第3話 千里の行も足下より始ま、らない
乗組員たちが調査班の用品などを積み終えると、カラック船カロ・ナウス号とその護衛艦三隻は揺れも少なく動き出した。
カロ・ナウス号の最大搭載人員は五十人ほどだが、調査班は十九人で、学者となると六人しかいない。それぞれ歴史学者、神学者、数学者、地質学者、植物学者、生物学者だ。
毎年調査に行ってはいるが、特に変化や異常は見付けられないから、経験を積むという意味合いの方が強いらしい。
それに、もし何らかの異常が発生した場合には、最低でも一個中隊は用意するくらいでないと意味がないのだとも言われた。その場合、そもそも島に近寄ることすらできないはずだと。
(それは、良いんだか悪いんだか)
残りは護衛として陸軍兵士が四人、武官神法士が六人、文官神法士が三人だ。
軍人は基本的に島での学者の身辺護衛、武官神法士は船と調査班全体の警護に当たる。そして文官神法士は、大鎌に変化があった場合に一時的にでも元に戻すか、封鎖できる方策を探す役目があるという。
(その内の一人が僕って)
どう考えても不安だった。そんな役目があるとは初耳だから、そのためにどんな技術や知識が必要かも確認してこなかった。何の予備知識もなしに太古の封印と向き合うなど、無謀の一言でも済まされない。
実際、乗船後にはまず船尾楼の与えられた部屋に向かい他の二人に挨拶をしたが、徽章を一瞥してすぐ存在を無視された。
兵士の階級章と同様、神法士も徽章で資格等級が分かる。だがエメインの場合、その顔を見れば誰だって察する。
(今から勉強……しても、無意味だよな)
片道でも二週間近い船旅になると言われ、荷物は最低限にするようにと家族からも言われていた。勉強道具も持っていきたかったが、嵩張るので諦めた。
残りは、全員海軍兵士だ。船を動かすための人員というのは勿論だが、海上での安全を始め、調査班の食事や生活など、細々したことの補助も彼らが担う。その分、付き人などの余計な人員は減らせとのことだ。
(中央海の外って、どうなってるんだろ)
人類の祖である最初の十二人は、神々が争って流した血の十二滴から生まれたと云われている。その血には六つの長所と六つの短所があり、それが掛け合わされて始まったのが、古代六種族だ。
この古代六種族は元々神々と共に楽園の島にいたが、神々の怒りを買って海と島が掻き混ぜられて以降、六つの島にそれぞれ追放された。以来、島同士、種族間の交流は殆ど行われていない。
このため近海で漁や貿易をすることはあっても、中央海を出ていくということは滅多にない。そしてエメインも例に漏れず、人間種が暮らす島――現在のアイルティア大陸から出たことは一度もなかった。
(極海はまだ生きてるって本当かな?)
掻き混ぜられて死んでしまった中央海と違い、極海にはまだ原初の神力が残っていて、船も海獣も飲み込んでしまうという。
それを退けるための法術は船に張り巡らされているため、航海にそこまでの危険はないというが。
(危険なのは、僕の方かも)
バンダナ男への風当たりの強さは本人の態度の悪さのせいだが、調査班内で肩身が狭いのはエメインも同じだ。
封鎌の地に着くまで、果たして無事でいられるかどうか。
(それなのに、なんで僕なんかに……)
甲板や船尾楼は、乗組員や調査班の出入りで邪魔になる。エメインは、積み込みが終わって静かになった奥の船倉の前まで逃げ込んだ。
頭の中にあるのは、二日前に突然言い渡された上司の命令と、バンダナ男――ザラ・オルファノスの怖い顔。
『調査班の護衛として、バンダナを巻いた下級兵士が参加する。名はザラ・オルファノス。最終日、その者が船に乗らないようにしろ』
最初は、意味が分からなかった。乗らずにどうしろというのか。封鎌の地は無人島で、定期船すらない。
そう尋ねると、上司は嫌そうな顔をしながらこう答えた。
『その者は国家的反逆者と密かに繋がっている。だが証拠がない。そのため、島に留め置くことになった』
『で、でも、そんなことをしたら、死んじゃうんじゃ……』
『これは国のためだ』
国、と言われてしまえば、エメインはもう何も言えなかった。
監視も逮捕も出来ない犯罪者を、国家の安全保障のために安全な孤島に幽閉する。
必要なことなのかもしれない。法律や正攻法だけでは、対処できない問題もあるだろう。
それでも、それに自分が加担するということは別問題だ。ともすれば死んでしまうかもしれないようなことに、忠義心だけで請け負うことなどできない。
けれど。
『君を推薦したのは、このためだ。これを断ったり、他言しようものならどうなるか……そこまで分からない程愚かではないよな?』
最後にそう恫喝されれば、エメインに頷く以外の何ができたというだろう。
家に帰っても、勿論誰にも相談できなかった。
(どうしよう……)
今さら膝を抱えて悩んでも手遅れだとは分かっている。それでも、やはりまだ踏ん切りはつかなかった。
『何をずっとうんうん唸ってんだ?』
独り悩んでいた時、ぽんと頭を叩いて話を聞き出してくれた次兄の声が、酷く恋しい。
『どうせ、例の上司に無理やり押し付けられたんだろう』
何も言わなくてもいつも分かっている長兄の言葉が、今こそ欲しい。
『雑用を軽んじてはならない』
仕事が上手くいかず、上司や同僚にも嫌われて雑用ばかりしていると話した時には、父はそう言った。
国のために毎日粉骨砕身している父だったら、上司に理不尽な命令を下された時、どうするだろうか。
(それでもやっぱり、受けるのかな?)
長兄は、あの一本気で堅物な父でも、宮廷では上手くいかず、毎日試行錯誤していると言っていた。
『正しいことよりも、楽なことの方が受け入れられてしまうということはある』
基本的に回りくどい説明の多い長兄の言葉は、分かりにくいことの方が多い。それでも、長兄なりに励ましてくれたのだとは分かる。
(でも、僕なんか……)
できるはずがないと、更に膝を深く抱え込んだ時だった。
「邪魔だ」
「っ?」
言葉とほぼ同時に、お尻を蹴られた。ごろんと、見事に転がる。ごちっと頭を打ってから、エメインは慌てて上を見た。
「げっ」
額に汚いバンダナを巻いた若い男、ザラ・オルファノスが、そこにいた。陽の届かない薄暗い船倉で、目付の悪い金色の瞳だけが鮮明だ。
(ま、まさか、もうバレて……っ?)
殺される前に消そうという魂胆なのかと、エメインは慌てて後ずさった。咄嗟に船倉前の廊下を見渡すが、まだまだ人は来そうにない。その視界を塞ぐように、ザラ・オルファノスが距離を詰める。
(ど、どうしよう。み、神法で、でもこんな所で……ッ)
エメインは神法の実践は苦手だ。力の調整も下手だから、船に損害を出すかもしれない。だがいざとなれば、と口の中で神法を唱えようとした時、
「だから、そこ退けって」
「……はっ?」
今度は指を突き付けられた。否、違う。
「……扉?」
頭上を通り越す指の先を追って、エメインは自分が船倉の扉の前に座っていることを思い出した。
「え、でもここ、倉庫だけど……」
「部屋が足りないからって」
「え……と……」
それは多分嘘を教えて部屋を取り上げられただけなのでは。
とは、喉元まで出かかったが口には出来なかった。もしそれを指摘して、先程の筋骨男辺りに睨まれては堪らない。
「……どうぞ」
触らぬ神に祟りなし。エメインは素直に扉の前を譲った。
そして本当に、ザラ・オルファノスは扉を開けて中に入っていった。
「マジか……」
扉の隙間からちらっと見えただけだが、中は木箱と麻袋が扉のすぐ近くまで積み上げられていた。
「あれのどこで寝るんだ?」
だがエメインの中に湧いた疑問は、それだけでなかった。
「でも、なんかどっかで見たことがある気がするなぁ……」
改めて間近で顔を見て、そう思った。
蛇のような金の瞳と、絶対に適当に巻いたバンダナから零れる、紫がかった黒髪。何より、下っ端のくせに無愛想であの噛みつくような態度、と考えて、不意に思い出した。
「あっ。もしかして、あの時の……?」
エメインの陸軍兵士との接点と言えば、配属前の軍事研修くらいしかない。
あの地獄のような三か月の間、エメインたち新人神法士は、最も実戦経験が積めるという理由で、国境線を守る最前線に放り込まれた。
勿論命の危険はないようにそれぞれ精鋭部隊に配属されたし、単身で標的に突っ込むことなどは強制されなかった。
(完全なトラウマにはなったけど)
エメインのいた分隊ではないが、小隊で作戦行動をしていた時に、最下級の癖に先輩を差し置いて魔獣に突撃し、傷だらけになるのも構わず戦っていたバンダナ男がいた。あの時も、確か陰では独断専行とか手柄獲りなどと言われていた。
「つまり、あんな狂犬みたいな奴を、僕一人で……?」
魔獣相手に怯むどころか突撃するような兵士を島に置き去りにして、抵抗するようなら船から追い出す。
明らかに難易度が跳ね上がった。
「無理ぃ……」
エメインは、また振り出しに戻って頭を抱える羽目になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます