第2話 躓く他人も縁の端

 目の前の波止場に、封鎌の地スフラギタへ行くための遠洋航海用のカラック船が何隻も停泊していた。


(おっきいなぁ)


 上司からの突然の命令を受けて、一月後。

 エメインは、民家ほどもあるような三本マストの帆船を見上げ、子供のような感想を零した。どうにも現実感がない。


(まぁ、世界の果てとも言うし、これでも小さいくらいなのかも)


 この世界には中央海を中心に六つの大陸が点在しているが、それを抜けると今度は極海に出る。極海に唯一ある島が、封鎌の地だ。

 その地への視察船のことも、今年がエングレンデル帝国の番であることも、エメインは知っていた。何せここ数か月の雑務といえば、半分以上がこれに関連していたから。


(あれ、絵図面じゃないのかな?)


 頬には潮風がびゅうびゅう当たるし、何なら波止場から跳ねた飛沫も当たるくらいだが、エメインはそうであってくれと願った。


(今ちょっとうたた寝して、次に目が覚めたら庶務課の自分の机の前とか、ならないかな)


 ひたすら現実逃避を図る。

 そのせいか、何故か視察船に乗ることを報告した日の家族の言葉が走馬灯のように蘇った。



 母エフシア、四十五歳。ラリス伯爵夫人。趣味、お茶に独自のブレンドを加えて子供に試飲させること。


『まぁ。封鎌の地に行くの? あそこってどんなお茶が有名だったかしら? 特産物と一緒に買ってきてくれる?』


 次兄ケーフィ、二十五歳。帝国軍本隊弓法科北方面隊国境警備班第一哨戒係所属、二級神法士。趣味、前線で倒した魔獣に食用可能な素体がないか探すこと。


『マジか! 俺も一度誘われたことあるけどなぁ。二週間も船で何とも戦わないって聞いたから辞めたんだよな。頑張れ!』


 長兄アステリ、二十七歳。王室府神法室星暦課在籍、二級神法士。趣味、母が適当に動かしたものを毎夜定位置に戻すこと。


『……お前、自分で決めたのか? まぁどちらにしろ、貴重な経験であることに変わりはない。国と大陸の平和のために頑張るんだぞ』


 父ラリス伯爵ストルゲ、四十九歳。帝国軍本隊弓法科中央部部隊長。特一級神法士。趣味、なし。


『……自分で決めたのなら、迷いなく行え』



(……あの日は虚しかったなぁ)


 誰にも引き留められず、行かない理由もなくなったのだから、ある意味良いことなのかもしれないが、全く嬉しくなかった。


(良くない癖だって、分かってるけど)


 そこで、よしやってみよう、と思えないのが、エメインだった。いつもどこかにやらない理由を探してしまう。

 どんなに状況を整えても、言葉で言い聞かせても、やはり怖いのだ。新しいことも、知らないことも。それによって起こる変化も。


(あ、ダメだ。逃避できない……)


 家族の笑顔により、完全に現実に引き戻されてしまった。

 ううっと首を振れば、その横を続々と調査班の面々が渡り板に向かって歩き始めていた。先程乗船前の顔合わせが終わった所で、特に学者たちなどは年に似合わず顔を輝かせて囁き合っている。


「楽しみですなぁ」

「五年に一度のことですからな」

「儂は実はこれが二度目で」

「何千年も前の神代と変わらぬ姿をこれから見られると思うと、やはり興奮しますな」

「大鎌には触れるのでしょうか?」

第一結界プロートンがありますからな。触れはしませんが、結界だけでも一見の価値はありますぞ」


 全く共感できない。楽しそうで何よりと言いたいところだが、その後に続く護衛たちの幾分厳しい表情に、エメインの胃はキリキリと重くなった。


(あぁっ、乗りたくないっ。でも乗らなきゃ……!)


 最後の悪足掻きをしている間に、エメインはすっかり最後尾になっていた。

 屋敷の馬車は既に引き返しているし、家族には快く送り出されている。そもそも、今さら無理でしたと帰れば、エメインは二度と宮廷には上がれないだろう。一生上司に見つからないようにびくびくと生きる羽目になる。


(それは……多分、めっちゃ辛い)


 周りや家族にも申し訳ないが、何より自分が耐えられないと思う。

 仕方ないと、エメインも諦めて調査班の後に続こうとした時、



「――お前、何でここにいるんだよ」



「ッ」


 野太い批難の声がして、エメインは瞬時にその場で硬直した。それから慌てて謝罪しながら背後を振り向いた。


「すっ、すいませ……あれ?」


 が、背後にいた二人は、どちらもエメインを見てはいなかった。


「これが何の船なのか、本当に分かってるんだろうな」


 三十代前半らしき筋骨逞しい男が、頭に茶色のバンダナを巻いた二十歳前後らしき男に詰め寄る。どちらも帝国陸軍の制服を着ているから、同僚なのかもしれない。と思ったのは一瞬だった。


「乗れって言われたんで」

(態度わるっ)


 軍では年功序列が基本だというのに、随分横柄な態度だ。筋骨男の顔が、ぴくりと歪む。


「そこは断るのが普通だろ」

「上官には逆らうなって言われてるんで」

「だったら今は俺に従え。この船では俺が上官だ」

「まだ船乗ってないっすけど」

「……その減らず口を、まずは利けないようにしてやらないといけないようだな」


 会話は無意味とばかりに、筋骨男が拳を鳴らす。だがバンダナ男の顔は相変わらずぶっきらぼうで、すぐ近くでそれを目撃する羽目になったエメインの方こそ震えあがった。


(うそっ、こんな所で乱闘騒ぎ!? やめてくれよっ)


 蒼褪めて後ずさる、その横を、渡り板から戻ってきた別の軍人が通り抜けた。


「おいやめろ」

「止めるな。最初が肝心だろ」


 躊躇なく肩を掴んだ同僚に構わず、筋骨男が破落戸ゴロツキのような面相で拳を上げる。その拳が振り下ろされる前に、同僚が続けて言った。


「そいつはいいんだよ」

「はぁ? 何で」

「上からの命令だ」

「…………」


 同僚の一言に、筋骨男が一瞬だけギッと両目を吊り上げた。だがそれだけで、次にはゆっくりと拳を下ろすと、バンダナ男の横を無言で通り抜けた。

 その怒りの収め方は流石と思ったが、エメインにはバンダナ男の方に俄然興味が向いた。


(同じ、なのかな)


 帝国軍において、軍紀と上官命令は絶対だ。上官が彼を調査班に加えたというのなら、覆すことはできない。

 彼もまた、命令に逆らえずこの場にいるのかもしれない。


(そりゃ、そうだよな)


 同類なかまかもしれないと思うと、途端に親しみが湧いた。と同時に、また一月前のあの日の会話が蘇る。


『うちには勿体ないくらいの新人がいるから是非経験させたいと言ったら、選考に通ってね。さすがラリス伯爵殿のご子息だ!』


 封鎌の地の調査班に決まったと言われたあの日、上司は実ににこやかにそう続けた。


『基本は学者たちと護衛の武官神法士が中心なんだが、文官神法士も補佐として同行するらしくてね』


 絶対無理だ、とエメインは即座に思った。だが口を挟む余地は一つもなかった。


『きっと良い経験になるよ。この機を逃したら、次の視察船は五年以上先だしね』

『で、でも僕はまだ一年目』

『例年異常はなく、島を調査しながら一周するだけで戻ってくるという話だし、そう気負う必要はない』


 意見を言い切る前に、説得された。そして最後には、こう言って肩を叩かれた。


『君は実に幸運だよ。この機会に、もっと広い世界に触れると良い。いやぁ、俺が上司で良かったねぇ』


 それは笑顔だったし、言葉は親切だった。けれど圧倒的に、怖かった。

 エメインのためだという風に勧めているけれど、断れば絶対に怒られる。それは分かっているけれど、視察船の調査班などという大それた仕事を言われるまま受けるのも怖かった。

 ここは流されてはいけない時だと、エメインは自分を奮い立たせた。


『あ、あの、では、一度家族と相談してから……』


 それは、エメインにとって精一杯の強勢だった。だがそれは、言下に叩き潰された。


『そんな時間はないよ! これはね、数少ない枠に無理やり入れてもらったようなものなんだよ。期限も迫っているし、今すぐ決断しなくちゃ他の人に奪われるよ』

『で、でも……』


 そんなことを言われても、そもそも頼んだわけでもないのにと、エメインは思ってしまった。


『君のそういうところだよ』


 それを見透かされたように、溜息が追いかけてきた。


『優柔不断で、意思が弱く、自分で速断できない。そんなんじゃあ、この先宮廷でなんてやっていけないよ』


 エメインはもう、はいと言うしかできなかった。何もかもが、正鵠を射ていたから。


(あんなのに、逆らえるかよ)


 他の者なら、嫌なら断ればいいと簡単に言うかもしれない。だが、エメインにはそれが出来ない。だからここにいるのだ。

 エメインは、思い出して再び気落ちしそうだったのを無理やり切り替えるため、同じく渡り板へと歩き始めたバンダナ男に歩み寄った。

 気持ちは分かる。お互い頑張って乗り切ろう。

 そんな想いで、声をかけたつもりだった。


「な、なあ」


 小走りで隣に並び、軽く手を上げる。


「触るな!」


 その手を、ぱしりと弾かれた。三白眼気味の金色の瞳に、予想外にきつく睨まれる。


「は……?」


 だがエメインは、咄嗟のことで意図がよく分からなかった。エメインは少し肩に手を乗せるつもりでしかなかった。まさか、それさえも嫌だということだろうか。

 あるいはエメインのことも、先程の筋骨男のように文句をつけてきたと思ったのかもしれない。


「いや、僕はただ、よろしくって言おうと思って……」


 数少ない同年代の仲間なれば、エメインは困惑しながらも愛想笑いを浮かべて説明した。できるなら、友人になれたらとも思ったのだが。


「…………ふん」


 返されたのは、興味の失せた一瞥だけだった。振り払った手でバンダナを直すと、また歩き出す。


「……ガラわる」


 その背に、エメインは小さく毒づいた。まさか、バンダナに触られると思ってのあの態度だったのだろうか。


(あんな一度も洗ったことなさそうなバンダナなんか、誰が触るか)


 どちらにしろ、やはり仲良くはなれそうにない。

 だが一方で、確信したこともある。


(やっぱり、あいつで間違いないんだ)


 それは二日前、再び上司に内密に呼び出されてからずっと、何かの間違いであってくれと願い続けていたこと。


(ぼくが殺さなきゃならない兵士というのは)


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