第49話side勇者

「……おい。おい、シェリル……っ!」


 シェリルの体を揺すってみたが、何の反応もない。心臓に手を当ててみるが、既に止まっている。それはつまり、彼女が死んでいるということ。


「クソッ! 殺ってしまった……っ!」


 カインは頭を抱えたが、すぐに痛みに呻いた。

 シェリルのことはひとまず置いておこう。目下の問題は、背中や腕や胸――そして、股間に負った傷の数々。早く治療しなければ――死ぬ。


「アニタだ……。アニタのところに……」


 パーティーのメンバーである聖女アニタ。彼女の回復魔法は聖王国屈指の効力を持つ。彼女なら、カインの傷を綺麗に完治させることがきっとできるはずだ。

 カインは血まみれの服を脱ぎ捨て着替えると、顔を歪めながらアニタのもとへと、這うようにして向かった。


 ◇


 アニタの家に着くと、カインはドアを乱暴に叩いた。礼儀など気にしている余裕はない。緊急事態なのだ。もしも、彼女が家にいなければ絶望を味わうこととなるが、幸い彼女は家にいた。


「どなたですか?」


 ドアの奥から、のんきな、おっとりとした声が聞こえる。

 普段はアニタの声を好ましく思っているのだが、焦燥感を募らせた今は腹立たしい。


「僕だ。カインだ。開けてくれ!」

「申し訳ないのですが、お取込み中でして……」

「緊急事態なんだ! 包丁で刺されて重傷を負ったんだよ!」


 ドアを叩きながら早口で言うと、アニタは事態の深刻さを理解したらしい。鍵を開け、ドアを開けた。

 アニタはタオルを一枚巻いただけの、扇情的な姿だった。


(『お取込み中』ってそういう意味か……)


 家に男を連れ込んで遊んでいたのだ。

 アニタの紅潮した顔が、カインを見て青ざめる。着替えた綺麗な服も、傷口から漏れた血で赤く染まってきている。


「まあ……た、大変ですっ」


 ふらつくカインの体を支えて、アニタはベッドへと連れていった。

 ベッドには小柄な少年がいたが、カインが一睨みすると、服を持って慌てて立ち去った。一〇代前半の少年だった。アニタの好みは自分より年下のあどけない少年だったことを、カインは思い出した。


 カインはベッドに倒れこんだ。

 アニタはすぐに回復魔法をかけてくれた。淡い柔らかな光が傷口を包み込んで癒やしていく。

 どうやら、自分は死なずに済みそうだ、とカインは安堵する。痛みが和らいだので、いろいろ思案する余裕ができる。

 考えるのは、シェリルのこと。


(まさか、この僕を殺そうとするだなんて……)


 シェリルに『最後にキスをしたいの』と言われたとき、いささか怪しさというか危険を感じた。けれど、それは気のせいかと思い、そして欲望に負けて、キスしてしまった。


 舌は噛み千切られてはいない。股間も切り取られてはいない。

 おそらく、完治するはず。

 完治してくれないと困る。


(クソッ! クソッ!)


 シェリルの死体は、彼女の家に放置されている。死体をこのまま放置しておくのはまずい。腐敗して悪臭を放つようになれば、周囲にバレることは間違いない。その前に、手早く処理してしまわねば――。


(焼くか、埋めるか、沈めるか……)


 死体の処理方法を考えているうちに眠たくなって、カインは眠りに落ちた。

 シェリルに対する憎悪はあれど、謝罪や反省の気持ちは微塵もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る