第59話 李下の冠はぶん投げろ
「こいつが……ふーん」
ストルゲの説明に少しずつ殺気を滲ませ始めたザラを横目に、ストルゲは話を続けた。
「それからすぐに、港に戻ってきた軍船を掴まえて、意図的な置き去りを黙認していた者らも含めて関係者を洗い出しながら船を出させた。食糧以外は装備も整っている上、ラリス分隊長が勝手についてきて制圧したから、航海日数も大幅に早めることがでた」
普段は寡黙な父だが、その説明は
確かに、往路では二週間かかったはずの船が、次には三週間で往復してくるのは流石に速すぎる。
ケーフィが海軍船の上でどんな大立ち回りを演じたのかとか、ストルゲが海軍兵士たちにどこまでの過酷労働を要求したのかとかは、この際考えるのはやめておく。
「着岸するなりフィービー殿が一目散に飛び出してしまったが、その甲斐はあったようだ」
「はい。あの、ケーフィ兄上に治癒もしてもらったので」
「……そうか。では、上陸前の状況確認を怠った分の罰は免除とするか」
どうやら規則無用のフィービーにつられて、ケーフィも父の制止を振り切って異変のある場所まで駆けつけてきたらしい。
一時はケーフィの上司でもあったストルゲにとっては、長年悩まされてきた悪癖だが、その危機察知能力がエメインを救ってくれたのだ。
(帰ってきたら、もう少し弁護しようかな)
能天気でいつも自然体な次兄の話題のお陰で、僅かに心が解れる。
だがそれでも、いまだストルゲの横に立ち、ちらちらとエメイン父子を見続けている男の存在を無視することは難しかった。
「……あの、父上」
エメインは恐る恐るながら本題を切り出そうと口を開いた。だがその言葉の続きを、声よりも視線の方が如実に物語っていたらしい。
表情筋が死んでるのかと思うほど動きの少ない顔を僅かに歪ませて、ストルゲが頭を下げた。
「ん?」
「すまない。儂の落ち度だ。手が回っていたことに気付かず、
流れるような謝罪に、エメインは白目を剥く程驚愕した。
「へっ? いや、あのっ……あ、頭を上げてください、父上!」
父が初めて見せる姿に、エメインは大いに動揺した。慌ててその顔を上げさせる。
「そんな、分かるわけないじゃないですか。武官と文官じゃ全然仕事の管轄も勝手も違うし、そもそも同じ部署にいたって気付けないですよ」
実際、調査班に選ばれたという話はどこからともなく庶務課内にも広がり、ほとんどの同僚に激励よりも
それまで上司のいない所では少なからず親切にしてくれていた先輩からも、何故実力もない新人がと裏で囁かれた。
誰も、エメインが二度と帰ってこられないとは夢にも思っていなかったに違いない。
いくら父の地位が高く優秀でも、気付けという方が無理な話だ。謝罪の必要など無い。
それよりもエメインの胸に去来したのは、罪悪感混じりの複雑な思いだった。
上司の仕事を手伝いながら、帳尻の合わないものが時々あったことを、エメインは以前から知っていた。
最初に質問した時には「それでいい」と返された。右も左も分からない新人のエメインは、そんなものかで終わらせた。
だが仕事の内容が少しずつ理解できてくると、また疑問が湧いた。暫くは自分に言い聞かせ、言われた通り帳尻を合わせて仕事を終わらせていた。
けれど罪悪感は日増しに募り、堪えられなくなってもう一度質問したのが、先々月のことだった。
正義感からではない。ただ、大丈夫だという後押しが欲しかったのだ。そして、罪悪感から逃げたかった。
あるいは、「俺が間違っていた」と言ってもらえることを期待していたのもあるかもしれない。よく気が付いてくれたと、もしかしたら認めてもらえるのではないかと。
(そんなこと、あるわけなかった)
気付いていたくせに直さなかったのなら、最早同罪だ。エメインは被害者ではなく、ずっと前から共犯者だったのだ。
だからこそ余計に、ストルゲの真っ直ぐすぎる行いが眩しくて、恥ずかしかった。
(僕に、謝ってもらう価値なんてない)
父のように公正に、高潔に生きてこられたなら、その謝罪を素直に受け取ることもできたろう。だがエメインは、目の前の、大した量もない簡単な仕事にも、そうはできなかった。
「だから、父上に落ち度なんてないんです」
それが自分の後悔を少しでも軽くするための言葉だと重々承知しながら、エメインは言葉を重ねる。
しかし返されたのは、意想外の理由だった。
「だが、選択肢の退路を断ったのは儂だ」
「え?」
「本当は、行きたくなかったのだろう」
「!」
その確信を持った言葉は、少なからずエメインの意表を突いた。
「父上、気付いて……」
エメインはずっと、優秀な兄姉に比べて何をやってもパッとしない自分に、勝手な劣等感を持っていた。
それは父に対してもそうで、自分に向けられる視線の短さや温かみの無さに、証拠もないのに落胆や無興味の顕れなのだと感じ取っていた。
だから、ストルゲがエメインの不安や迷いを言外に察するなど、青天の霹靂に等しかった。
たが、ストルゲはどこまでも真っ直ぐだった。
「これは、父親としての落ち度だ」
エメインの考えるようなラリス部隊長としてではなく、エメインの父親として。
だから頭を下げる。
「…………」
それはやはりどこまでも潔白で、罪を白状しない自分が益々後ろめたくなった。無自覚の内に視線が逃げる。
すると不意に、ストルゲの視線もまたエメインから外された。
(また……いや)
その仕草は、優柔不断で意気地のないエメインに呆れて、答えを待つ必要もないと見切りを付けられていたからだと、幼いエメインは思っていた。
だが、本当は違うのかもしれない。
『あれは癖ね。父上の視線は強すぎるからたまには逸らすようにって、母上に怒られたからなのよ。まぁ、私は睨み返してやるけれどね!』
いつか、長姉が冗談交じりに言っていたことを思い出す。
父上が母上に怒られるなんて、そんなことあるわけがないと、子供の頃は信じなかったけれど。
「……僕、神法をちゃんと使えるようになったんです」
逃げようとする視線に力を込めて、眼前に立つ父の顔を見上げる。そうして見付けた父の横顔は、想像していたような嘆息を堪える険しいものではなく、目の端でじっとエメインの様子を窺う、手探りのような表情だった。
エメインの言葉に僅かに視線を戻し、静かに先を促す。
「何回使ってもやたらに吐いたりしないし、倒れなくもなりました。まだ、父上や兄上たちのようにとまではいかないけれど」
「……後悔、していないか」
それは、今回の
だからこそ珍しく、父の前で自然と笑むことができた。
「最初は、理不尽なことや辛いことばっかりで、何で僕がこんな目にって思ったけど……」
過去の自分に苦笑しながら、ちらりと隣のザラを盗み見る。
「でも、ザラと二人で色んなことを工夫して、意外にやり方次第で出来ることがいっぱいあるって気付けたんだ。だから今は、父上が背中を押してくれたこと、感謝しています」
万感の想いを込めて、頭を下げる。
こんな風に父に面と向かって感謝を伝えたことなど、思えばなかったかもしれない。物心ついた頃には、父を前にすると自然と緊張する癖がついていたように思う。
こんな辺境の地で、初めて父子らしく振る舞うことができたのだなと、エメインは少し感慨深かったのだが。
「……ならば良い」
返る声はあくまでも堅くて、やはり父親というよりは上司のようだなと、こっそり思うエメインだった。
◆
「事情はおおよそ分かったんですが、それで何故課長まで連れてきたんですか?」
ストルゲとのやり取りの後、エメインはやっと本題に切り込んだ。
先刻からずっとストルゲの隣をちらちらと窺ってはいるのだが、陰に隠れるように身を縮こませているアドホック・ゴーニアーの様子がいよいよ極まってきたように思える。
元々机仕事ばかりで青白い顔は紙のように色を失くし、不健康そうな金壺眼はひっきりなしにストルゲと船の渡り板とを往復している。
理由は、その両手首に頑丈に巻き付けられた麻縄だろう。その先は、ストルゲの剣帯にしっかりと結び付けられている。
船の中にいるはずの共犯の助けを期待しているのだろうが、ケーフィが不在の間も船が沈黙しているのであれば、望み薄と言えるだろう。
「お前の無実を証明するためだ」
ストルゲが、厳然と答える。
だがエメインは、後ろめたい思いから素直には頷けなかった。
「……父上。僕は、あまり胸を張って無実とは」
「粗筋はこうだ」
「はい?」
眉尻を下げるエメインには全く取り合わず、ストルゲが再び堅苦しい説明を開始する。
「お前はザラ・オルファノスに脅されて横領を働いていた」
「へ?」
「それに気付いたゴーニアーが、正義感から二人が調査班に入るよう工作した」
「え? あ、いや……」
「二人は封鎌の地で仲違いし、エメインがザラ・オルファノスの脅威から逃れるために船に乗せないようにしたが失敗。帰路の途中で乱闘騒ぎを起こした二人は、誤って船から転落。捜索不可能な海域であったため、船員はそのまま帰港した」
言い切ったとばかりにストルゲが小さく頷く。エメインはと言えば。
「…………、はぁ」
それしか言葉がなかった。「ケッ」と声が聞こえて隣を見れば、ザラが間違えて砂混じりの海水でも飲んでしまったような顔で舌打ちしていた。
思わず感心してしまう。
(よく出来た話だなぁ)
他の同僚と違い庶務課から出ず、机仕事ばかりしていたエメイン。実力もないのに調査班に加えられた文官神法士。
同乗したのは強人種の血が混じっている問題児の陸軍兵士。二人は軍事研修という接点もある。
その時から裏で繋がっていて、帰港した調査班の中にいないのは二人に非があるから。そして封鎌の地にはちゃんと問題がないときている。
(死人に口なしとはまさにこのこと)
「本当は、関係者を残してこちらに来ることは残党に改竄の余地を与える危険性があるため避けたかった。だが全員を連れて来るわけにもいかず、最も関係性が高く、エメインの無実を知る者を選んだ」
「あぁ、それは……確かに」
やっと辿り着いた疑問の答えに、エメインはようやく合点がいった。
今回の置き去りの企みに関わっていたのが強人種や神務卿だと判明しても、瞬時に全ての関係者を洗い出すことはまず不可能だ。
長兄アステリが現場で残務処理を引き継いでいるのだろうが、その目を掻い潜って証人を買収したり、雲隠れさせたりされれば、エメインが無事戻れても、無実を証明するまでは拘束される可能性が高い。
ストルゲはそこまで見越して、エメインの無実を最もよく知る人物を選んで先に確保したということらしい。
(やっぱり、父上は凄いなぁ)
神務卿に接触した時点から帰港した海軍船を拿捕するまでにどれ程の日数があったかは想像するしかないが、行動の速さと手回しの抜かりなさは驚嘆に値する。
父や兄が自分と比較にならないくらい優秀だということは感じていたが、ついに目の当たりにしてしまったというのが、今のエメインの本音だった。
だが続いた言葉は、少しだけ人間味が感じられるものだった。
「お前が望むなら、同じように置き去りにすることも可能だ」
「……え!?」
「ひっ」
ストルゲらしからぬ私情のこもった提案に、エメインは今度こそ目を剥いた。
当のゴーニアーなどは、口をぱくぱくと動かすだけで最早声も出ないのか、今にも泡を吹きそうにおどおどしている。
だが堅物の父がこんな場所で冗談を言うはずもなく、見返したその鉄仮面はにやりともしていなかった。
「あの、父上……本気ですか?」
「来年には迎えが来るだろう。その頃には改心しているやもしれぬ」
「いやいや三日で死んじゃいますって!?」
重々しく頷くストルゲの本気度合いに、エメインは思わず制止をかけていた。
ゴーニアーの神法士としての階級も実力もよく知らないが、一人で一年はただの実質死刑だ。
ストルゲやケーフィならば耐え抜きそうだが、と考えたところで、もっと根本的な理由に気が付いた。
(もしかして、怒ってる……?)
ひぇぇとか、ひやぁぁとか貧相な悲鳴を漏らし続けているゴーニアーを睨むストルゲの視線は、注視というよりも殺意に近い。
今までの朴訥とした説明と比べ、その一点だけが感情的に思えて。
「俺が監視役に残ってもいいですよ!」
絶対に頃合いを見計らっていたケーフィが、ゴミの山に仁王立ちしながら本気の安請け合いで割り込んできた。
「ケーフィ兄上……」
エメインは、論点はそこじゃないと言葉を濁し、
「…………」
ストルゲに至っては反応する意味を見い出せないとでも言うように、一瞥さえも寄越さなかった。
「おーい? 父上ー? エメインー?」
手を振りながらゴミの山を滑降してくるケーフィは脇に置き、エメインは改めてストルゲに向き直った。
「父上が私的に罪を見逃すことがないのと同様に、私的に過剰な罰を与えることもないと知っています。だから、本当に大丈夫です」
置き去りにされて三日目くらいなら、許せないと激憤し、私的報復にすぐさま飛びついていただろう。
だが今は、不思議と怒りや恨みという感情は湧いてこなかった。帝国に戻ってゴーニアーや関係者の謀略や
「そうか」
頭一つ分低いエメインの瞳を正面から受け止めて、ストルゲが短く首肯する。
それで殺気が多少だが弱まったことにゴーニアーも気付いたのか、その場にへなへなとへたり込んだ。
(よっぽど船で暴圧受けたんだろうな……)
ゴーニアーといえば常に居丈高で、部下からの指摘や反論などにも屁理屈で返しているような印象が強い。
階級が上とはいえ、面識もない相手にこうも行動の自由を奪われれば、理由を察していても様々に喚き立てて逃れようとしそうなものだが、どうやらその段階は既に通り過ぎてしまったらしい。
船上では逃げ場もないだろうし、帰路はなるべくストルゲから遠い場所を提案するくらいはしてもいいかもしれないと思うエメインだった。
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