第6話 リルカーラ遺跡からの脱出

 地上に出るまで、マリンと共に四日ほどかかった。

 勿論、僕は紳士であるために何もしていない。それは当然のことだし、むしろ寝ずの番をミロとギランカに任せることができたために、僕ものんびり眠った。

 合計して一月近く、迷宮に潜り続けていた計算だ。自分で自分の体が臭いのを自覚している。一応着替えは持っているけれど、その前にせめて体を洗いたいというのが本音だった。


「ふぅ……やっと、出口か」


「あ、ありがとうございました、ノア様」


「いや、いいよ」


 さて、これでお別れか。

 迷宮は一応観光地であるために、乗合馬車が出ている。それに乗れば、そのまま近くの街まで行けるという便利なものだ。

 とはいえ、僕は身分証を持っていないので、街に入ることはできないだろう。せいぜい、良心的な村くらいしか入れそうにない。そのあたり無駄に厳しいので、もう野宿も川での水浴びも洗濯も慣れたものだ。


「ふぅ……」


 一月ぶりに浴びた日の光に目を細めながら、大きく溜息を吐く。

 周囲には他に、人影はない。まぁ、観光地となっているとはいえ、僻地であり一日に二度しか馬車の来ないここに、それほど人が集まっていることはないのだ。事実、帰り道は誰にも会わなかったし。

 まぁ下手に誰かに会って、僕がミノタウロスとレッドキャップを連れていることに驚かれても困る。とりあえず魔物を連れているとはいえ、どこかに入るときには安全だということを証明しないと。どう証明するのかは分からないけど。


「それじゃ、僕はここで」


「え……馬車に、乗らないのですか?」


「僕は自由気ままな旅人だからね。馬車は利用しないんだ」


「そうなの、ですか……」


 寂しげに、マリンが顔を伏せた。

 可愛いな、と思わないでもない。僕だって男だから、それなりに女の子は好きなのだ。

 でも、どうせ僕は馬車に乗れないし。馬車に乗ったらそのまま街に入ることになるため、乗車の時点で身分証を提示しなければならないのだ。そこで一悶着起きるのも面倒だし、さっさと歩いて旅をした方がいい。

 あと、マリンに褒められるから迷宮の敵を一撃で倒し続けた結果、ミロとギランカ以外に仲間増えてないし。このあたりの森の中ででも、別の魔物で検証してみよう。

 まぁ、水場とかは適当に歩いていけばそのうち見つかるだろうし。


「それじゃ、またね」


「はい。あなたに聖ミュラー様のご加護がありますよう」


「ありがとう」


 それがミュラー教の神官にとって、別れ際に言う常套句だということは知っているけれど、一応感謝しておく。

 可愛い女の子と二人旅も悪くないと思えたけど、結局僕はマイペースだ。ようやく目的の転職の書を見つけて『勇者』を捨てることができたため、どこかで腰を落ち着けてもいいかもしれない。例えば、どこかの村でのんびり暮らすとか。

 色々と迷宮を探って、宝とか稀少な武器とか手に入れたおかげで、それなりにお金はあるし。


「グルル……」


「キキィ……」


 ミロとギランカと一緒に歩きながら、森の中へと入る。

 まずは川を見つけて、そこで体と服を洗って、適当に食事でもしよう。さすがに、保存食の干し肉ばかりを食べ続けてきたので、干し肉にはもう辟易しているというのが本音だ。

 迷宮よりこちら側には来たことがないけれど、川くらいは見つかるだろう。この森を超えた向こうは、僕の生まれ育った帝国とは異なる隣国だ。街道ならばまだしも、この森の中にまで国境警備はいないだろう。この森の奥は、それなりに強い魔物が跋扈しているし。そのまま隣国で適当な村にでも行き、腰を落ち着けるというのも悪くない。


 そして歩いているうちに、清流を見つけた。一安心して体を洗い、火を焚き、適当な木の実や山菜などを入れてスープを作った。木と木の間にロープを通し、自分の服を乾かすのも長い旅路で得た知恵である。

 勿論、水浴びを覗かれて「きゃー!」みたいなことはない。というか、この森に人の姿がないし。そもそも僕は男だし。

 あとは、ミロとギランカに周囲の確認をさせながらマントの中で眠り、一夜が明けた。


「ふぁ……」


 軽く伸びをして、洗濯物を回収する。さすがに一晩置いていたために、しっかりと乾いていた。そして残っていたスープを飲み干して、さらに森の奥へと向かう。

 今のところ魔物には遭遇していないが、果たして――。


「お」


 そんな僕の目線の先に、魔物が見えた。

 向こうは僕に気付いていないようだが、ずんぐりとした赤い体に一本だけ角の生えた頭、腰元だけを隠している布に棍棒を持った巨体――オーガがそこにいた。

 何匹かで群れて巣を作り暮らす彼らは、割と人里近くにも現れる脅威である。人間を遥かに超える膂力にタフな体は、駆け出しの冒険者を何人死に至らしめたか分からないほどだ。

 勿論、僕にとっては脅威でも何でもない。


「ミロ、ギランカ、お前たちは待て」


「グル……」


「キィ……」


 今にも飛び出して戦おうとしていた二匹を、止める。

 再び、ここで検証の時間だ。丁度よく敵は一匹であり、いい格好をするための相手もいない。

『僕が一撃で殺さない』という条件によって魔物捕獲が発動するのか、見極めるには良い相手だ。ちょっと手加減すれば、一撃では死なないだろうし。

 茂みから僕が飛び出したその瞬間に、オーガが振り向いた。

 醜悪な顔立ちを歪めて、同時に咆哮する。


「グオオオオオッ!!」


「よし、来い!」


 どこを攻撃すれば、オーガを一撃で倒すことができるか――それが僕の体に刻まれている。

 だけれど敢えて、そんな風に自動的に動く自分を制して、物凄く力の抜けた拳を放った。体術レベル88の僕にとって、違和感しかない動きで。

 そんな力の抜けた一撃にオーガは吹き飛んで、近くの木へとぶつかって止まった。本気でやっていたら、多分あの木も貫通しているだろう。むしろ、オーガの体が砕ける方が先かもしれない。


 ずるり、とオーガの体が木から落ち、膝をつく。

 殺してはいないはずだ。この程度の一撃で片付くほど、オーガは弱くないのだから。

 さて、どうなる――そんな期待を胸に、オーガを見ると。


 その首に、銀色の首輪が巻かれていた。


「よし!」


 検証は成功だ。

 やはり、僕が一撃で殺さずに手加減をした場合、仲間になってくれる。弱すぎる魔物は仲間になってくれそうにないけれど、ミノタウロスとかオーガのようにタフな魔物であれば、仲間にできるということだ。

 これからは、できるだけ一撃で倒さずに仲間を増やしていこう。何匹まで仲間にできるのかは分からないけど、限界に挑戦だ。


「お、おで……」


 ん?

 なんだろう。目の前のオーガが、まるで喋ったみたいに聞こえた。


「おで……おまえ、従う……命令を……」


「は、はぁ!?」


 はっきり、それが言葉となって聞こえた。

 いや、むしろ言葉を変換した、という方が正しいだろうか。オーガの口は明らかにそう動いていないのに、耳に届く言葉は僕の知っているそれなのだから。

 まるで、魔物の言葉が理解できるようになったような――。

 だって。


「さすがは我らが主である。威光にひれ伏すのみよ」


「うるせぇチビ。てめぇは後輩なんだから黙ってやがれ」


「そう言うな、でかいの。我が主を讃えて何が悪い」


「ふん。だが生意気そうな新人だぜ。しっかり教育してやらねぇとな」


「何でお前ら喋ってんの!?」


 僕の後ろでそんな風に。

 ミロとギランカが、喋っていたのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る