第69話side勇者

「ああ、間違えた。恋人じゃなくて元恋人だったな」


 そこにいたのは、通信結晶での通話の際にいた怪しげな美女だった。

 動揺と油断があったとはいえ、カインの背後をとるとは、やはりこの女は只者ではないと確信する。


 カインは二撃目を食らう前に、横に跳んだ。着地時に地面を転がるが、すぐに起き上がった――と同時に聖剣を構える。

 女はアリシア宅の中を一瞥してにやついた後、玄関ドアを乱暴に蹴り閉め、それからカインへと向き直った。


「貴様……何者だ……?」


 カインが尋ねるが、女は答えない。

 恐ろしく端正な顔を歪めて、ただ不気味に笑っているだけだ。しかし、よく観察してみると、女の双眸はカインではなく聖剣を注視している。


(聖剣……まさか)


 聖剣は魔族特効武器である。人間にとっては一般的な武器とそう変わらない(切れ味のいい剣程度だ)。ここまで聖剣に気を付けているということは――。


「貴様、魔族か……」

「いかにも」


 女はにやりと笑って認めた。


「吾輩はシャロン。魔王国の長――魔王なり」

「――っ!?」


 驚いた。勇者の宿敵である魔王が、まさかこんなところにいるだなんて……。

 カインはすべてを理解した。


(こいつが――魔王がすべての黒幕かっ!)


 何もかも、このシャロンとかいう女が悪いのだ。 

 アリシアがカインに別れを告げたのも、カインがシェリルを殺す羽目になったのも、指名手配犯になったのも……何もかもが魔王のせいなのだ。

 ――そう思うことにした。そう信じることにした。


「貴様さえ……貴様さえ殺せば何もかもがきっとうまくいくはずなんだっ!」


 カインはシャロンに向かって駆けた。

 構えた聖剣の刀身。その輝きが前より鈍くなっていることに気がついた。前はもっと、神々しい光を爛々と放っていたはずだ。


(なっ……どうしてだ……?)


 聖剣の威力は、その持ち主の精神に左右される。

 ということは、今のカインの精神はこの剣のように鈍く錆びついているのか――。

 ここ最近、立て続けに失敗した。人生がうまくいっていない。精神的にまいっている。そういう自覚はあった。だがしかし、ここまでとは……。


「ああ、かわいそうに。きっと頭がおかしくなってしまったんだな」

「ぬかせ!」


 内に秘めた能力でもって、あっという間に敵との距離を詰める。そして、大きく振りかぶった聖剣を振り下ろそうとして――。


「うむ。ここまで弱体化すれば、さすがに余裕だな」


 シャロンは手で聖剣を受け止めた。

 さすがに素手ではない。黒い液体がシャロンの手を覆い、手袋のようになっているのだ。聖剣の鈍い光は、黒い液体を消し飛ばさんとしたが、逆に増殖する黒い液体に飲み込まれてしまった。


「はい。聖剣は没収」


 聖剣を握るカインの手が緩んだ。

 シャロンの指先から放たれたレーザーが、カインの手を貫いたのだ。


「んぐううううああああっ!」


 カインは絶叫し、手を庇うようにしてうずくまった。

 いともたやすく聖剣を奪われてしまった。聖剣がなければ魔王を殺すことなどできない。どうすれば魔王を殺すことが――。


(いや、魔王を殺す必要なんてないじゃないかっ!)


 アリシアを諦めることができるのなら、みっともなく逃走したって全然構わない。すぐにツヴァインから出て、四人で隣国に向かえばいい。

 しかし――。


(アリシアを諦める……? 嫌だ。そんなの嫌だっ!)


 そう思いつつも、本能が――体が魔王から逃げようとしている。カインは命令を出してないのに、勝手に立ち上がって、魔王に背を向けて急加速する。


(逃げるな! 逃げるな! 逃げるな!)


 自らにそう言い聞かせるが、体は正直だ。言い訳もしない。恐怖に支配されている。逃げる以外の選択肢はない。


(せめて……せめて、アリシアを回収して、それから逃げれば……)


 なんとかして魔王を避けて、アリシア宅に侵入。ルークを一瞬にして八つ裂きにしつつ、アリシアを回収。血だらけの手で抱きかかえて――お姫様抱っこをして――ツヴァインから脱出するのだ。気分は姫を救いに来た王子様。

 そこまで計画(?)を練ったところで――どん、と体に衝撃が走った。

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