第55話 親の意見と冷や酒は後で利く
島の空に木霊して消えていく声に、全員が発生源を探して視線を動かした。
「獣が動き出したか?」
「よっしゃ、やるか!」
焼け樹林となった木々の向こうを窺う
だがエメインは、すぐに違うと気付いた。
(これは……イーシュの鳴き声?)
昨夜、サイルが活発に動き出した辺りから、魔獣たちは本能的な恐怖によりずっと息を潜めていた。それは恐らく、ケーフィたちが
魔獣討伐が趣味とさえ言えるケーフィにとってみれば、ここまでの道中は期待外れだったはずだ。
だが圧倒的な力が消え去っても、また新たな異物が増えたとなれば、島の生き物はもうしばらくは警戒して出てこないだろう。
根拠はないが、恐らくケーフィの期待した事態にはまだ戻っていない。
(でも何で……)
今この時に鳴き声を響かせるのかという疑問は、眼前の二人の反応ですぐに知れた。
イーシュは、ナハルからまっすぐに避難中の仲間の元へと向かった。その後鳴き声の合図は聞こえなかったから、無事合流できたのだろうとは思っていたけれど。
(瘴気が晴れたから、かな)
まだ仲間と合流したばかりか、既に浄化の法具がある川まで避難出来たかは分からない。だがきっと、島の中央に渦巻いていた薄黒い瘴気と火災は見えていただろう。それが消えたのを見て、エメインの勝利を察した。
だが図らずも、他の
(どんな合図かは全然分かんないけど)
数度繰り返された鳴き声は伸びやかで、苦しげなところは窺えない。
どちらにせよ、心配し過ぎてエメインの所まで駆け戻って来なくて良かった。
(いや、途中でハイラムに止められたって可能性もあるかな)
エメインが目覚めた時、既にハイラムたち善性種は周辺にはいなかった。ザラがサイルを足止めしている間に、上手く逃げられたということだろう。間が良ければ、ケーフィたちにも見付かっていない、と信じたい。
「
イーシュが最初に鳴いた時にはサイルに意識を奪われていたザラも、心当たりがないと首を捻る。
一方、それを聞いたケーフィは嬉しそうに目を輝かせた。
「
毒穴熊は知能が低く獰猛で、僅かにでも機会を見付ければすぐさま行動に出る。その生態を承知していたケーフィにとっては、まさに朗報らしい。
「魔獣の殲滅はだめでも、見かけた奴は片っ端から倒していいんだろ?」
「ま、まぁ、そのくらいなら……」
ケーフィに嬉々として念押しされ、エメインは目を泳がせながら譲歩した。
実際、生態系云々と言いながら邪魔な草木は切り倒し、果実の皮や種は穴に捨て、魔獣も最低限ながら食用に乱獲した。
今更感はひしひしとある。
だがそもそも、この島では縄張り争いも上下関係の形成も遥か昔に終わっている。ここまでの大騒ぎの直後にのこのこと出てくるような魔獣はそういないはずだ。少なくとも、
「よし、では行こう!」
ご馳走を楽しみに走り出す子供のように、ケーフィが早速歩き出す。
ザラは躊躇はあったものの、
(確かに、いつまでもここにいても仕方はないんだけど)
どうしたものかと振り返れば、親の仇でも見るような麗姿種と目が合った。
(後ろを歩こうものなら、殺されそうだな……)
私の目の届く範囲にいろと言わんばかりの眼光に、エメインはすごすごとザラの後に続く。
その直前、淡い光が目に留まった。
冴え冴えとした三日月のように薄青く発光する、巨人にしか握れないほど大きな鎌。青鈍色の刀身が僅かに地中に沈んだ、
数時間前に初めて目にした時には、一歩近付くごとに意味の分からない冷や汗が湧き、本物だけが持つ圧迫感に不敬や畏怖の念を禁じえなかった。
(あれに一瞬でも触ったなんて、何だか信じられないな)
イーシュが動かし、二人で元に戻した。この封鎌ズレパニが正しく元の位置に戻っているかどうか、数学者でも神学者でもないエメインには、確かめようもない。
ただ、あんなにも大鎌から感じていた恐ろしさが、今は不思議となかった。夜が明けたからだろうか。
不気味にさえ感じた青鈍色は今は薄ぼんやりと大気に満ちる朝日に溶け、囁くような淡い輝きになって空気に馴染んでいる。
今では、親しみの湧くような思いすらある。
「…………」
ぺこりと、エメインは頭を下げていた。相手が神器なのか、かつての英雄神なのか、最期に夢現に聞こえた声なのかも分からない。
「何を……」
麗姿種がエメインの早速の奇行に怪訝な声を上げたが、その先を見て沈黙した。
◆
ケーフィ、ザラ、エメイン、フィービー――麗姿種とエメインはやっとのことで自己紹介に至り、ついに名前を知った――は、縦列になって燃え残った森の間の獣道を、桟橋へと南下した。
予想通り魔獣に出くわすことはなく、道中は平穏に進んだ。
だが焼けた森も見えなくなり、湿気に満ちた緑の森が続くようになった辺りで、エメインはそわそわと周囲を見渡し始めた。
もうすぐ、第二結界も通過して
(今しかない)
エメインは意を決すると、思い切って口を開いた。
「あ、あの! 荷物を、取りに行きたいんだけどっ」
「ん?」
先頭を行くケーフィが呑気に振り返り、背中には殺人光線を乗せたフィービーの視線がじろりと刺さる。
途端に冷や汗が湧いたが、これだけはどうしても譲れない。
「……荷物だと?」
フィービーが何を企んでいるのかと美しい双眸を凶悪に歪め、ザラが思い出したように声を上げる。
「そういや、残りはハイラムの所だったな」
「そ、そう、それ」
ザラの相槌に、エメインはすかさず便乗した。
この島に
エメインの別行動をフィービーは反対するかもしれないが、ケーフィに説明すれば許可されるだろう。
そう、ケーフィを見やって。
「無ければ死ぬようなものなのか?」
「え?」
真顔でそう問い返された。
思いがけない鋭さに、エメインは狼狽を覚えながら首を横に振る。
「そうじゃない、けど……。でも、学者の先生たちも、ゴミ一つ残してはいけないって言って――」
「ここは戦場だ。荷物など、生死に関わらなければ選択の内には入れない」
「……ッ」
まるでまどろっこしい説明もまた悪だというように、ケーフィが言下に断ずる。そこでやっと、エメインは思い出した。
ケーフィは、兄としてここにいるではなない。一つの判断が生死に直結する、対魔獣戦の最前線を指揮する武官神法士としてここにいるのだ。
身内の甘えたお願いなど、一顧だにも値しない。
「……そっ、それでも、僕には大事なものなんだ! 別行動でいいから、許可してほしい!」
エメインは、兄の家族には見せない一面を前に、ぎゅっと腹に力を入れて言い切った。
軍において、規律を乱す者は粛清の対象だとは、軍事研修の時にも口を酸っぱくして言われた。
ケーフィが弟の我が儘になんと返すのか、想像もできない。それでも、引き下がるわけにはいかないのだ。
(このまま、イーシュたちに何も言えないまま別れるのは、嫌だ)
エメインがネフェロディス島に来たのは、実力ではない。捨てられるためだった。となれば、二度とこの島に来ることは叶わないだろう。
その前に、せめて一言、謝りたい。彼らの住む
「エメイン、お前……」
ケーフィが、帰途の前方に注意を払ったままエメインを振り返る。その顔が深刻そうに歪み、エメインは叱責を覚悟した。
「もしや、母上に頼まれた茶か?」
「……は?」
全然違った。何のことかも一瞬分からなかった。次兄の緑眼に、同じ色を持つ母のことを思い出し、それに触発されてやっと旅立ち前のやり取りを思い出した。
『まぁ。
(……言われたな、そう言えば)
あの時の母は、エメインがこんなにも
思わず素で返す。
「いや、お茶なんていう嗜好品はなかったけど」
「じゃあ茶菓子の方か? だが茶もないのに茶菓子だけじゃなー」
うーんとケーフィが悩ましげに腕を組む。
確かに特産物とも言われていたが、主食にしていた木の実のタマルくらいしか思い出せない。母は喜ぶだろうか。
などとまで考えたところで、はたと失策に気付いた。
(ケーフィ兄上が本気なら、乗っておけば良かった……!)
ケーフィの中で生存任務よりも母の土産が上位だったことには驚きだが、是と答えれば別行動が許可されたかもしれなかったのに。
と、兄弟同士低次元で悩んでいたところに、ザラが呆れた顔で手を挙げた。
「俺が護衛につきます、分隊長」
「お、なら頼む」
問題はあっさり片付いた。
「……馬鹿の集まりか?」
黙って成り行きを見守っていたフィービーが、地を這うような声で吐き捨てた。
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