第七話
「お時間とらせてしまい申し訳ありません」
閉店間際、一旦店を出て車へと戻った二人だったが、閉店後にその他の作業が終わるのを待って再び店内へと戻った。
ただし今度は裏口からの入店で、バックヤードでの話となるという。取材を受けてもらえるのならと、司はそれを喜んで了承した。
バックヤードには既に先程の喜多川と、他にキッチンスタッフだという男性二人がいた。一人は喜多川と差程年齢に変わりがないように見え、もう一人はそれより少し年上といったところだろうか。いずれにせよ三人とも若く、飲食店で働いているだけあって清潔感のある爽やかそうな身なりをしている。
「私は実話怪談を集めています、実話怪談師の司蒼夜と申します。こっちは友人の三輝」
司が名刺を出して二人に渡し、三輝は軽めに頭を下げた。
「俺は赤井っていいます。キッチンのチーフです」
「俺は千家です。バイトっす」
それぞれの自己紹介が終わると、司は早速と取材手帳を取り出し本筋の話を始めた。
「三人はもうここは長いんですか?」
すると喜多川と千家は視線を交わしてから頷いた。
「私は高校の時からなので三年目です。千家君も同じ位?」
「俺の方が少し後っすね。でもそんなに変わんないかな」
どうやら二人とも高校時代からのバイトのようだ。聞けば二人とも今は大学生で、授業次第で割のいい深夜勤に入っているという。
一方の赤井は、見るからに二人よりも年上のようだ。
「赤井さんは…チーフという事ですが、社員の方ですか?」
尋ねると、首を振って時計をチラリと見た。
「いや、俺はフリーター。割がいいから基本的に深夜勤。歴が長いし、どこの時間にも入れるからってチーフやってるだけです」
給料もいいんでとボソッと付け足し、不意に視線をホールの方へと向ける。
先程からこの赤井だけがどうにも気がそぞろだ。
気になって「どうかしましたか?」と司が尋ねると、赤井は「え」やら「あの」やら、なんとも煮え切らない反応を見せた。
「あ、もしかしたら…」
「うん」
話を切り出したのは喜多川だった。
喜多川も時計を確認すると、途端に表情が曇る。
「大丈夫。何かあっても今日はこの人たちもいるし」
「うん…」
あからさまに不安そうな表情を見せた喜多川は、そのままグッと拳を握った。
その様子に司は目尻を下げて優しい表情を浮かべながら喜多川を見遣る。
「恐らく、今夜は怖い事は起こらないと思いますよ」
司の根拠のない言葉に、店の面々が不思議そうな顔で首を傾げた。一方の三輝といえば、残念そうな顔で店の方に視線を向けている。そんな三輝を示して、司は言葉を続けた。
「この人、オカルト系が大好きなんですけど、遭遇した事がないんですよ。どんな渦中にいたとしても、三輝が来ると途端におさまる」
そう説明すると、三輝がへへっと笑った。
「いや、俺としてはね、そういうのにあってみたいんだよ。でもね、『今ヤバいから来て』って、霊現象真っ只中の所に呼ばれて行ってみても、俺が行くと途端に止んじゃう」
三輝がそう言うと、喜多川の表情が明るくなった。明らかに安堵を浮かべている。
「だから安心していいと思います」
司がそう切り出し、再び取材の体勢に入った。それに倣うように皆が気を取り直し、深呼吸をしたりドリンクを飲んだ。
「大体この位の時間なんですか?」
尋ねると、赤井が頷いた。
「何時何分ってわけではないんですけど、声が聞こえるのは店を閉めてからの閉店作業中だったり、こうやってまったりしてる時だったり…」
「なるほど」
どうやら時間の決まりは無いようだ。となると、その女性が亡くなった時ではないという事らしい。
「その女性に心当たりは?」
「ありません」
赤井の返事を聞いてから他の二人を見るも、二人とも首を横に振る。赤井が一番の古株だと言うのだから無理もない。
「あの…」
喜多川が遠慮しがちに司に話しかけてきた。
「その女の人の声、私が聞いてからみんなも話するようになったんです」
確実な証言が得られると、司は身を乗り出して「ほう」と少し鼻息が荒くなった。
「そもそも、喜多川さんがその声を聞いて恐がったから、お祓いしようって事になったんですよ」
ね?と千家が喜多川に話を振ると、彼女は慌ただしく何度も頷いた。
「そう!そうなんです!」
興奮気味に頷くと、自分が遭遇した体験を話して聞かせた。それは凡そ、司が三輝から聞いていた通りで、閉店後の四番テーブルに女がいて声をかけてくるというものだった
「確かお祓いもしたんですよね?」
「はい、店長が頼んでくれて。でも、無駄だったみたいで…」
お祓いを済ませた今でも、時々その女の声は聞こえるとの事だった。
「少し店内を見せてもらっても?」
「構いません」
答えたのは赤井だった。
先程はあんなに食い気味だった喜多川は少し尻込みした様子で、オドオドと店内の方に視線を向けた。
「喜多川さんはここにいて。俺が案内する」
そう言って赤井が立ち上がると、次いで司も立った。それから三輝にそっと目配せをする。三輝はそれに気付いたようで、小さく頷くと喜多川に向かって声をかけた。
「俺があっちに行ったら、女の人の霊いなくなっちゃうからここにいるよ。むしろ俺がここにいれば何も起きないだろうから、喜多川さんもここにいようよ」
その申し出に喜多川は一度赤井を見た。いいですかと伺いを立てているようで、赤井が無言で頷くと、喜多川は安堵で胸をなでおろした。
「じゃあ行きましょう。千家は…」
「あ、俺も行っていいっすか?」
千家も立ち上がったので、男性スタッフと司で連れ立ってフロアへと向かった。
「赤井さんや千家さんも遭遇した事が?」
尋ねると、まず千家が首を振った。
「喜多川さんの叫び声とかは聞いた事あるんですけど、俺自身が見たり聞いたりした事はないっすね」
では赤井はと彼に視線を向けると、赤井は少し考え込むように口元に手をあてた。それから足も止まり、一度照明のスイッチに伸びかけた手も止めた。
「どうかしたんですか?」
その行動に、先にフロアに進みかけてた千家も足を止める。
「うん、ちょっとね。司さん、ここから四番見えますか?」
そう言って小声で司に話しかけ、四番テーブルの方向を指さした。
「あの端っこですよね?見えます」
司も小声で返すと、千家は何事か神妙な空気を感じ取って壁際へと身を寄せた。それから四番テーブル方向に視線を向けると、「あ!」と声をあげそうになり慌てて両手で口を塞いだ。
「千家も見える?」
赤井の問いに千家はコクコクと無言で頷いて、まだわからないといった様子の司の背中を押して前に進ませた。
「司さんもきっと見えます。目を凝らして見てください。あのテーブルの所…」
「あ……」
示された場所を見ると、非常灯だけが灯る薄暗いホール内、四番テーブルの所に白い影がぼぉっと浮いていた。
「見えるでしょ?あれならもう霊感ない人でも見えるくらいにはなってます」
尚も小声で続けた赤井に、司は少しだけ目を鋭く光らせた。
「君は霊感あるの?」
「少し。でも元々はっきり見える訳じゃないんです。なんか嫌な感じがする場所をよく見ると、黒い影があったりとかそんな程度です。だから喜多川さんが騒がない時でも、あそこにあの女の人がいるの、知ってます。最近は声とかしなくてもあそこに…」
小声だが、千家にはとって内容がショッキングだったようで、目を丸くして驚きを隠せない様子だ。
「あの女性、毎晩?」
「俺が見ている限りは」
頷きながら言った赤井。黙っていた千家が「そういえば」とやはり小声を発した。
「俺、ねーちゃんがいるんですけど、やっぱここでバイトしてたことあって」
それからまたホール内に視線を向けると、白い影がユラリと揺らめいた。
「戻りましょう」
現場でその手の話をするとナニかが寄ってくると言う。事を荒立てたくはない。
司は一旦バックへと戻ってから話を続けようと、二人を引き戻した。
「で、これが今度のコンクールなんだけどー」
「え、行きたいです!」
戻ると、三輝と喜多川が明るく談笑していた。声のトーンも高く、笑顔が浮かんでいた喜多川を見る限り、もう恐怖心はないように感じる。やはり三輝を残して正解だった。三輝のもつ『陽のエネルギー』が部屋の空気を明るくした気がする。
そこに三人が戻ると、喜多川は明るい笑顔で「おかえりー」と出迎えてくれた。
「もう良いんですか?」
「うん、現場は見せてもらいました。ありがとう」
司は今見た状況を取材手帳に書き込んでから、さて、と三輝に目配せを送る。
「じゃあ俺たちはそろそろ…あ!その前に!」
帰り支度を進める司をよそに、三輝は喜多川に数枚のチケットのを渡した。
「さっき話したコンクールのチケット。怖い事ばっかじゃ仕事も嫌になるでしょ?たまには綺麗な音楽でも聞いてリラックスしなよ」
「ありがとうございます!」
喜多川はそのチケットを二人に見せて「一緒に行きましょうよ」とその場で誘っている。
「コンクールじゃギスギスしててリラックスなんかできないんじゃないの?」
司がそう尋ねると、三輝はニカッと笑って指でバツ印を作った。
「ブッブー!俺はコンクールだろうが楽しい音楽を指導してるんですー」
「そうですか」
確かに、司も何度かコンクールを見学した事があるが、生徒たちは朗らかな顔をしているように思える。
音楽や学校は怪談に事欠かないが、噂はあれど三輝がいる現場では危険な怪談が囁かれた事がない。それも一重に、彼の持つ『陽の気』の賜物だろう。
今もここは明るい雰囲気になった。
ドアの少し先、ホール内には恐らくあの女性がいる。
そこは混沌の空間。
三輝の気一つで空気が軽くなった現状を活かさない道理はない。
「今のうちに出ましょう」
司が声をかけると、喜多川と三輝が連れ立って外へと出ていく。司も後を続こうとしたところ、千家が司の袖を引いた。
「姉から聞いた話ですが、あれ…もしかしたらその前の道路で交通事故にあった人かもしれません」
「え?そんな事が?」
「はい。詳しくは聞いてないですけど、この店から飛び出して外に出た時に、トラックに跳ねられたとかの大騒ぎがあったって」
「貴重なお話ありがとうございます。調べてみます」
二人がそんな話をする中、赤井は暗闇の先をジッと見つめている。ふと気になり司も視線を向けるも、その先は非常灯の薄緑色の光だけで何も見えない。
「司さん」
緊迫した声で赤井から名を呼ばれる。それが否が応でも緊張させ、司は自然と右手首にした数珠に触れていた。
「急いで出ましょう。出来れば息を止めて。千家も」
赤井はもう一度「息を止めて!」と強めに言うと、二人の背中を押した。
それに促されるように慌てて外へと出ると、赤井は急ぎめにドアを閉め、鍵を回した。それから防犯設備の設定にかかる。
その様子を司と千家は息を止めたまま見守った。
ピーッという電子音が鳴り、赤井はクルリと振り向くと笑顔を浮かべて「お疲れ様でした」と言った。
それを受けて司も千家も、ようやく緊張の糸が切れたとばかりに大きく息を吐き出し、新鮮空気を肺に吸い込む。気持ちのいい冷たい夜風が肺を満たし、頬も心地よく通り過ぎると、ようやく生きている実感を迎えられて安堵した。
「お疲れ様でしたー」
そんな切迫した状況を理解していなかった喜多川が能天気に挨拶してきたが、今は彼女の明るい声が周辺を照らす聖気に感じられる。
先に挨拶した喜多川は車へと乗り込むと、残る面々に手を振って家路へと急いだ。
四人はそれを見送り、自分たちもと車へと向かったが、司は赤井を呼び止めた。
「赤井さん、さっきはありがとう」
「いえ。これで何かあったら俺も寝覚め悪いし」
「はは…本当に助かった。ホールに、いたんだよね?」
「千家の話の後、明らかに黒い影が濃くなった気がしたんです。いつもは白いから悪さしないと思ってたんだけど…」
よくある話だが、悪いものは黒か赤、差程問題ないものは白や明るめの色らしい。恐らく赤井もそれで見極めていたのだろう。
「思いが強すぎて、白い影もどんどん濃くなってきたから、最近は見ようとすれば誰でも見えていたと思います。だけどさっきみたいな話をしちゃうと…」
「存在する意味を思い出してしまう、といったところかな?」
「多分…」
なんにせよ、きちんと力のある人が祓ったにも関わらず残っている現状を考えたら、無碍にもできない存在なのかもしれない。かと言って自分には何も出来そうにはないが、この店には赤井がいるからきっと大事になる事はないだろう。
それと、喜多川も元来『陽の気』の持ち主のようにも思える。
彼女の明るい笑顔と高い声も手伝って、この店があの女性によって悪い場所に堕ちる事はないだろうと、司は店へと視線を向けた。
「司、俺達も帰ろうよ」
三輝の声に振り向き「そうだな」と返すと司は車の鍵を取り出した。
そしてもう一度二人に礼を言って頭を下げた。
「何かあったらいつでも連絡下さい。こいつ連れて来るんで」
そう言って車に乗り込むと、先に乗っていた三輝が「俺は便利屋かよ」とツッコミをいれてきた。
事実、三輝にはもう何度も助けられている。
まあ、その武勇伝はまた今度。
「お疲れ様でした」
赤井と千家が見送る中、司も駐車場から車を出した。
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