど、よく考えたら僕、国の名前決めてないや――そう思って、答えられないだけだということを。
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