第25話 閑話:そこにいるのは魔王

 信じられない光景に、マリン・ライノファルスは目を見開くことしかできなかった。


 Sランク冒険者『拳王』ドレイクの所在を聞いて、マリンはそのまま帝都の乗合馬車に乗って、近くの街までやってきた。そこからリルカーラ遺跡までの直通馬車便へと再び乗って、リルカーラ遺跡までやってきた。残念ながら、それ以降は歩きだったけれど。

 マリン一人でどうにかなるだろうか――そう思いながら森の中を歩き、『拳王』ドレイクの姿、そしてノア・ホワイトフィールドの姿を探したのだ。どちらかを見つけることができれば、その場で護衛を頼もう、と。幸いなことに魔物に出会うことなく、マリンは森の中を歩むことができた。

 そうしているうちに、森の中に一部拓けた場所を見つけた。最初はただの空き地かと思っていたが、微弱に魔力が流れていることを感じ取り、注視したところ幻術がかけられているのが分かった。そこは、一流の魔術師や神官でなければ見つけることすらできないほど、高等の幻術がかけられていたのだ。少なくとも、帝都の大教皇に仕える神官の身であるマリンでなければ、違和感すら覚えなかっただろう。


「グォォォォォォォッ!!」


「ぐっ! クソ、このミノタウロス強ぇ!」


「ガァァァァッ!」


「ふざけんな! ドラゴンだけじゃなく、てめぇらまで出張ってくるとかよぉ!」


 されど幻術が解ければ、そこにある景色も目に入り、音も耳に入る。

 そこにあったのは、村だった。それも隠れ里のように、ひっそりと存在しているもの。

 そんな村の入り口で、戦う影が二組。


 片方は、禿頭の男と大斧を持った牛頭の巨人。

 もう一方は、魔術師風の女性と竜の背に乗った小鬼。


 信じられない光景に、思わず目を見開くことしかできなかった。

 あの牛頭の巨人は、かつてマリンが助けてもらった相手――ノア・ホワイトフィールドの仲間だった魔物、ミロだ。そしてドラゴンの背に乗っているゴブリンは、マリンがその命を奪われた最強種のゴブリン、レッドキャップである。こちらも、ノアは仲間にしていたはずだ。

 そして、これでも冒険者の端くれであるマリンは、そんな二匹と戦っている姿もまた同じく知っている。

 禿頭の戦士は、『破壊鉄球』ランディ・ジャックマンだ。常人には抱えることすらできないとされる、超重量の鉄球を自在に操るとされる。ドラゴンを相手にしてさえ、鎖で繋がれたその鉄球を振り回して頭に当てることができる、という噂もある。事実、今まで彼が討伐したドラゴンは五匹にものぼるはずだ。

 さらに魔術師風の女性は、『七色の賢者』シェリー・マクレーン。七系統にも及ぶ魔術を操ることができる、魔術師の高位職ハイクラスである賢者となっている女性だ。この大陸において、賢者となった者が故人を含めても十数人だ、といえばその稀少さが分かるだろうか。敵の弱点に応じて魔術を使い分けることができるという、万能型の魔術師だと聞く。


 そんな二人のSランク冒険者が、まさに目の前で戦っているのだ。それも、ノアの魔物と。

 信じられない光景に、言葉を失う。


「きゃあっ!」


「グォォォォォォォッ!!」


「キキィッ!」


「うぐっ……こ、こいつ、古竜王エンシェントドラゴンだわ……! 属性魔術が軒並み消される……!」


「くそっ……! シェリー! 援護よこせ!」


「無理よ! 手一杯でそっちにまで回らないわ! 《爆炎エクスプロージョン》!」


「キキィッ!!」


 苦戦している。

 マリンの素人目にも分かるほど、だ。伝説に謳われ、最強と称されているSランク冒険者二人が。

 ミノタウロスが強いということは、マリンでも知っている。かつて、カイトとユリアという二人の冒険者と共にリルカーラ遺跡に潜ったときに、その姿を見た。

 勝てるとは、全く思えなかった。あれこそ暴虐の具現にして、恐怖そのもの。

 だからこそ、それを御しているというノアのこともまた、恐ろしく思えたのだが。


「あ、あ……」


 だけれど、ノアは己の手足であるかのようにミノタウロスを操っていた。

 僕の言うことには従うんだ、と言っていた。

 だが、それがどれほど凄まじいことか。Sランク冒険者ですら倒すことのできない魔物を、操っているという事実がどれほどのものか。


 それは、最早国の脅威にすら成り得る代物。


 さらに、ドラゴン。

 ノアの魔物がその背中に乗っているということは、あのドラゴンもノアの支配下にあると考えていいだろう。ドラゴンは獰猛な習性を持ち、あらゆる種の頂点に立つものだ。ドラゴンが己の縄張りと決めた場所は、そこに存在している魔物全てがドラゴンに従い、そこにいる他の種を殲滅するのだと聞く。

 特にそれが、先程シェリーの呟いたこと――『古竜王エンシェントドラゴン』と称される千年以上も生きたドラゴンとなれば、その脅威も飛躍的に跳ね上がる。それこそ、出現したと聞いた瞬間に騎士団が総出で殲滅に向かうくらいに。


「おい、起きろ」


「う、ぐ……き、みは……」


「お前にはいくつか聞きたいことがある」


 そしてマリンは、自分が身を隠している森の中――そこで、よく響く声を聞いた。

 それは、何故か砕かれた村を囲む柵の内側。村の内部だ。

 何故か壊れた家のような瓦礫の中に立っている、銀髪の少年――ノア・ホワイトフィールド。

 そんな彼が右手で引き寄せているのは優男――マリンも聞いたことのある、最強と称されるSランク冒険者の一人、『拳王』ドレイク・デスサイズだ。


 まるで、圧倒的な力でドレイクをねじ伏せたかのように。

 ノアが、圧倒的な優位に立って、そう話していた。


「ここに、何をしに来た」


「わ、我々は……ドラゴンの、退治に……」


「何故?」


「ど、ドラゴンが現れたとなれば、ま、まず、緊急クエストが、発表される……俺たち、Sランク冒険者に、対して……」


「お前らが、Sランク冒険者なのか?」


「あ、あ……」


 帝都に住む者ならば、子供でも知っている事実だ。

 著名な冒険者は、その絵姿ですら売られることが多い。冒険者にとっては、Sランク冒険者がドラゴンの討伐に成功した、失われた遺跡の下層へ行って財宝をせしめてきた――そんな話を聞くたびに、胸を踊らせるのだ。いつかは自分もそんな風に、冒険者として成功してみせる、と。

 だが、それをノアは知らない。思えば、冒険者としてのクラスを聞いたときにも、奇妙な反応をしていたように思える。

 何故、常識として知っているはずの彼らのことを、知らないのか。


「アオォォォォォォォン!!」


「――っ!」


 すると、どこからか――戦っている二人と三匹から少し離れた位置にいる、ワイルドドッグといわれる魔物の犬が、そう高らかに吠え声を上げた。

 思わずびくりと体が震えるが、声には出さない。

 だけれど、その瞬間に。


「グルル……」


「グオォ……」


「オォォ……」


「ウガァ……」


 マリンの周囲で――そんな風に、魔物が唸る声が聞こえた。

 震える体は動こうとしないが、しかしそれでも分かる。油の切れた螺子のように、ぎぎぎっ、と音がしそうなほどにゆっくりと隣を見る。

 マリンの真横に、魔物が集っていた。

 単眼の巨鬼サイクロプス、人の体に馬の体を持つケンタウロス、蛇の頭を持ったゴルゴーン、歪んだ体をした粘体のスライム――その種類は様々で、どれもマリンには全く相手にできそうにないほどの、強力な魔物達。

 まるでそれが、ワイルドドッグの吠え声と共に集ったかのように。


「ひ、ぃ……っ!?」


 思わず、腰を抜かす。

 今、この魔物の群れがマリンを狙えば、逃げることなどできないだろう。

 だというのに魔物達は、マリンのことなど全く意に介さないように――ただ、戦っている面々だけを見つめている。


 マリンは気付いていないが、マリンがここまで来る道中に魔物に襲われなかったのは、決して偶然などではない。

 当然、彼女が歩く道には魔物も少なからず存在していた。だが単純に、どの魔物もマリンを襲おうとしなかっただけである。

 その理由は単純にして明快。

 彼らにとって上位存在であるドラゴンと、そんなドラゴンを従えるノア・ホワイトフィールドという男――その臭いが微量ながら残っているマリンは、ノアの知己だと判断されたからだ。嗅覚に優れる魔物達だからこその勘違いであり、それが彼女の命を救ったのである。


 だけれど。

 こんな風にSランク冒険者をも苦戦させる魔物達を率いて。

 今まさに、最強の冒険者と称されるドレイクの顔を殴りつけている彼は。

 本当に――自分で言っていたところの、魔物使いという職業なのだろうか。


「……まさ、か」


 マリンとノアが出会ったのは、リルカーラ遺跡だ。

 そしてマリンたちが潜っている途中、他の冒険者とは誰とも会わなかった。誰かが入った、という話も全く聞かなかった。

 だけれど、ノアと出会った。

 それは――もしかするとノアが、『最下層から来た』ためであるのではなかろうか。


 かつて、リルカーラ遺跡に存在したとされる魔王リルカーラ。

 そんな魔王リルカーラを勇者ゴルドバが打破したとき、魔王は言葉を残したらしいのだ。マリンの聞きかじったことのある伝説の中には、そんな一文がある。


――我はいつか、必ずや蘇り、この世に破滅を齎してくれる。


 ノアが、最下層からやってきたのであれば納得だ。

 むしろ、確信にすら至った。


「魔王……!」


 魔物使いノア・ホワイトフィールド。

 彼は――魔王リルカーラの、生まれ変わりなのだ、と。

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