第27話 仇の不幸は蜜の味
百貨店のなかへと歩を進めると、人の多さにアイメリアは身を縮めた。
通路は広く取ってあるのに、行き違う人と肩が触れ合わんばかりという混雑ぶりだったのだ。
心細く思ったアイメリアだったが、握っていたラルダスの手に力が入るのを感じて、ふと振り向く。
「大丈夫だ。俺から離れるな」
「はい」
アイメリアはコクンとうなずいた。
実は、アイメリアが人混みが苦手なのは、窮屈さのためだけではない。
周囲に人が多い場所では、ささやき声が遠くなり、声が聞き取れなくなるのだ。
物心ついたときから共にあるささやき声達と引き離されてしまう感覚は、アイメリアには耐え難いものがある。
「でも、今は怖く、ない?」
不安はあった。
だが、行き交う人々からアイメリアをかばってくれているラルダスの存在が頼もしい。
幼い頃から、乳母以外の周囲の人間の顔色を見ながら、ひたすら叱られないことだけ考えて育って来たアイメリアにとって、【人】の手がこれほど温かいと感じることは久々だった。
乳母に対してのみ感じていた温かさを、再び感じることが出来るとは、アイメリア自身にとってさえ驚きなのだ。
だが、それも当然かもしれない、とアイメリアは思う。
素性も知れない娘を悪人から救い、さらには自宅に雇ってくれた
かつて、この世で唯一信じることが出来た乳母と同じぐらい大切に思うのは、むしろ自然なことである。
そしてアイメリアは、この程度の人混みで主に迷惑をかけてしまった自分を恥じた。
「あの、ラルダスさま。私をかばってくださるのはうれしいのですが、その、私は使用人です。立場が逆です」
「何を言う。女性を守るのは騎士の矜持だ。気にする必要はない」
おずおずと自分をかばわないようにと申し出たアイメリアに対して、ラルダスはそっけない言葉を返す。
実際、ラルダスのなかにはわずかな怒りがあったのかもしれない。
ラルダスのような騎士の常識からすれば、女性に頼ってもらうことこそ誇りなのだ。
それなのに、ラルダスの手を握り返すアイメリアの手の力は弱い。
アイメリアの手が痛いのでは? と感じながらも、ラルダスが力を入れて握っておかなければ、そのままはぐれてどこかに行ってしまいそうだ、と思ってしまうほどに。
それゆえに、ラルダスは、自分が信用されていないのでは? と不安になっていた。
だが、ラルダスの言葉を受けて、アイメリアはシュンとうなだれてしまう。
思わず自分に対して舌打ちをしてしまうラルダスだったが、その舌打ちも、アイメリアを不安にさせるだけであった。
人混みのなかを、心を揺らしつつ歩き回っていた二人だが、ふいに聞こえて来た大きな声に顔を向ける。
「いらっしゃいませ! 今日はめでたい記念セールだよ! 流行のおしゃれな普段着が揃ってるから見なきゃ損だよ! ほら、そこのお二人さん!」
全体的に上品な店舗が続く百貨店には似つかわしくない威勢のよさで、一人の女性が呼び込みを行っていた。
そして、アイメリアとラルダスにわざわざ声を掛けたのだ。
「かわいい彼女にそんな野暮ったい服を着せてるなんて、男の名折れだよ! うちで最高のおしゃれな服をプレゼントしてあげなよ! 旦那なら、何着だって買える値段になっているよ! 今を限りの特別価格さ!」
なんとも言えない呼び込みだった。
ラルダスを知りもしない相手に、女に貢ぐ金持ちのボンボンのように言われてしまったのだ。
だが、直接声を掛けられた以上、素通りすることも出来ず、二人は立ち止まった。
すると、ほかの通行人から押されるように、店舗のなかへと入ることになってしまう。
「あの……。記念とおっしゃいましたが、今は精霊祭の季節でもありませんよね? 何のお祝いでしょう?」
おずおずと、アイメリアが尋ねる。
「よくぞ聞いてくださいました! いやね、この百貨店のオーナーの、ザイスの奴が神殿に不敬を働いたとかで、捕まっちまったのさ」
「ええっ!」
まさかの話に驚くアイメリア。
「おいおい、自分の店のオーナーの不幸を祝うのか?」
アイメリアの驚きの意味など知るはずもないラルダスは、呆れたように呼び込みの女性に言った。
呼び込みの女性は、満面の笑顔で答える。
「当然さ! だって、あたしの父さんはザイスの野郎に騙されて何もかも失ったんだ。こんなかたすみの出店権利だけをお情けとしてくれてやるって言ってね! そもそもここの看板は、元はうちの看板だったし、この建物だって、うちの父さんの信用で借りた金で作ったんだ。それを、借金だけ押し付けて、何もかも奪った!」
憎々しげに女性は言う。
だが一転してすぐに笑顔になった。
「だけど、精霊さまはちゃんと見てたってことさ。ざまーみろ、さ! ね、最高だろ!」
聞けば呆れるような理由である。
女性の言葉が本当なら、ザイス氏もなるほど言う通りの悪人だが、何もかも奪われたと言いながら、にくい相手の店に居座っていたこの女性も、とんでもない肝の太さと言わざるを得ない。
付き合いきれないと首を振って、店を出ようとアイメリアのほうを見たラルダスは、驚き慌てた。
「そんな……そんなことって」
アイメリアの顔色は真っ青で、今にも倒れそうな様子だったのだ。
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