第54話 三尺下がらず師の影を踏む
「よし。解決したみたいだからとっとと魔獣を殲滅しに行くか」
「いやだから殲滅しちゃダメなんだって」
言いたいことだけ言って満足したケーフィが、早速喜び勇んで歩き出す。その背を慌てて追いかけるエメインよりも早く、
「一体何が解決したというのだ?」
意図的に死角に隠していた長槍を二人の前に突き出し、静かに威嚇する。
「貴様らは
言いながら、赤紫色の瞳がエメインを射る。
「そもそも、私は貴様は死ぬべきだったと言ったのだぞ」
「へ?」
再び話の矛先を向けられ、エメインは面食らった。
確かに、麗姿種はザラに何故殺さなかったのかと糾弾していた。だがそれはエメインが瘴気に取り込まれて、操られたり廃人になったりする可能性があったからのはずだ。
だが今は、ケーフィの治癒の甲斐あって瘴気は消え、サイルの気配もなければ瘴気
「でも、もう僕の中にサイルはいないから……」
「何をもってそう断言する」
「!」
「貴様の中には本当に瘴気のカスの一欠片も残っていないと、証明できるのか? その瘴気が、次に
「それ、は……」
体内にどれほどの魔気や瘴気があるかを調べるのは、とても高度な技術だ。この自然しかない島で、エメインの技量で証明するのは不可能だ。
それは麗姿種も承知の上なのだろう。口籠ったエメインにはすぐに見切りをつけて、また弟子を睨む。
「ザラ、貴様もだ。折角折ってやった角が再生している。力を求めた証だ」
「……」
状況証拠を突き付けるように、麗姿種がザラの額を指さす。ザラが反射的に目を伏せたのを見て、エメインはたった今感じた恐れも薄れるほど、やるせなくなった。
(強人種は必殺、か)
この麗姿種の過去に何があって、どれ程の因縁が強人種にあるのかは知らない。ただ、強人種に関わる者も、その血が僅かでも流れている者も、殺したいほど憎悪の対象なのだということは分かる。
ザラはそれでも、この師匠のもとに戻りたいのだろうか。
「角は、ずっと折れたままだった。サイルに……瘴気に
自分にも非があることは事実なので、エメインは湧き上がる感情を押し殺して説明する。
だが。
「戒めを失い、
「だから違うって……っ」
言下に嫌味たらしく返され、ずっと押し込めていた文句の蓋が開いてしまった。
「大体、角もザラの体の一部じゃないか。それを、本来の姿に戻るのに力だ悪だと……」
「なに?」
「あなただって……例えば、その耳を削ぎ落されたら、嫌だろう?」
麗姿種は古代六種族の中で最も身軽で、目と耳が良い。それは天上で暮らした歳月が影響しているとも云われるが、真相は分からない。だがその優美な長い耳を自慢に思っていることは確かだ。
強人種の角と同様に。
そう単純に考えて引き合いに出しただけだったのだが。
「――麗姿種の耳を、削ぎ落す、だと?」
ざわり、と空気が動いた。
刹那に背筋が粟立ち、ゾッと血の気が引く。
流石に出しゃばり過ぎたと気付いた時には一歩、麗姿種がエメインへと距離を詰めていた。
(これは、まずいかも……)
慣れない
「へ……!?」
気付けば呆気なく転がされていた。喉元に、長槍の矛先が突き付けられている。
(いつの間に……)
手を引かれたことも、足を引っ掛けられたことも分からなかった。見慣れた曇天は瞬き一つで麗姿種の美貌と、純粋な殺意で埋まっていた。
「麗姿種の美貌を
今までとは画然と違う、温度のない声が耳朶を這う。その魂を吸い取られるような美声に、否応なく体が凍った。
「死にたいようだな?」
「師匠!」
ザラが本気で制止の声を上げる。だがそれが何の功も成さないことを、エメイン自身が一番感じていた。
(本気、だ……)
サイルに感じたような愉悦も驕慢もない、ただ殺すための意思。
(今から謝って……いや、謝ってももう遅い気がする)
今更になって、生来の臆病と気弱が舞い戻る。刹那的な怒りの力を借りたとはいえ、よくもこんな羅刹女のような恐ろしい麗姿種に口答えしたものだ。
一刻も早く謝って、ただの例えだと説明して、矛を収めてもらわなければ。
「……どんなに、見た目が美しくたって」
そう思うのに、口は震えながらも勝手に反対のことを口走っていた。
「自分が嫌だと思うことを他人には平気でするなんて……美しくない」
「――――」
宝石のような赤紫色の瞳に向かって、麗姿種の禁句を言い放つ。
麗姿種は目に見えるものが全てだ。それは神々が与えた本能ゆえで、悪いことだとは思わない。
だがイーシュの言葉に、願いに触れ続けたせいだろうか。
(感化されすぎたかな)
後悔はなかった。
「師匠、これは――!」
ザラが制止に走る前で、長槍が静かに沈み込む。そのまま、つぷり、と尖った切っ先が皮膚を破る音が鼓膜に届き、
「それ以上力を入れるなら、俺も動く」
それが痛みに成る前に、ケーフィの声が割り入った。長槍の動きがぴたりと止まる。
「……私は、私の
その切っ先は毫も揺らさないまま、赤紫色の炯眼が剣の柄に手をかけたケーフィに向かう。それを真正面から受け止めて、ケーフィは無邪気に笑った。
「それなら良かった。そいつは誤解だ」
「…………」
エメインの喉が動くなら、「は?」とでも言っていただろう。だが僅かでも振動すればきっと長槍の刃が痛覚のある場所まで届いてしまうので、必死で堪えた。
「うちの末弟は我が家で最も気が弱くて優しい。
それは弁護なのか侮辱なのかと、エメインは心の中で問い質した。勿論返答はない。
「加えて真実をそんなに見誤ることもない」
侮辱でもなくただの感想かもな、とエメインは結論付けた。間違っていないところがまた胸が痛い。
だがそんなことで納得するのは身内だけだ。
「……だとしても」
と、麗姿種が侮蔑を込めて言う。
「この餓鬼が『美しくない』と断言したのは事実だ」
「でも主観だろ? しかも殺しても構わないくらい嫌いな奴の」
「なに……?」
「そんな奴の意見で傷付くくらい、あんたの『美』は脆いものなのか?」
「――貴様も私を愚弄するのか」
「だから誤解だって。これも俺の主観。あんたの望む『美』がどんなものか、俺はまるで知らねぇんだから。知らねぇものは評価もできないって」
ケーフィが困ったと言わんばかりに肩を竦める。
実際、直感だけで生きているケーフィがそこまで深く考えているかどうかは別として、美という概念がどこまでいっても主体的で主観的であることは間違いない。
そして他者が存在する限り、悲しい程に相対的でもある。その価値観念は多種多様で、完全に共有することは不可能に近い。
(いや、それを言ったら『善さ』も『強さ』も同じことか)
常に他者と比較することで、それが確固たる真実のように思い込む。
本当は、誰かがいてもいなくても、何を言おうと言わなくとも、その価値が変質することはないのに。
「……それでも、問題は何一つ解決していない」
内包した激憤はそのままに、麗姿種がやっと話柄を切り替える。
土足で逆鱗に触れ、今にもこの刃がケーフィに向かうのではと冷や冷やしていたエメインにとって、その切り替えは少なからず意想外だった。が。
「問題? 何かあったっけ?」
ケーフィは、本気で分からないというように緑眼を瞬いた。
(多分本題を忘れてるな……)
ケーフィに難しい話は厳禁だ。
麗姿種は苛立たしげに柳眉を吊り上げたが、ケーフィの調子に惑わされることはなかった。
「私は、
凛然とケーフィを睨み返し、足元のエメインとザラとを交互に一瞥する。
だからこそ、エメインにも見えてしまった。そう口にした時にその美しい双眸に宿った、醜いほどの憎悪と底知れない悲愴を。
(……そっか。それは、そうだよな)
この麗姿種が恐ろしいことに異論はないが、快楽殺人者にも発狂しているようにも見えない。それでもこんな辺境の島にまで来て、執拗に強人種だけを殺して回り続けるのだから、それだけの
(不安、なんだ。こんなに怖い人でも)
だが今のエメインには、その不安を消し去る
「あぁ、思い出した。それなら簡単だ」
ケーフィがいともあっけらかんと断言した。
「なに?」
「ぶ、分隊長?」
訝しむ麗姿種とは反対に、ザラが頬を引きつらせる。エメインも内心で嫌な予感がすると思っていたら、ケーフィが満面の笑みでぐっと親指を立てた。
「ザラが暴走したら、エメインが止める。エメインが操られたらザラが止める。これで万事解決だろ?」
ニッと白くもない歯を見せられ、ついに三人の声が揃った。
「「「は……?」」」
麗姿種が瞠目し、ザラが間抜け面を晒し、エメインでさえ、長槍の脅威も忘れて声が漏れた。
麗姿種が、真偽を探りきれないという目で足元のエメインを見下ろす。エメインはそれに目だけで全力で同意した。
「……僕に、そんな力ないけど」
「俺も、止め方なんか知らないっすよ……」
エメインの抗議に、ザラも戸惑いを隠せず便乗する。だがそんなものは、一度意思を固めたケーフィの前では無駄な足掻きだった。
「確かに、今までのお前らにはなかったかもな。だが今のお前らなら出来る。俺がそう感じた」
二人の目を真っ直ぐに見据えて、ケーフィが太鼓判を押す。その無責任で根拠のない暴論は相変わらずで、エメインはもう苦笑するしかなかった。
ケーフィは、出来ないことをやれとは言わないし、頑張れば出来るとも言わない。それはある意味期待せず、突き放しているようにも見える。
子供の頃はその冷めた態度が悲しくて、ケーフィからは嫌われているのではないかと泣いたこともあった。
その時も、ケーフィは不思議そうにこう言った。
『頑張ってるのに出来ないなら、今はまだ出来ないだろ。それとも、頑張ってないのか?』
麗姿種に脆いのかと尋ねた時と同じだ。そんなわけはないだろと、それは言外に続く。
ケーフィは、目に見える事実を捻じ曲げたりしない。二級神法士であるケーフィが出来ると言うのなら、出来るのだ。
「……ケーフィ兄上が、そう言うなら」
「そうなんだろうな」
諦めたように頷けば、ザラもまた疲れたように同意する。
だが、それでエメインの喉元の長槍が引くわけもなく。
「だから、大丈夫だ」
「!」
そう言いながら、ケーフィが麗姿種に詰め寄っていた。二人の顔が、鼻先が触れそうな程に近付く。
麗姿種が油断したわけではない。だがその刹那の沈思に、ケーフィは長槍の矛先をくいっと空に向けてさせていた。
「きさ――!」
「この武器も、正しい相手に向ければいい」
激昂しかけた麗姿種に、少年よろしく破顔する。その笑顔が
「……貴様は」
麗姿種が、初めて僅かに逡巡を見せながら言葉を探す。
が、ケーフィがその沈黙や行間を読めるはずもなく。
「さぁ、これで問題は解決したな? とっとと魔獣討伐に行こう!」
「「「…………」」」
わっくわっくと言わんばかりに、ケーフィが目を爛々として肩を弾ませる。
それを三者三様の眼差しで見つめていた時だった。
キュゥキュゥゥゥー……!
不意に獣の鳴き声らしき音が、風を渡ってここまで届いた。
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