第4話 年年歳歳ゴミ相似たり

 二週間近い航海を経て、カロ・ナウス号と護衛艦の四隻は、ついに封鎌の地スフラギタがある曇りの島ネフェロディス島に着船した。


(まさか、ゴミに埋もれてるなんて予想外だったけど)


 学者たちの顔を見てみれば、どうやら情報としては伝えられていたらしい。苦笑と共に、地形がとか、海流がなどと話し合っている。

 その間に陸軍兵士が先行して安全を確認し、戻ってくると、改めて予定している調査日程の再確認が行われた。

 島と封鎌の地の調査は、予備日を含めて五日。島はさほど大きくなく、半日ほどで踏破できる。だが効率化を図るため、調査班は三班に分けられる。

 第一班は、封鎌の地と呼ばれる中心地と大鎌の確認を。第二班は、地質調査及び生態調査を。第三班は、結界の状態の確認を行う。

 エメインとザラ・オルファノスは、当然のように第二班の振り分けとなった。


(明らかな消去法……いいけど)


 結界の修繕担当に回されても、何も出来ないのは目に見えている。劣等感を無駄に感じたくないというのもあるが、こんな貴重な場所で挽回できない失敗はできない。

 それに目標と班が一緒なら、上司の命令も遂行しやすくなるだろう。


(全然やりたくないけど……)


「ここまでで、何か質問は」


 調査班を代表して進行するのは、学者たちの中で最年長の神学者だ。五十代前半ほどの見た目だが、ふくよかな体型と柔和な笑顔のお陰で、与える緊張感は少ない。

 神学者は、調査員たちを一人ひとり見回した。形式的な問いではあったが、例年のことであり、誰も手は上げなかった。

 一人を除いては。


「ゴミは全部燃やせばいいですか」


 ザラ・オルファノスだ。至って真面目な顔をしている。実際、エメインもあぁと思った。

 だが、場には沈黙が満ちた。

 学者たちはそれぞれに苦笑や呆れを浮かべ、軍人たちは眉間に皺を寄せて不快感を隠さない。


(え、なんで?)


 もう少しで「そうですね」と言いそうになったエメインは、内心ドキドキしながら神学者を見た。


「それがねぇ。この島は唯一神代から残る島だから、生態系などはなるべく現状のまま保存することが参加国間で規定されてるんだよね。だから、ゴミにしか見えないものでも無闇に動かしたり処分したりすることは出来ないんだよ。勿論、神法なども最低限にと言われている」

「……了解しました」


 やんわりと教えてくれた神学者に、ザラ・オルファノスが表情を変えないまま引き下がる。だがその横では、同じ陸軍兵士たちが小声で何事かを囁き合っていた。

 どうやら、あいつには監視が必要とか、そういう内容のようだ。


(余計にやりにくくなったじゃないか、僕が!)


 その後、事前確認と班分けは無事終了し、調査班員全員に真鍮製の通行証が手渡された。表には大鎌の印章と作成年月日が、裏には同盟参加国の名が全て刻印されている。


「これがあれば、第二結界デウテロンまで自由に行き来できる。これがなければ島からも出られなくなるので、厳重に携行するように」


 島には、邪悪な者の出入りを制限すると同時に関係者以外の立ち入りを禁止する目的で、三重に結界が張られている。

 島全体を覆うものは第三結界ヒュスタトンと呼ばれ、通行証を持たない人や魔力のある生物の出入りを阻む。

 その内側に張られたものは第二結界と呼ばれ、魔獣など特に魔力の高い生き物全般の出入りを阻む。

 最も内側にあるのが第一結界プロートンと呼ばれ、封鎌の地の下から出てきた者の一切の接触を拒む。ちなみにこの第一結界だけは神代の時代に作られたもので、今の人間種の技術力では解析や再構築などは一切出来ないとされている。


(この通行証自体がほうになってるんだ)


 専門店ではまずお目にかかれない重厚で年季の入った逸品に、エメインは素直に感心した。

 神法は、基本的には神識典ヴィヴロスにある神への祈りの言葉――しんごんを用いて使用する。

 神言は長年研究が続けられ、近年では力を引き出すのに最も効率的に組み直された、丁寧で簡潔な祈りの言葉が、協会編纂により基礎神言集に纏められている。

 その神言を、道具に刻むことでより汎用的に使用できるようにしたものが法具だ。

 神法士が発動させる力が瞬発的、単発的なのに対し、道具に神法の効果を付与することができる法具は、長期的、持続的な効果を求める場合に適している。

 法術紙に書き込めば、法術符として結界や護符などに。道具に彫り込めば、その道具が持つ能力を増幅させる効果もある。


(この仕事がダメだったら、ちょうごんでも学ぼうかな)


 道具に神言を刻み込めるのは、神法の素養を持つ彫言師だけだ。学生の頃であれば定番の諧謔ネタだったが、今や完全に冗談ではなくなってきている。五日後が最早恐怖である。


(そうならないためにも、頑張れ僕!)


 再就職活動を回避するためにも、エメインは気合を入れて下船した。

 船は係留されているが、波が荒い分、桟橋にかけた渡り板も激しく揺れた。波は桟橋の脚に当って、ざざん、ざざん、と絶え間なく砕けては、波間に漂うゴミを引き寄せ続ける。

 だが乗船中の揺れに比べれば、頼りなくても桟橋の安定はエメインに久しぶりの安心をもたらした。

 が、それも一時だった。


「ぅっ……」


 真っ先に悪臭に負けそうになった。アイルティア大陸よりも一年中気温が高いそうで、その分じめじめとした湿気にもわもわと生ゴミが腐敗したような臭いが充満しているのだ。

 霞みがかって薄暗い景色の中、潮風と雨雲が運ぶ湿気に混じって、一歩進むだけで強烈な腐敗臭が臭体中に纏わりつくように立ち上る。


(は、鼻が曲がりそう……ッ)


 船の上からは流木や船の残骸などばかりが目についたが、波に洗われて白っぽくなった桟橋を慎重に進めば、その間にちらほらと魚の死骸などが混じっているのが見えた。


「ふぅむ。やっぱり、潮流のせいかな」

「人工的なものもちらほら見られるし、やはり中央海からも流れてきてるようですね」


 外套の裾で鼻と口を覆いながらも、学者たちは興味深そうに周囲を観察している。海域の調査は主に海軍兵士たちが行うらしいが、その原因をいまだ発生させ続けているという点で、やはり興味が湧くらしい。


「海に落ちたものは、最終的には全部この島に集まってしまうようですね」

「ポイ捨て良くないよねぇ」

「やはり地中に灰界スタフティがあるせいでしょうか?」

「次は海洋学者からもお願いしますか?」

灰界の扉トゥリパの向こうに行ければ、それも確認できるんでしょうがねぇ」

「大鎌が外れた時が、その機会なんだろうけどねぇ」


 神学者の男が、にこにこと物騒なことを言った。


(そんなことになったら世界が滅んでるって)


 かつて神々によって閉じ込められたのは、古代六種族の中でも力の強さと倫理の悪を掛け合わせて生まれた強人種スクリロスの中でも、神にひれ伏すことを良しとしなかった邪悪な者たちだ。

 彼らは灰界の悪者まもの――灰魔アフティと蔑まれ、灰魔が三人も外に出れば、弱い種族など一夜で滅ぶと言われるほどだ。

 その扉が開けば、また世界は混迷の時代に戻ってしまう。そんな生きるのさえも困難な時代になってまでも、この学者たちは研究したいとでも言うのだろうか。


(しそうだな……)


 今も桟橋から島に一歩上陸しただけで、子供のように目を輝かせて土の臭いを嗅いだり雑草を眺めまわしたりしている。


(歩くだけなら、半日……)


 前途は多難だった。





 案の定、班編成は済んでいるはずなのに三班に分かれて歩き出すまでに、三十分近くかかった。


(これが、五日も……)


 第二班は地質調査が主ということで、地質学者、植物学者、生物学者の三人がいる。地質学者がこの班では最年長で、四十代後半くらいだろうか。護衛には武官神法士、陸軍兵士がそれぞれ二人ずつ、前後について警戒に当たっている。

 移動は、沿岸部から中心部へと周回するのを基本とした。しかしその沿岸部に、とにかくゴミが酷かった。

 どうやら積み重なった漂着物が沿岸部で山を作り、嵐の度に隙間に泥と腐敗物と海藻を詰め込むせいらしい。このためゴミはすり鉢状に溜まる一方で、中心部の方がまだ被害は少ないと言われたが、希望は薄い。

 瘴気は中心部の方が濃いらしいが、沿岸部は海側からの飛沫と湿気と、生ゴミが発する臭気とが混ざって、視界が薄く灰色がかかってさえ見える。

 ちなみにザラ・オルファノスは先頭だ。腰まであるような雑草を避けたり、粘性の何かが付着したゴミをどかして足元を確認しながら、黙々と進む。既に顔と手が真っ黒だ。


(よく平気でできるな)


 当のエメインはというと、何か問題が起きるまで文官神法士の出番はないということで、学者たちとともに中央にいた。

 そして、目の前の地質学者が地面を舐めるように見ているその背中を、ただ見ていた。


「検体の上限が五十本だから……基本は等間隔に採取して……単体と複合の割合が……」


 研究職のわりにがっしりした肩幅を揺らしながら、早速ぶつぶつと何事か呟いている。怖い。

 右を向けば、こちらは若い植物学者が腐りかけの木板の隙間を縫うようにして這う雑草を丹念に観察していた。


「魔草だ……こっちも魔化してる……これもしかしてツメクサかな? あっ、こっちはチドメグサ? 雑草もまんべんなく魔草になってる。流石だなぁ……!」


 魔草といえば、魔獣の体液や瘴気などに触れ有毒化したものの総称だ。触れるだけでかぶれるものも多いと聞くのに、平気でちょんちょんしながらぐふふと喜んでいる。怖い。

 左を見れば、生物学者までが砕けた魚の骨の傍に這いつくばっていた。


「あっ、これ! こっちも! あるある! 魔獣の足跡だ! 魔獣のみによる生態系の発展の可能性! 教授せんせいの論文持ってきて良かったぁ!」


 踏まれて割れたと思しき廃材をありがたげに掲げ持ち、今にも頬刷りしそうな勢いだ。怖い。


(何なんだこれ……)


 まだ十歩も進んでいない。その間、エメインはただ立ち尽くしていた。

 前後の武官たちは緊張感を持って周囲を警戒しているが、それでもぼそりと呟く声は聞こえてしまった。


「初日は第二結界にも辿り着けないっていうのは、こういうことか」


 先任からの申し送りに、注意事項でもあったらしい。

 こうして、五日間の調査は開始した。


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