エピローグ:帝国の胎動

 ドラウコス帝国、帝都カルカーダ。

 厳かな宮殿において、最もその権威を示す部屋がある。それは宮殿の最奥にして、幾多の扉を越えた先にしか存在しないものだ。そして、ここに至ることができるのは皇帝という雲の上にいる存在に対して、その目通りを許された人間のみである。

 そこは――玉座の間。

 ドラウコス帝国当代皇帝、アレクシス・グラン=ドール・ドラウコスと、唯一謁見を行うことのできる場所である。


「……なるほど、な」


 皇帝アレクシスは玉座に深く腰掛けたままで、立派に蓄えた白い髭を撫でながら小さくそう頷いた。

 そんな彼の目の前で膝をつき頭を下げるのは、二人の人間――禿頭の巨漢ランディ・ジャックマン、魔術師の道衣を纏った女シェリー・マクレーンの二人である。

 最強と称されるSランク冒険者たる二人は、国家からの依頼に応える場合も多い。危険な魔物の討伐依頼や盗賊の討伐依頼など、その内容は多岐に渡るものだ。それゆえに、皇帝に謁見をすることができるという特別な立場にいるのである。


 そんな二人が、揃ってアレクシスへと奏上した事実。

 それは、リルカーラ遺跡の西の森――隣国オルヴァンス王国との国境に位置するそこに、魔物を自在に操る少年がいるという内容だ。


「そやつの名は?」


「いえ……それが、《解析アナライズ》をかける暇もなく……」


「少年自身も、名乗りはしませんでした。名前までは……ただ、年若い少年でした」


 アレクシスの問いに、シェリー、ランディが答える。

 本来、そのように逃げてきた二人は、処罰を与えられて当然だ。それゆえに二人は震えながら、しかし事実を告げる。

 ドラゴンという、国家の危機にすらなりえる魔物――それを操る少年がいるという事実を。


「ふむ……余にも、似たような報告が入っている。こちらは、大教皇から寄せられたことだがな」


「大教皇から……?」


「そうだ。眉唾ものだとばかり思っていたが……神官の一人が、迷宮の中でとある少年と出会ったらしい。それが、自らのことを『魔物使い』と名乗ったのだと聞く」


「なっ――!」


 アレクシスの言葉に、ランディが顔を上げる。

 だが顔を上げると同時に、不敬な行動をした自分に気付いてすぐに頭を下げた。面を上げよ、という言葉がない限り、皇帝を前にして頭を上げるわけにはいかないのだ。

 シェリーはそれを分かって、驚愕こそするものの頭を下げたまま、言葉に出さない。


「カーマイン」


「は」


「大教皇からの情報……名は、何といった?」


「は、陛下。魔物使いと名乗った少年は、ノア・ホワイトフィールドと名乗ったそうです」


「だ、そうだ。お前たち、聞き覚えはあるか?」


「……ございません」


「……ありません」


 シェリー、ランディが揃って首を振る。

 魔物使いなどという職業があれば、少しくらいは話題になって当然だ。だが、少なくともこの場にいる誰も、そのような職業など聞いたことがない。皇帝アレクシスもしかり、宰相であり『ドラウコスの智』と称されるカーマイン・シュトラウスにも全く覚えがないのである。

 ならば、それは己の職業を詐称していると考えて当然だ。


「余にも、聞き覚えはない。だが、ホワイトフィールド男爵家のことだけは聞いたことがある。辺境伯領で小間使いをしているだけの小さな貴族家だったはずだ」


「は、陛下。アンドレアス辺境伯が召し抱えているとされる貴族家でございます。長男であるハル・ホワイトフィールドが現在の当主であり、次男のレイ・ホワイトフィールドは騎士団に所属しております。先代のノエル・ホワイトフィールドは隠居しているとのことでございます。既に家を出た三男の名は、ノアというのだと確認も取れております」


「うむ。恐らく、そなたらが出会った少年は、このノア・ホワイトフィールドであろう。神官の話によれば、リルカーラ遺跡の中層に現れる魔物を一撃で倒すほどの実力者だそうだ」


「――っ!」


 アレクシスの言葉に、ランディとシェリーが目を見開く。

 それも当然だ。リルカーラ遺跡の中層といえば、Sランク冒険者ですら挑むことを厭うほどの凶悪な迷宮である。下層に至り、生きて戻ってきたのは千年前の大英雄、勇者ゴルドバだけなのだから。


「その少年は、どれほど強かった。答えよ、ランディ」


「は、はっ! や、奴は……」


「うむ」


「そ、その……ドラゴンに命令を与えて、ミノタウロスを自在に操っておりました! あ、あと……ど、ドレイクを、一撃で倒していました!」


「……あのドレイク・デスサイズを一撃か。凄まじいな」


 はぁ、と小さくアレクシスが溜息を吐く。

 ドレイク・デスサイズといえば冒険者の間では、英雄扱いされている男だ。そのレベルは60すら近いものであり、大陸全土を探しても十本の指に入る実力者とされる。

 そんなドレイクを一撃で倒すなど、どれほどの化け物だというのか。


「陛下……どうなさいますか?」


「うむ。報告は以上だな。ではランディ、シェリー、貴様らは下がれ。また、命令は後ほど与える」


「はっ!」


「御前を失礼いたします!」


 アレクシスの言葉に、ランディ、シェリーの二人が玉座の間を辞する。

 そして残されるのは、アレクシスと宰相カーマインの二人だけだ。あまり人を侍らせることのないアレクシスにとって、玉座の間で共にいるのは信頼するカーマインだけである。

 何より、そのような事実を余人に知らせるわけにはいかない。


「……カーマイン、どう思う」


「は……魔物使いというのは、方便でしょう。ドラゴンを御し、Sランク冒険者ですら歯が立たない者……そんなもの、存在するはずがありません」


「ならば、やはりか」


「ええ……かの魔王リルカーラの復活と考えて、間違いありますまい。何の因果でノア・ホワイトフィールドが選ばれたのかは分かりませんが……」


「魔物の考えなど、理解できぬ代物よ。魔王ならば尚更だ。して、どう動く?」


 既に老齢となりながら、しかし変わらぬ鋭い眼差しでアレクシスはカーマインを睨みつける。

 信頼する宰相であり、アレクシスの考えを最も理解しているのはカーマインだ。カーマインにさえ任せておけば、国内も国外も全てにおいて順調に進むのだから。

 そんなカーマインは、小さく笑みを浮かべた。


「魔王がその位置に現れたのであれば、色々とせねばならぬことがありますが……まずは、勇者ですな」


「古来より、神話でも決まっている。魔王を倒すことができるのは、勇者しかおらぬ」


「他国とも連携して当たっていかねばならないでしょうな。ですが陛下……これをある種、好機と捉える見方もできますぞ」


「ほう……」


 くくっ、とアレクシスもまた笑みを浮かべる。

 本当に、この宰相は自分の考えをよく分かっている、と。


「情報を隠し、その上で刺客を送り込みます」


「で、あろうな」


「刺客にも、標的が魔王であることは伏せねばなりませんな。その上で、オルヴァンス王国の仕業と見せかければ良いでしょう。そうすれば、魔王が勝手にオルヴァンス王国を攻めてくれます。我々は、疲弊したオルヴァンス王国をそのまま庇護する形で貰い受ければ良いかと」


「必要なのは、時間だな。勇者を見つけるまでの、な……」


「伝説に残る、勇者召喚の儀式にでも手を染めてみますか?」


「ふん。黴の生えた文献に書かれているものなど、信用できるものか。とにかく、急いで勇者を探せ。どのような情報でもいい。魔王がオルヴァンス王国を滅ぼす前に、我が国が勇者を手中に収めるのだ」


「承知いたしました」


「うむ」


 カーマインがそう頷き、アレクシスの前を辞そうとしたそのとき。

 ふと、思い出したようにカーマインが問うた。


「そういえば、陛下」


「む?」


「ホワイトフィールド家は、どのような沙汰を行いましょうか。まがりなりにも魔王を輩出した家系。このまま捨て置くわけにはいきますまい」


「ああ、そうだな――」


 はぁ、と小さくアレクシスはそう溜息を吐いて。


「一族郎党、斬首に処せ」


「承知いたしました」


 まるでちょっとした用事を頼むかのような気安さで、そう命じた。

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