第2話 不機嫌そうな救い主
顔を上げたアイメリアの目に飛び込んで来たのは、立派なコートを羽織った若い男性だった。
出で立ちは若い貴族という感じだが、顔を見ると、たちまちその印象が変わる。
角張った顎に不機嫌そうに歪められた唇、目つきはどこか
顔全体を見れば整っているのだが、どちらかというと、凶悪な印象が強い。
男達もアイメリアと同じように感じたのか、なんとなく
「ああん! こちとら親切にこの女に仕事を
怖気づいた自分達を鼓舞するためか、アイメリアを襲っていた男達は助けに入った男性に対していきり立った。
相手が一人であることも、男達を強気にさせた理由だろう。
その狂犬のような怒鳴り声に対して、若い男性はごくごく冷静に返す。
「仕事の斡旋を
その声も、決して大きな声ではないのに、低く相手を威圧する声だ。
アイメリアは、この男性は自分の養父と同じように他人に命令をすることに慣れた人間だと感じた。
「うっせー!」
とうとう男達は、言葉ではなく暴力で自分達の主張を通すことにしたようだ。
視線を交わした三人の男は、スッと動いて助けに入った男性を囲もうとする。
あまりにも自然な動きで、そこには慣れがあった。
おそらく三人で組んで、人を囲んで暴力を振るう、というのが、男達のいつものパターンなのだろう。
だが、今回は相手が悪かった。
助けに入った男性は、自分の背後に回り込もうとした男に、振り返ることもせずに後ろ蹴りを放ち、そのまま流れるような動きで拳を叩き込む。
相手は声を発することも出来ずに地面に崩れ落ちた。
見ると殴られた男は、白目を剥いて意識を失っているようである。
「てめぇ! よくも!」
残った二人のうち、男性の側面に回り込んだ一人が殴りかかる。
同時に、反対側に陣取った一人が
「危ない!」
アイメリアは思わず声を上げたが、アイメリアの心配は杞憂だった。
助けに入った男性は、全く動いたことを感じさせずに、いつの間にか少し後方に下がっていたのだ。
目標を一瞬見失った男達の動きが止まった瞬間、二人の首元を男性の両手がそれぞれ打ち、男達は最初に気を失った男と同じ運命を辿った。
「あ、ありがとうございました!」
あまりの
男性は、アイメリアの礼の言葉に笑顔一つ浮かべることなく視線を向けた。
「礼はいらん。一応治安を預かる立場ではあるからな。こういった
まるで害虫退治のような物言いに、アイメリアは戸惑ったが、ふと、相手の男性の腕に目を止めた。
上着から覗くシャツの袖口がほつれてしまっている。
どうやら装着していたカフスが飛んで、その拍子に縫い目を切ってしまったようだ。
アイメリアは慌てて地面を見まわして飛んだカフスを探す。
耳元でささやき声がして、その声に導かれるように視線を動かし、倒れた男の一人の近くにキラリと光るカフスを発見した。
シンプルだが、紋章の入った銀のカフスだ。
銀は手入れが大変で、持ち主の管理能力を示すシンボルとして、貴族が好んで使うとされている。
やはりこの若い男性は貴族なのかもしれない、とアイメリアは考えた。
「ならず者に遭遇して、捕縛した。ビーコンをセットするので、回収するように市警の連中に連絡して欲しい」
アイメリアがカフスを拾ったところで、男性の声が聞こえて顔を上げる。
恩人の男性は何やら装飾品のようなものに呼びかけていた。
そして、その装飾品から知らない声が聞こえて来て、アイメリアはびっくりする。
「なんだ、騎士のタリスマンを見るのは初めてか?」
驚きに固まっているアイメリアを見て、男性は温かみを感じさせない声を発した。
表情は、アイメリアが最初に見たときから全く動いていない。
「はい。それ、は、タリスマンと言うのですね。あの、言葉を伝える魔法? ですか?」
「魔法、ではない。魔法の道具はおそろしく高価だからな。我が貧乏騎士団では揃えることは不可能だ。これは精霊の加護を受けた道具だ」
「……精霊」
呆然と呟くアイメリアに、相手の男性は不審そうな顔をした。
「まさかこの国の人間でありながら精霊を知らん、ということはなかろうな?」
「いえ、知ってはいます。でも……」
単なるおとぎ話だと思っていた、とは口に出来ず、アイメリアは口ごもる。
育った家の使用人のなかには信心深い者もいて、ことあるごとに精霊に祈りを捧げていたりもしたが、主であるアイメリアの養父母は、精霊の存在を「坊主が民衆を騙すために仕立てた作り話」と笑い飛ばしていたのだ。
アイメリアは、うっかり家族のことを思い出して胸に痛みを感じた。
決して優しい人々ではなかったが、失ったのだと思うと、改めて悲しみがこみ上げて来たのだ。
「おい、大丈夫か?」
男性の声にハッとして顔を上げたアイメリアは、なんとか笑顔を作ると、男性に対して丁寧に頭を下げる。
「改めまして、助けていただき、ありがとうございました。私の名前はアイメリアと申します」
もはやファミリーネームを名乗ることは出来ない寂しさを噛み締めつつ、お礼と自己紹介をした。
いつの間にか縛り上げられていた男達は、それほど強く殴られたようにも感じなかったのに、いまだ意識を取り戻す様子がなく、寂しい路地で二人きりのような状態となっている。
対峙している男性は、人でも殺しそうな凶相だが、そこは恩人であるので、アイメリアの緊張は薄れ、作り笑顔からこわばりが取れ、自然な柔らかい笑顔になっていた。
「……礼はいらんと言ったぞ? 俺はこれでも神殿騎士だ。世の淀みを払うのが仕事だからな。まぁ今日は隊服ではないので、わからないのも無理はない」
もしこの男性が神殿騎士の隊服であったとしてもアイメリアにはわからなかっただろう。
家に閉じ込められていたアイメリアにとって、この世の全ては見知らぬものなのだから。
「あの、これ……落ちていました」
アイメリアが手のひらに乗せて差し出したカフスに、男性は顔をしかめて自分の袖口を見た。
そしてほつれた部分を発見すると渋面がさらに苦々しく歪む。
子どもが見たら泣き出してしまいそうな恐ろしい形相だ。
アイメリアはビクッとしたものの、勇気を振り絞って続ける。
「よろしかったら、その、……シャツの袖を直させていただけませんか?」
「なんだと!」
叱りつけるような声に、アイメリアは少しだけ涙目になるのだった。
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