第57話 会うは別れの始めと言えど

 これから群れがどうなるかは定かでないが、イーシュが自分の未来を自分で選び取ったようで、エメインはひとまず安心した。

 ここで一緒に島から出ようなどと誘うのは、イーシュの決意への冒涜でしかない。


「あの小屋に住むのか?」

「え?」


 周囲への警戒を維持しながらも、それまで黙って三人を見守っていたザラが、突然そう口を開いた。

 三人が一斉にザラを見やる。それから、エメインはぽんと手を打った。


「そっか。そう言えば、あの研究棟って本当はイーシュが使ってたんだもんね? 僕たちでちょっといじっちゃったけど、雨漏りもしないし、悪くはなってないと思うんだけど」


 言いながらも、そう言えば最後は善性種エピオテスたちに襲撃されて、折角修理した壁はまたもや隙間風だらけになっているのではなかったか。

 だがイーシュの愁眉が開かれないのは、それが理由ではなかった。


「……でもぼく、一人でやってみようと思って」


 白灰色の丸い耳をしゅんと倒して、イーシュが申し訳なさそうにエメインを見上げる。

 どうやらエメインたちが整えた住居を使うのも、根が真面目なイーシュには横着ズルに感じるらしい。


「そっかぁ。イーシュが住んでくれるなら、またすぐ廃屋に戻らなくて済むかなと思ったんだけど」


 名残惜しいとか勿体ないというわけではないが、こればかりは仕方ない。


「そんなの、別にいつからでも新しく始められるだろ」


 少しばかりの感慨はあるなと思っていると、ザラが呆れたような溜息を挟んだ。


「無理に自分を苦しめる必要はない。慣れたら、また好きな所から始めればいい」

「ザラ……」


 無駄な押し問答をしていると言いたげな声はぶっきらぼうだが、その指摘は至極最もだった。

 イーシュを見れば、目から鱗が落ちたような顔をして、ザラを見つめている。それから、頬を薄っすら染めてはにかんだ。


「……うん」


 その様子に、ハイラムもこっそり目元を緩める。所在が分かることになって、少なからず安心したようだ。

 エメインは心機一転、もう一つの予定を変更した。


「よし、じゃあ早速研究棟に行こう」

「今から?」

「あそこには結界がまだ残ってるはずだけど、イーシュ用に書き換えるにはイーシュの血が必要だから」


 ケーフィたちと別行動を取ったのは、イーシュに会いたいのもそうだが、研究棟に残ったままのはずの法術符を回収するのも目的の一つだった。

 善性種たちは、法術符の張られた壁自体を破壊することで結界を突破したが、恐らく一ヶ所しか手を出してないはずだ。

 今後の調査班のためにも、周囲に棲息している魔獣たちのためにも、神法の痕跡は消しておくべきとエメインは考えた。

 だがイーシュが住んでくれるなら、周囲の魔獣避けの花――リガートゥルや残飯用の穴を埋める手間も省ける。

 ついでに、今度は法術紙自体が風雨などで劣化しないように書き足しておくのもいいかもしれない。


「なら、俺は先に荷物を取りに行く。……いいだろ」

「あぁ。……のれももう行く」


 結界には法術紙が要ると察したザラが、先回りして動き出す。ハイラムも、自身のねぐらにある物のことだとすぐに理解したようだ。間を置かずザラの後に続く。

 その前に、背を向けたままイーシュに呼びかけた。


「……じき、嵐が来る。これから、また忙しくなる」

「? あぁ、もうそんな時期だね」


 脈絡のない言葉に、イーシュが小首を傾げながら灰色の空を見上げる。

 何かの暗喩か、善性種にしか分からない暗号か。エメインはこっそりとイーシュに耳打ちした。


「……何のこと?」

「嵐が来ると、海が荒れて、流れ着くゴミも増えるんだ。それが腐る前に、僅かな晴れ間に良さそうなものを拾うんだ」

「あぁ、成程」


 調査班が来るのは毎年雨の少ない乾季だから実感がないが、一年の大半はエメインが感じた雨量とは比べ物にならないくらい雨が降り、海が荒れる。

 善性種が日用品や加工品を手に入れるのは、ほとんどこの海からの漂着物だ。この島においては、それさえも収穫物となる。


「今年は、北から始めて、東は最後にする」

「……ありがとう」


 何の宣言かとは、今度は尋ねなかった。

 研究棟はネフェロディス島の東にある。イーシュが欲しい物を得られるようにという、ハイラムなりの最大限の助力なのだ。

 だからこそ、既に走り出そうとしたハイラムの背に、エメインは告げていた。


「僕、物を大切に使うよ」


 それは、実に陳腐で幼稚な言葉だった。子供が使うような、当たり前の約束。

 けれど、この島を離れるエメインには、ハイラムに出来ることはもうない。だからこそ何か一つ、彼らの存在を忘れないと、そう伝えたかった。

 ハイラムが、その青眼を肩越しに寄越して、柔らかく笑う。


「そうしろ。でなければ、いつかこの島は神の怒りではなくゴミにより世界から消えるだろう」

「うん」

「……だが少しくらいなら、己たちが使ってやる」


 ふいと、その精悍な横顔が前を向く。灰銀色の三角耳が恥ずかしそうにぴくぴくと動いていることは、どうやら内緒にしておいた方が良さそうだと、エメインは笑みを噛み殺した。


「ありがとう」




       ◆




「本当に船が来てる……」


 研究棟に着き、ザラが荷物を持って戻ってくるのを待つ間、エメインとイーシュは二人並んで、丘の下に見える桟橋を眺めていた。

 漂着物で九割方埋まっている桟橋に、見覚えのある遠洋航海用のカラック船が一隻、停泊している。

 民家ほどもあるような三本マストの帆船が、今は帆を畳み、比較的穏やかな波間に静かに揺れている。


(海軍が船を出したのかな?)


 ケーフィも父も陸軍所属の武官神法士だ。互いに国防に身を捧げる者たちだが、両者の横の繋がりは薄い。何なら事あるごとに比較されるせいで、互いに対抗意識があるくらいだ。

 いくら父が帝国軍の部隊長で、陸海軍を総督する軍務卿とも面識があるとはいえ、捨てられた者たちのためだけに船や海軍兵士を用意するのは破格だ。


(といっても、海軍所有の船くらいじゃないと、そもそも辿り着けないんだろうけど)


 父とフィービーとの間に、一体どんなやり取りがあったのだろうかと、今更ながらに不安が込み上げる。


「いつも、ここで船を見送ってたんだ」

「そうなの?」

「他にも仲間が別の高台で監視してはいるんだけど、ぼくは好奇心から」


 イーシュが、どこか大人びた横顔で懐かしそうに目を細める。


「でも今年は二人残ったって聞いて、驚いたよ」

「聞いた? 群れで?」

「ううん。サイルから」

「あぁ、それで……」


 エフェスであるイーシュが、制限のない他の善性種よりも先にエメインたちを発見できたということが、本当は少し不思議だった。

 かねてから避難先にしていたというが、近辺で遭遇したり、ザラに気配を悟られることもなかった。

 二人が置き去りにされた時点で、既にイーシュはサイルから情報を得ていたのだ。そしてハイラムが勘付いたことで行動を起こした。

 だがそう推測すると、一度目の接触は随分不用意だったようにも思える。

 偵察のためだったと言われればそうかもしれないが、どうしても必要だったとは思えない。エメインが説得できなければ、ザラはイーシュを殺していたはずだ。


(もしかして、逃げろって言いに来たとか……?)


 イーシュの性格なら有り得るな、と考えた所で、


「殺すことも、船を奪うこともできるって言われた」

「えっ」


 物騒な発言が続いて、エメインの思考が停止した。発作的に、エメインの脳内にサイルの声が再生される。


《お前が望めば、連中を皆殺しにすることも、船を奪うことも出来るのだぞ》


(……言いそー)


 ただの妄想なのにサーッと蒼褪めた。頬がひくつく。

 ちらりと隣のイーシュを盗み見れば、エメインの考えはお見通しというように、くすりと笑っていた。


「しなくて良かった。お陰で、エメインに会えた」

「…………」


 イーシュの真っ直ぐで、けれど無垢なだけではない笑顔に、エメインは恥ずかしくなって頬を掻いた。

 そうこうする内に、ザラが二人分の手提げ袋を持って帰ってきた。エメインがついて行かなかったお陰か、予想よりも随分早い到着だった。

 エメインは早速荷物から法術紙を取り出し、イーシュにも血を一滴分けてもらい、研究棟に改めてイーシュ用の結界を張った。

 一度目は吐いて倒れて見られなかった結界の精製を、今度こそしっかり見届ける。

 それから、今度こそ最後の別れを交わした。


「それじゃあ、行くね」

「うん」


 またねとは、お互い言わなかった。住む世界が違うとは言わないが、それでも次の邂逅があるとは、二人とも期待してはいない。

 だから、代わりの言葉を贈る。


「エメイン。ぼく、頑張るよ」

「うん。応援してる」


 一生の別れと思えば、それは随分あっさりとしたやり取りだったかもしれない。

 それでも、二人にはそれで十分だった。

 互いに手を振り、歩き出す。

 どこまでも、君に届くようにと願いながら。

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